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デニス・ユルチェンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デニス・ユルチェンコ Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム Denys Sergiyovich Yurchenko
国籍  ウクライナ
種目 棒高跳
生年月日 (1978-01-27) 1978年1月27日(46歳)
生誕地 ウクライナドネツィク
身長 175cm
体重 75kg
自己ベスト 棒高跳 : 5m83 (2008年)
獲得メダル
 ウクライナ
陸上競技
オリンピック
剥奪 2008 北京 男子 棒高跳
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デニス・ユルチェンコウクライナ語: Денис Сергійович Юрченко、ローマ字:Denys Sergiyovich Yurchenko、1978年1月27日 - )は、ウクライナの陸上競技選手。棒高跳を専門とする選手で、2008年北京オリンピックの銅メダリストである。ドネツィク出身。

経歴

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ユルチェンコは、2000年に、棒高跳で長らく世界に君臨していたセルゲイ・ブブカを下し、ウクライナチャンピオンとなり、ブブカとともにシドニーオリンピックに出場した。しかし、シドニーでは、競技中にけがをしてしまい、病院に搬送されてしまう。結果は、5m40で予選を突破することができなかった。

2002年のヨーロッパ選手権、2003年の世界選手権はともに6位に終わってしまうが、2004年の世界室内陸上では銅メダルを獲得。同年夏には2度目のオリンピックとなるアテネオリンピックに出場。決勝に進出したものの9位に終わっている。

2005年のヨーロッパ室内陸上では、自身のベスト記録5m85を出し、ロシアのイゴール・パブロフに次いで銀メダル。しかし、夏にヘルシンキで開催された世界選手権では予選で5m45しか跳べず予選落ちとなった。また、2007年の大阪で開催された世界選手権でも5m66を跳んだものの、12位と順位は振るわなかった。

2008年は、7月3日に屋外での自己ベストとなる5m83を記録し、2度目のウクライナチャンピオンに輝く。8月22日に行われた北京オリンピックの決勝では、5m70を1回で成功したが、けがのためその後の試技をすべてパス、5m70をクリアした選手はほかにも3選手いたが、3選手とも1回目の試技を失敗していたことから、ユルチェンコは銅メダルとなった。しかし、2016年オリンピックとなるアテネオリンピックに出場。決勝に進出したものの9位に終わっている。

2005年のヨーロッパ室内陸上では、自身のベスト記録5m85を出し、ロシアのイゴール・パブロフに次いで銀メダル。しかし、夏にヘルシンキで開催された世界選手権では予選で5m45しか跳べず予選落ちとなった。また、2007年の大阪で開催された世界選手権でも5m66を跳んだものの、12位と順位は振るわなかった。

2008年は、7月3日に屋外での自己ベストとなる5m83を記録し、2度目のウクライナチャンピオンに輝く。8月22日に行われた北京オリンピックの決勝では、5m70を1回で成功したが、けがのためその後の試技をすべてパス、5m70をクリアした選手はほかにも3選手いたが、3選手とも1回目の試技を失敗していたことから、ユルチェンコは銅メダルとなった。しかし、2016年11月、北京オリンピックのドーピング検査に使用された検体から禁止薬物が検出されたため、同大会で獲得した銅メダルを剥奪された[1]

自己ベスト

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  • 棒高跳(屋外) - 5m83 (2008年)
  • 棒高跳(屋内) - 5m85 (2005年)

主な実績

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大会 場所 種目 結果 記録
2000 オリンピック シドニー(オーストラリア) 棒高跳 30位(q) 5m40
2002 ヨーロッパ陸上選手権 ミュンヘン(ドイツ) 棒高跳 6位 5m70
2003 世界陸上選手権 パリ(フランス) 棒高跳 6位 5m70
2004 世界室内陸上選手権 ブダペスト(ハンガリー) 棒高跳 3位 5m70
2004 オリンピック アテネ(ギリシャ) 棒高跳 9位 5m65
2005 ヨーロッパ室内陸上選手権 マドリッド(スペイン) 棒高跳 2位 5m85
2005 世界陸上選手権 ヘルシンキ(フィンランド) 棒高跳 17位(q) 5m45
2006 世界室内陸上選手権 モスクワ(ロシア) 棒高跳 - NM
2007 ヨーロッパ室内陸上選手権 バーミンガム(イギリス) 棒高跳 2位 5m71
2007 世界陸上選手権 大阪(日本) 棒高跳 12位 5m66
2008 オリンピック 北京(中国) 棒高跳 失格
  • qは予選

脚注

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  1. ^ IOC sanctions 16 athletes for failing anti-doping test at Beijing 2008” (英語). IOC. 2016年11月17日閲覧。

外部リンク

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