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デアリング (駆逐艦・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注 1931年2月2日
起工 1931年6月18日
進水 1932年4月7日
就役 1932年11月25日
その後 1940年2月18日に戦没
退役
除籍
性能諸元
排水量 満載: 1,942トン
全長 100.3m
全幅 10.1m
吃水 3.8m
機関 アドミラリティ・ボイラー 3缶
パーソンズ式蒸気タービン2基
2軸推進、36,000shp(27,000 kW)
速力 36ノット
航続距離 15ノットで5,870海里
乗員 145名
兵装 119mm(4.7in) Mark IX 単装砲 4門
76.2mm(3in)対空砲 1門
QF 2ポンド Mk.II 対空砲 2門
533mm(21in)Mk.IX 4連装魚雷発射管 2基
爆雷 20発
爆雷投射機 2基
爆雷投下軌条 1軌

デアリング (HMS Daring, H16) はイギリス海軍駆逐艦D級

艦歴

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1930年の海軍計画で1931年2月2日に発注、ウールストンジョン・アイ・ソーニクロフト社の造船所で1931年6月18日に起工。1932年4月7日に進水し、1932年11月25日に竣工。兵器、弾薬、通信機器といった海軍本部によって供給されるものを除いた費用は22万5536ポンドであった。「デアリング」は最初は地中海の第1駆逐艦戦隊に配属され、1933年9、10月にはペルシャ湾紅海に展開した[1]。1934年9月3日から10月24日まで、中国艦隊での活動のための修理がシアネス工廠でなされた[2]。1934年12月に極東に向かい、第8駆逐艦戦隊に所属。以降、第二次世界大戦勃発までそこで活動した[2]

1939年9月に第二次世界大戦が始まる少し前、「デアリング」と同型艦の「ダンカン」、「ダイアナ」、「デインティ」は地中海艦隊に転属となった。「デアリング」は護衛や哨戒のため1939年11月まで紅海にとどまった。11月25日から12月20日までマルタでオーバーホールを実施。1940年はじめにはユニオン=キャッスル・ラインの客船「Dunnottar Castle」をベルファストまで護衛し、ポーツマスで1月25日まで修理。1940年2月10日、護衛任務にあたるためスカパ・フローで第3駆逐艦戦隊に編入。[3]

1940年2月18日早朝、「デアリング」の護衛していたHN12船団がドイツ潜水艦「U23」に発見された[4]。この船団はベルゲンからMethilへ向かっていたもので、他に駆逐艦「アイレクス」、「イングルフィールド」などが護衛しており、潜水艦「シスル」も同行していた[4]。「U23」は「デアリング」に対して魚雷1本を発射[4]。魚雷は左舷艦尾付近に命中した[4]。続いて後部弾薬庫のものとみられる爆発が起き、「デアリング」は分断された[4]。後部はすぐに沈んで先端を残すのみとなり、前部は転覆した後しばらく[5]浮いていた[6]

2度の爆発音を聞いた「シスル」は調査に向かい、「デアリング」の残骸に行き着いた[4]。「シスル」は「アイレクス」を呼んだが、「アイレクス」は「シスル」へ生存者救助を行うよう信号を送ると支援のボートを残さず敵潜捜索に向かった[7]。「シスル」が発見した生存者は3名のみで、1名はすぐに姿を消し、もう1名は救助に失敗[8]。残る1名のみ、戻ってきた「アイレクス」から送られたボートに救助され、「シスル」に収容された[9]。他に、カーリーフロートに乗った4名(またはいかだに乗った6名[4])が「イングルフィールド」に救助されている[8][10]

戦死者は艦長Sydney Cooper中佐以下[11]、157名[12]。もしくは156名[13]

脚注

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  1. ^ English, pp. 51, 54
  2. ^ a b English, p. 54
  3. ^ English, pp. 52, 54
  4. ^ a b c d e f g No Room for Mistakes, 12 First Blood
  5. ^ No Room for Mistakesでは約30分、U-Boat Attack Logsでは少なくとも30分。Destroyer Downでは5時45分ごろ沈没(被雷はU-Boat Attack Logsによれば2時55分ごろ)。
  6. ^ No Room for Mistakes, 12 First Blood, U-Boat Attack Logs, p. 18
  7. ^ U-Boat Attack Logs, p. 19, Destroyer Down, p. 13
  8. ^ a b U-Boat Attack Logs, p. 19
  9. ^ U-Boat Attack Logs, p. 19, Destroyer Down, p. 14
  10. ^ 生存者救助についてはAmazon to Ivanhoe, p. 54では「シスル」が5名救助、The Admiralty Regrets, p. 106-107では「シスル」が15名救助となっている
  11. ^ Destroyer Down, p. 14
  12. ^ Amazon to Ivanhoe, p. 54
  13. ^ U-Boat Attack Logs, p. 17

参考文献

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  • English, John (1993). Amazon to Ivanhoe: British Standard Destroyers of the 1930s. Kendal, England: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9 
  • Geirr H Haarr, No Room for Mistakes: British and Allied Submarine Warfare 1939–1940, Seaforth Publishing, 2015
  • Arthur S. Evans, Destroyer Down: An Account of HM Destroyers Losses 1939-1945, Pen & Sword Maritime, 2010, ISBN 978-1-84884-270-0
  • Paul Kemp, The Admiralty Regrets: British Warship Losses of the 20th Century, Sutton Publishing, 1999, ISBN 0-7509-1567-6
  • Daniel Morgan, Bruce Taylor, U-Boat Attack Logs: A Complete Record of Warship Sinkings from Original Sources 1939-1945, Seaforth Publishing, 2011, ISBN 978-1-84832-118-2