テトン (揚陸指揮艦)
基本情報 | |
---|---|
母港 | ニューヨーク市ブルックリン区 |
艦歴 | |
起工 | 1943年11月9日 |
進水 | 1944年2月5日 |
就役 | 1944年10月18日 |
退役 | 1946年8月30日 |
最期 | スクラップ |
除籍 | 1961年6月1日 |
要目 | |
排水量 |
7,240 t(軽荷) 12,690 t(満載) |
全長 | 459 ft 3 in(139.95 m) |
最大幅 | 63 ft(19.0 m) |
吃水 | 24 ft(7.3 m) |
推進 | ゼネラル・エレクトリック社製ギヤード・タービン単軸推進 |
速力 | 16.4 ノット(30.4 km/h、海上公試時) |
乗員 |
士官54名 下士官568名(579名との異説あり) |
兵装 |
38口径5インチ単装両用砲 ×2 連装40mm対空機関砲 ×4 20mm対空機関砲 ×10 |
テトン (USS Teton, AGC-14)は、アメリカ海軍の揚陸指揮艦。マウント・マッキンリー級揚陸指揮艦の8番艦であり、第二次世界大戦で活躍した。
艦歴
[編集]1944
[編集]テトンは合衆国海事委員会の契約下でC2-S-AJ1型貨物船ウォーター・ウィッチ(SS Water Witch)として、1943年11月9日にノースカロライナ州ウィルミントンのノースカロライナ造船社で起工される。1944年2月1日にテトンと改名され、C・E・シンプ夫人(Mrs. C. E. Shimp)により2月5日に進水。10月18日に海軍に取得され、同日テトン (USS Teton, AGC-14)としてニューヨーク市ブルックリン区にてドナルド・レックス・トールマン大佐(Donald Rex Tallman)指揮下で就役する。
チェサピーク湾での慣熟訓練の後、護衛駆逐艦バーに護衛されて南へと向かう。パナマ運河、カリフォルニアのメア・アイランド海軍造船所を経由して1945年1月19日に真珠湾に到着した。4日後、太平洋艦隊第12水陸両用群司令官のジョン・L・ホール(John L Hall)少将が将旗を掲げた。
1945-1946
[編集]テトンは1月28日にフィリピンへ向かう船団に配属される。エニウェトク環礁、ウルシー泊地、パラオを経由して2月21日にレイテ島に到着。テトンは第44任務部隊旗艦として、来る沖縄侵攻の予行演習に参加した。第14輸送隊(Transport Squadron 14)司令官クリフォード・グリア・リチャードソン代将(Clifford Greer Richardson)、第24軍団司令官ジョン・R・ホッジ陸軍少将らとその参謀を乗艦させ、第51.13.1任務群旗艦として3月27日に出撃した。上陸戦闘の始まった4月1日に沖縄近海に進出。6月11日、船団と共にフィリピンへ後退した。
6月15日から8月17日までスービック湾に留まる。日本降伏の報に接すると、ホール提督や彼の幕僚は攻撃輸送艦ハンスフォードに移動した。日本を占領する陸軍部隊を新たに乗せたテトンは、8月29日に東京湾に到着した。
9月25日に東京湾を出てグアムへと針路を採る。グアムで米国本土に向かう約750人の人員を乗せ、10月16日にサンフランシスコに入港して乗客を降ろした。3日後、西へと向かうため出航した。
退役
[編集]テトンは1946年初期までマジック・カーペット作戦に参加し、太平洋各地に展開していた多数の米兵を本国に帰還させた。1946年3月からカリフォルニア州サンディエゴにて不活性化処理を受け、同年8月30日に退役。1961年6月1日に海軍のリストから削除され、1962年3月にスクラップとするためにUnion Minerals and Alloys Corporationに売却された。
テトンは第二次世界大戦の戦功により1つの従軍星章を受章した。
受章
[編集]- アメリカ従軍章
- アジア・太平洋従軍章(沖縄群島作戦:1945年4月1日 - 6月11日)
- 第二次世界大戦戦勝章
- 海軍占領功労章
- フィリピン解放章