テウタテス
テウタテス (Teutates) は、ケルト人に信奉されていた神に用いられた名前である(後述)。ルカヌスの『内乱』やラクタンティウスの『神的教理』で名前が言及されており、またカエサルが『ガリア戦記』内で言及したガリアの神の中の一柱だとされる。テウタテスに献じられた石碑なども多く発見されており、その広い信仰を示している。言語学や考古学による研究からテウタテスは部族の神であり、また戦争の神でもあったとされる。
概要
[編集]ケルト神話には汎ケルト的に広く信仰されていた神もあったが一方でケルト内の部族ごとの神も存在した。 例えば、アルウェルヌスはその名からアルウェルニ族固有の神であった事が容易く想像できる。こうした神は過去の族長が神格化された、一種の祖先崇拝の対象と考えられる[1]。
テウタテスは「民族の神」を意味する。意味から推測するとテウタテスという名はアルウェルヌスのような部族の神のうち特定の一柱を指す呼び名であったのかもしれない。しかしテウタテスと呼ばれる神への信仰を示す証拠は非常に広範囲に分布しており[2][3]、こうした解釈は実状にそぐわない。テウタテスとは元々は神の名ではなく、単に「民族の神」という普通名詞、あるいは部族の神に用いる尊称であったと複数の学者が推測している[4]。こうした説に倣えばテウタテスについての記述は、テウタテスその物ではなく、テウタテスと呼ばれた別々の部族の神に対してのものであったと考えられる[5]。
ローマ的解釈
[編集]ガリア人の信仰について、カエサルは以下のように説明している。
「 | 神々の中ではメルクリウスを最も崇拝する。その像も一番数が多く、種々なわざを工夫したものと信じ、旅行者を導くもの、富の獲得や商売に大きな力を持つものと思っている。これに次ぐのはアポローやマルスやイゥピテルやミネルウァである。それについては他の人々と同じような考え方をしている。アポローは病気をはらい、ミネルウァは仕事やわざの手ほどきをし、イゥピテルは大空を支配し、マルスは戦争をつかさどる。戦争しようとする時にはその戦争の獲物をこの神に捧げる。勝てば捕まえた動物を犠牲にし、他の獲物を一箇所に集める。これらの物を積み重ねた山が多くの部族では神聖な場所に見られる。 | 」 |
—カエサル(ガリア戦記[6]より) |
カエサルの説明を言葉通りに受け取れば、ガリア人はローマ人と同様に「メルクリウス」や「アポロー」といった神々を信仰していたように見えるが、これは正しくない。カエサルはガリア人の神を指して、それに近い性質をもつローマの神の名前を使用する事でローマ人への説明を行っている。こうしたローマ人による他の民族の神の捉え方をローマ的解釈と呼ぶ。カエサルが挙げた神の中で「マルス」がテウタテスを指すものと考えられており[7][8]、そうだとすれば続く戦の神に捧げた儀式についての記述もテウタテスへのそれを説明した物という事になる。
テウタテスとマルスとの対応は固定的なものではなく、ローマによるガリア平定後に作られた石碑の碑文にはテウタテスはマルス[9]だけでなくメルクリウス[10]とも同一視された事が示されている。後述する『コメンタ・ベルネンシア』においても、テウタテスはマルスともメルクリウスとも同一視されている[11]。またトウティオリクス(Toutiorix)をテウタテスの異形であると見なすのであれば[12]、アポロとも同一視された事になる[13]。しかしテウタテスはメルクリウスやアポロよりもマルスとの同一視を示す証拠が多い。
人身御供の儀式
[編集]ルカヌスは『内乱』においてテウタテスをエススやタラニスと共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。
「 | 酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべきエスス神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアのディアナに劣らず過酷なタラニス神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ[14]よ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ[14]、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。 | 」 |
—ルカヌス(内乱[15]より) |
『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。
グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人[16]が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。
関連項目
[編集]- ミディール 「トータティス・メドゥリス」へと献じられた碑文が発見されている[17]。これをマイヤーはテウタテスとメドゥリスの同一視と解釈している[18]。ミディールはアイルランドのケルト神話の神であり、メドゥリスと対応すると考えられている。
- Tuathal Techtmar 百戦のコンの祖父にあたるアイルランドの伝説上の上王(アード・リー)。彼の名"Tuathal"はテウタテスの古形"teuto-valos"に由来するのではないかと推測されている。
脚注
[編集]- ^ アルウェルヌスの別名であるアルウェルノリクスは「アルウェルニ族の王」を意味する。ピゴットはガリア人の「王(rix)」について「その多くは『取るに足らない侵略集団の族長で、互いの領地を荒らし回り、隷属民を食い物にするだけの存在だった』」としている(ピゴット 2000, p. 92)。
- ^ 「テウタテスは文献からはガリアで,ラテン語碑文からは英国,ドナウ川沿岸,さらにはローマまで,グンデストルップの鉢からはこの文化遺品の原産地と思われる黒海沿岸でもおそらく,知られていたことが分かる.」(デュヴァル 2001)
- ^ 『アルスター神話群』に登場する「我が部族が忠誠を誓う神」がテウタテスに相当する神だとする指摘もあり(デュヴァル 2001)、そうだとするとアイルランドにおいてもテウタテスの信仰は広まっていた可能性がある。
- ^ 「名前は『部族』を意味するテウタ(teuta,touta,tota)に由来し、『部族の神』という普通名詞かもしれない。」(鶴岡 1999, p. 88)
「部族を意味するケルト語の派生語のテウター、その名は『部族の神』を実際に意味したのだと。」「テウターテスは、のちにだんだん推移していったにしても、元は固有名というよりも説明のための用語だったのである。」(マッカーナ 1991, pp. 38, 57)
「これは『部族の神』という意味で、おそらく一つの神の名称というよりも、多くの異なる神の尊称だったのだろう。」(ジェームズ 2000, p. 151)
「その名は『部族』を意味するteuta,touta,totaに由来する.おそらく『部族の(神)』という普通名詞だろう.」(デュヴァル 2001, p. 666) - ^ コットレル 1999, p. 263.
