コンテンツにスキップ

テキサスタワー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テキサスタワー
Texas Towers
テキサスタワー3
種類レーダーサイト
施設情報
現況解体済
歴史
建設者 アメリカ空軍
使用期間1958年 - 1963年
解体1963年

テキサスタワー英語: Texas Towers)は、アメリカ空軍アメリカ合衆国北東岸沖合で整備・運用していたレーダーサイト群。5か所が計画され、うち3か所が建造された。石油プラットフォーム技術を基にした施設であり、1958年より運用開始されたが、対象脅威の変化などにより1963年には閉鎖された。

概要

[編集]

1950年代初頭、アメリカ空軍航空宇宙防衛軍団はレーダー網による対空監視設備構築を進めていたが、アメリカ東海岸においては陸上設備からの監視が充分ではなく、敵機来襲時の警報時間が短いという懸念を抱いていた。1952年のマサチューセッツ工科大学のレポートは、石油プラットフォーム技術を基に東海岸沖合の大西洋上にレーダーサイトを建設することによって、レーダー監視範囲を拡げることを提言した[1]。沖合のプラットフォーム上のレーダーにより、警報時間を30分延長することができると結論を出した[2]。これらのタワーの設計および建設予算は1954年1月に承認された[1]

設計

[編集]
地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
200 km
TT-5
TT-4
TT-3
TT-2
.
TT-1
テキサスタワー位置図。タワー1および5は計画のみで建設されず。

各タワーは3本のケーソンを有し、一辺が200フィート(61メートル)の三角形のプラットフォームであった[3][4]。構造物は陸上で建造され、現地海上まで曳航の後に、プラットフォーム上に持ち上げられた[3]。レーダーやその他の機材は現地で設置された。

プラットフォームには、居住エリアを含む2層のフロアがあるほか、2本の脚部はディーゼル発電機用の燃料タンクであり、残りの1本には淡水化装置の取水口が設けられた。プラットフォームの屋上は、ヘリポートとしても利用された。プラットフォームから吊り下げられる回転式ガントリーにより、プラットフォーム下部のメンテナンスも行った。

レーダー設備としてAN/FPS-3英語版(後にAN/FPS-20)捜索レーダー1基およびAN/FPS-6英語版高度測定レーダー2基の計3基が設置され、それぞれ直径55フィート(17メートル)のネオプレン製レドームに収納された[4]。陸上との通信は、海底ケーブルが用いられる予定であったが、コスト面で中止となり、AN/FRC-56マイクロ波通信装置が用いられ、プラットフォームに3基のパラボラアンテナが設置された[2]。対船舶や航空機向けにUHF/VHF通信機も用意された。

タワーの設置

[編集]

アメリカ合衆国東海岸沖の大西洋上に5か所の設置計画があったが、北側の2か所は予算上の都合により建設中止となった[2]

タワーID 位置 部隊名 本土側基地 備考
TT-1 ニューハンプシャー州沖カッシーズレッジ
北緯42度53分 西経68度57分 / 北緯42.883度 西経68.950度 / 42.883; -68.950
建設中止
テキサスタワー2(TT-2)英語版 ケープコッド沖のジョージズバンク
北緯41度45分0.00秒 西経67度46分0.00秒 / 北緯41.7500000度 西経67.7666667度 / 41.7500000; -67.7666667
第762レーダー中隊 ノース・トゥルーロ空軍駐屯地英語版 1963年運用中止
テキサスタワー3(TT-3)英語版 マサチューセッツ州ナンタケット島沖のナンタケット礁
北緯40度45分00.00秒 西経69度19分0.00秒 / 北緯40.7500000度 西経69.3166667度 / 40.7500000; -69.3166667
第773レーダー中隊 モントーク空軍駐屯地英語版 1963年運用中止
テキサスタワー4(TT-4)英語版 ニュージャージー州ロングビーチ島沖
北緯39度48分 西経72度40分 / 北緯39.800度 西経72.667度 / 39.800; -72.667
第646レーダー中隊 ハイランド空軍駐屯地英語版 1961年崩壊
テキサスタワー5(TT-5) ノバスコシア州南側沖のブラウンズバンク
北緯42度47分 西経65度37分 / 北緯42.783度 西経65.617度 / 42.783; -65.617
建設中止

後方支援は、オーティス空軍基地英語版において、特別に編成された第4604支援中隊英語版によって行われた[2]。機材は当初、H-21ヘリコプターによって行われたが[2]、1962年に3機のSH-3 シーキングヘリコプターに更新された[5]。タワーへの補給艦として、「ニューベッドフォード英語版」(USNS New Bedford, AKL-17)も運用され、ゴムリングを用いて物資の揚陸を行った。この作業は、艦が船位を保持できる干潮時に行われた[6]

運用

[編集]

