コンテンツにスキップ

ツースマルスハウゼンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ツースマルスハウゼンの戦い
戦争三十年戦争
年月日1648年5月17日
場所バイエルン選帝侯領ツースマルスハウゼン
結果:フランス・スウェーデン連合軍の勝利
交戦勢力
スウェーデン スウェーデン・バルト帝国
フランス王国の旗 フランス王国
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領 バイエルン選帝侯領
指導者・指揮官
スウェーデン カール・グスタフ・ウランゲル英語版
フランス王国の旗 テュレンヌ子爵
神聖ローマ帝国の旗 ライモンド・モンテクッコリ
神聖ローマ帝国の旗 ヨスト・マクシミリアン・フォン・ブロンクホルスト=グロンスフェルトドイツ語版
神聖ローマ帝国の旗 ペーター・メランダー・フォン・ホルツァッペル英語版 
戦力
スウェーデン歩兵11,000
スウェーデン騎兵7,000
フランス軍8,000[1]
歩兵4,000
騎兵6,000[1]
損害
2,000[1]
三十年戦争

ツースマルスハウゼンの戦い(ツースマルスハウゼンのたたかい、英語: Battle of Zusmarshausen)は三十年戦争中の1648年5月17日神聖ローマ帝国スウェーデンフランスの間の戦闘。バイエルン選帝侯領ツースマルスハウゼンで戦われたこの戦闘において、スウェーデンとフランスの連合軍は勝利し、帝国軍は間一髪で全滅を免れた。

テュレンヌ子爵率いるフランス軍は大砲数門を鹵獲した後、スウェーデン軍と合流した。連合軍の人数は2万6千に上り、一方帝国軍は1万人しかいなかった[1]

この戦闘は三十年戦争の終盤の戦闘であり、ハプスブルク君主国神聖ローマ帝国の衰退、およびフランスの大国化を象徴した。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d Ericson Wolke, Lars m.fl.: Trettioåriga kriget - Europa i brand 1618-1648, sid. 174-175, Historiska Media, Lund 2006, ISBN 91-85377-37-6.

座標: 北緯48度24分01秒 東経10度35分48秒 / 北緯48.4002度 東経10.5967度 / 48.4002; 10.5967