- ^ カエサル 1968, p. 200.
- ^ 鶴岡 1999, pp. 88–89.
- ^ 「各種碑文を証拠に考えるのならマルスと同じ神とするのが正しい.」「だとしたら、テウタテスはマルスと同じ神である可能性が強くなろう.」(デュヴァル 2001)
- ^ RIB 219
Marti Toutati Ti(berius) Claudius Primus Attii liber(tus) v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)
RIB 1017 I(ovi) O(ptimo) M(aximo) et Riocalat(i) [To]utat(i) M-[ar(ti)] Cocid(i)o [vo]to feci-[t] Vita-[lis] - ^ CIL XIII, 6122 Mercur(io) / IOTOUVI[1]E / [3]OEIRNV / OAIRONIS ;
AE 1927, 70 Merc[urio] / Tou[teno] / temp[lum] / cum [signo] / et orn[amentis] / Virili[s pos(uit)] / v(otum) s(olvit) [l(ibens) l(aetus) m(erito)]. - ^ ガリアにおいてマルスとメルクリウスは性質の近い存在であったと考えられている(マッカーナ 1991, p. 36)。イオウォントゥカルスもマルスとメルクリウスの両方に同一視されている。またヘニッグはアレイで信仰されていた名前の失われたケルトの戦の神が、(戦の神であるマルスではなく)メルクリウスと同一視されていた事を示している(ギリー 2014, p. 18)。
- ^ マイヤーは 『ケルト辞典』においてテウタテスとトウティオリクスで別項を立てている(マイヤー 2001, pp. 154, 157)。
- ^ CIL XIII, 7564 In h(onorem) d(omus) d(ivinae) / Apollini Tou/tiorigi / L(ucius) Marinius / Marinia/nus |(centurio) leg(ionis) VII / Gem(inae) [[Alexan]]/[[d[r]ianae]] vo/ti compos
- ^ a b バルディはバード、ドルイダエはドルイド。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。
- ^ ルカヌス 2012.
- ^ 「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.」(デュヴァル 2001, p. 628)
- ^ CIL VI, 31182 Petiganus / Placidus / Toutati / Medurini / votum sol/vet(!) anni/versarium
- ^ マイヤー 2001, p. 154.
出典
[編集]- カエサル(著)『ガリア戦記』近山金次(訳)、岩波書店、1968年。
- シェリダン・ギリー、ウィリアム・J・シールズ『イギリス宗教史 前ローマ時代から現代まで』法政大学出版局、2014年。ISBN 978-4-588-37122-6。
- アーサー・コットレル(著)『ビジュアル版 世界の神話百科 ギリシア・ローマ ケルト 北欧』松村一男、蔵持不三也、米原まり子(訳)、原書房、1999年。ISBN 4-562-03249-9。
- サイモン・ジェームズ(著)『図説ケルト』井村君江、吉岡晶子、渡辺充子(訳)、東京書籍、2000年。ISBN 4-487-79411-0。
- 鶴岡真弓、松村一男『図説 ケルトの歴史』河出書房、1999年。ISBN 4-309-72614-3。
- ポール=マリー・デュヴァル [ドイツ語版](著)イヴ・ボンヌフォワ(編)『世界神話大事典』大修館書店、2001年。ISBN 4-469-01265-3。
- スチュワート・ピゴット [英語版](著)『ケルトの賢者 「ドルイド」』鶴岡真弓(訳)、講談社、2000年。ISBN 4-06-209416-9。
- ベルンハルト・マイヤー [ドイツ語版](著)『ケルト辞典』鶴岡真弓、平島直一郎(訳)、創元社、2001年。ISBN 4-422-23004-2。
- プロインシァス・マッカーナ [イタリア語版](著)『ケルト神話』松田幸雄(訳)、青土社、1991年。ISBN 4-7917-5137-X。
- ルカヌス『内乱 : パルサリア』上、岩波書店、2012年。ISBN 978-4-00-321261-5。