テキサスタワー2は最初に1956年5月に限定運用を開始した[7]。1958年に完全運用となり、タワー3もそれに続いた。タワー4は1959年4月に運用開始している[8]半自動式防空管制組織への連接も行われる予定であったが、海底ケーブルによる接続が中止されたため、手動による情報提供が行われた。

これらのタワーでは、機器による騒音が大きく、振動もあった。また、支持機材が比較的柔軟であり、風や波浪により揺れることもあった[6]。プラットフォームの霧笛が頻繁になることも、隊員にとって負担となった[2]

テキサスタワー4

[編集]

テキサスタワー4は、他のタワーより水深の深いエリアに建造されたため、構造上の問題を有していた。タワー2が水深24mであったの対し、水深56mであった。脚部が長くなったため、単純な円筒形では強度不足になると考えられ、3組の桁が追加され、ジョイントで接続された[2][9]。そのままでは、プラットフォームの曳航ができなくなったため、構造物を倒して曳航され、現場海域にて垂直に立てられた[9] 。ジョイント部は壊れやすく、輸送中に2か所が壊れ、設置時にさらに1か所が破損した[10]。検査と修理のために、潜水士が何度か派遣され、1960年にはプラットフォーム下部と水面上に桁が追加された[11]。頻繁に揺れるために、常駐隊員は船酔いし、タワー4に対し"オールドシェイキー(Old Shaky)"との呼び名がつけられた[2]

1960年9月12日にハリケーン・ドナ英語版がタワー4付近を通過し、タワー4は構造物の一部や通信用パラボラアンテナのうち1基が失われるなどの深刻な被害を受けた[12]。損害の評価と応急修理の後、最小限の人員を残し、タワーを解体することが決定した[12]。ソ連軍の潜入工作により、精密機器や文書の奪取等の恐れがあるため、迅速な放棄は行われなかった[12]。そのため、解体作業は長引くこととなり、1961年1月の暴風雨の際、連絡不備によりタワーからの避難が遅れることとなった[13]対潜空母ワスプ」(USS Wasp, CVS-18)も支援に向かったが[13]、救助はかなわず、タワー4は倒壊した。生存者は見つからなかったが、残骸に閉じ込められた可能性も考慮し、潜水士が派遣された[13]。結局、空軍兵および民間技術者の計28名が行方不明となり[14]、そのうち2名の遺体のみが回収された[14]

運用中止

[編集]

その後、残り2つのタワーには緊急避難用の脱出カプセルが設置された[2][4]。タワー4の喪失と大陸間弾道ミサイルの脅威増大により、タワーの再評価が行われ、運用中止となった。電子機器は撤去され、プラットフォームは陸揚げし解体されることとなった。ただし、タワー2は沈没したため、陸上での解体はなされず、タワー3は発泡スチロールによる充填の後、陸上に移され、解体された。なお、レーダーによる警戒はオーティス空軍基地を拠点とするEC-121英語版早期警戒管制機へ引き継がれた。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b Keeney, L. Douglas (2011). 15 Minutes: General Curtis LeMay and the Countdown to Nuclear Annihilation. Macmillan. pp. 100 
  2. ^ a b c d e f g h i Ray, Thomas W.. “A History of Texas Towers in Air Defense 1952-1964”. Texas Tower Association. 2010年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月23日閲覧。
  3. ^ a b Howe, Hartley E. (October 1955). “Radar Island Rises 110 Miles at Sea”. Popular Science: 126–129, 268. https://books.google.com/books?id=LCYDAAAAMBAJ&pg=RA1-PA27 2012年1月22日閲覧。. 
  4. ^ a b c Kaufmann, J. E.; Kaufmann, H. W. (2004). Fortress America: The forts that defended America, 1600 to the present. Da Capo Press. pp. 371–372. https://archive.org/details/isbn_9780306812941 2012年1月22日閲覧。 
  5. ^ “Rotary Wing Aircraft”. Flying: 117. (November 1962). https://books.google.com/books?id=S-45uoS-v04C&pg=PA117 2012年1月22日閲覧。. 
  6. ^ a b Wylie, Evan McLeod (July 26, 1963). “Farewell to the Iron Bastards: Texas Towers Await the Wreckers”. Life: 7, 9. https://books.google.com/books?id=JlIEAAAAMBAJ&pg=PA7 2012年1月22日閲覧。. 
  7. ^ Leonard, Barry, ed (2011). History of Strategic and Ballistic Missile Defense: Volume II: 1956-1972. DIANE Publishing. ISBN 9781437921311. https://books.google.com/books?id=HoxycYhoKZkC  p. 305
  8. ^ Leonard, p. 312
  9. ^ a b Keeney, pp. 150-152
  10. ^ Keeney, p. 190
  11. ^ Keeney, pp. 226-228
  12. ^ a b c Keeney, pp.229-232
  13. ^ a b c Keeney, pp.262-275
  14. ^ a b Southall, Ashley, "Obama Recognizes Men Who Died in the Collapse of a Radar Tower in 1961", New York Times, 9 February 2011; retrieved 14 February 2011.

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]