ディック・アダムズ
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | カリフォルニア州トゥオールミ |
生年月日 | 1920年4月8日(104歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 一塁手 |
初出場 | 1947年5月20日 |
最終出場 | 1947年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ディック・アダムズ(Richard Leroy Adams、1920年4月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トゥオールミ出身のプロ野球選手(一塁手)。左投右打。
略歴
[編集]プロとしてのキャリアをスタートさせたのは1939年のこと。そこから3シーズンをマイナーリーグで過ごしたが、その後、アメリカ空軍に入隊。そのため、1945年に軍隊を退役するまでは野球選手としてはプレイしていない。 翌1946年から本格的にプロ野球生活を再開したアダムズは、マイナーリーグで打率.330、155打点の好成績を記録したことが評価され、同年11月にルール5ドラフトでフィラデルフィア・アスレチックスに入団。翌年の5月にはメジャーの試合にも出場を果たした。しかし、メジャーでは自身初のヒットをホームランで飾りながらも、最終的には年間で37試合で打率.202、2本塁打、11打点と結果を残すことは出来なかった。当時既に27歳だったこともあり、1948年以降はマイナーリーグへと逆戻りしてしまったアダムズは、1953年までメジャー再昇格を目指したが、結局はその夢を果たせずにキャリアを終えてしまった。
音楽家としての活動
[編集]アダムズは、シーズンオフになると自らグループのリーダーを務めるなど、プロの音楽家としても活動していた。 1989年には、グループのメンバーであったボブ・クロスビーとともにブラジルへと旅立ち、ピアノの演奏を披露したこともある。
また彼は、自身初の「ダンスの仕事」を、13歳の際に経験したと語ったことがある。中華料理のレストランで、一晩につき3ドルと彼が食べられるあらゆる中華料理を貰って、午後9時から翌日の午前2時まで働いていたそうだ。この仕事をこなした後で、朝になれば学校に行っていたというのは驚くべきことである。
その他
[編集]- どちらも元メジャーリーガーである、ボビー・アダムズの兄であり、マイク・アダムズの伯父である(マイクはボビーの息子)。
- 野手では数少ない、左投右打の選手である。
- 本職はファーストだが、メジャーでは外野手としても3試合に出場している。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1947 | PHA | 37 | 93 | 89 | 9 | 18 | 2 | 3 | 2 | 32 | 11 | 0 | 0 | 2 | -- | 2 | -- | 0 | 18 | 0 | .202 | .220 | .360 | .579 |
MLB:1年 | 37 | 93 | 89 | 9 | 18 | 2 | 3 | 2 | 32 | 11 | 0 | 0 | 2 | -- | 2 | -- | 0 | 18 | 0 | .202 | .220 | .360 | .579 |
- 「-」は記録なし