コンテンツにスキップ

チハルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チハルタ

アブハジア自治共和国政府庁舎
チハルタの位置(アブハジア内)
チハルタ
チハルタ
チハルタの位置
チハルタの位置(ジョージア内)
チハルタ
チハルタ
チハルタ (ジョージア)
座標:北緯43度05分39秒 東経41度40分40秒 / 北緯43.0942度 東経41.6778度 / 43.0942; 41.6778
ジョージア (国)の旗 ジョージア
自治共和国 アブハジア自治共和国
地区 グルリプシ地区
テミ (თემი) アジャラ・テミ
標高 538 m
人口
(2002)[2]
 • 合計 140人
等時帯 UTC+4 (GET)
市外局番 448
地図チハルタの位置

チハルタグルジア語: ჩხალთაグルジア語ラテン翻字: Chkhaltaアブハズ語: Чҳалҭа)は、ジョージアアブハジア自治共和国グルリプシ地区村落

語源

[編集]

アブハズ語においてチハルタはかつて「チハラルタ」(アブハズ語: Ҽkhalarҭa)と呼ばれていた。「チハラルタ」はアブハズ語で「アチ」(アブハズ語: aҽy、「馬」の意味)と「アハラルタ」(アブハズ語: akhalarҭa、「登る場所」の意味)が合わさったものであり、「馬で登る場所」を意味する。新しい入植者によって訛りが生じたことで、現在の「チハルタ」(アブハズ語: Чҳалҭа)へと変化した[3]

地理

[編集]

チハルタはコドリ渓谷上流、コドリ川チハルタ川グルジア語版の合流点に位置する。チハルタ尾根グルジア語版の麓にあり、主コーカサス山脈ロシア語版を越える峠の入口である。チハルタからはマルヒ峠グルジア語版(標高2,748メートル)、ナハリ峠wikidata(標高2,885メートル)、クルホリ峠(標高2,781メートル)に向かうことができる[4]

家屋の大半は木造のバラックである。唯一のアクセス道路は陥没している部分が多く、馬か四輪駆動車が必要である。1年のうち8か月は道路が雪に覆われ、村への移動手段はヘリコプターに限られる。この地域は地震が多く、1963年7月16日にはマグニチュード6.4の地震が発生した。

人口

[編集]

1959年の調査では、チハルタの人口は196人であり、ジョージア人が中心の民族構成であった[5][6]。1989年の人口は157人[7]、同様にジョージア人(スヴァン人)が中心であった[8]。2002年にジョージア政府が実施した国勢調査では、チハルタの人口は140人であった[9]

人口 出典
1959 196 [5]
1989 157 [10]
2002 140 [9]

歴史

[編集]

スヴァン人の指導者エムザル・クヴィツィアニ英語版の出身地として知られ、1990年代からはクヴィツィアニ率いる武装組織「モナディレロシア語版」の本拠地となっていた。住民はブドウの栽培や養豚で暮らしていた[11]。ジョージア当局は2006年7月に武装組織を掃討し、チハルタにアブハジア亡命政府庁舎を設置してチハルタを上アブハジアの行政中心地とした。ジョージア政府は2006年9月からインフラ整備を進め、電話線の敷設や病院の改築を行い、学校、住宅、サッカー場、行政庁舎などを建設した[11]。また国家予算にて水力発電所、映画館、インターネットカフェなどの整備も行った。

2008年8月の南オセチア紛争にてアブハジア共和国軍が侵攻し、チハルタなど上アブハジアの支配権を獲得した[12]。その後、チハルタに居住していたジョージア人はコドリ渓谷から追放された。

参考文献

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ http://www.geonames.org/615156/chkhalta.html
  2. ^ საქართველოს მოსახლეობის 2002 წლის პირველი ეროვნული საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები (Report). საქართველოს სტატისტიკის სახელმწიფო დეპარტამენტი英語版. 2003. p. 25. {{cite report}}: |access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)
  3. ^ В. Е. Кварчия. Историческая и современная топонимия Абхазии. Историко-этимологический словарь топонимов Абхазии. О — Џ
  4. ^ "Известия Русского географического общества" (Т. XVI) (Известия Русского географического общества ed.). 1903: 53. doi:10.7868/s0869607118040072. ISSN 0869-6071 {{cite journal}}: Cite journalテンプレートでは|journal=引数は必須です。 (説明)
  5. ^ a b Всесоюзная перепись населения 1959. Сухумский район (вкл. современный Гульрипшский район). Сёла и преимущественные национальности
  6. ^ Этнокарта Абхазской АССР 1959
  7. ^ Всесоюзная перепись населения 1989. Абхазская АССР
  8. ^ Этноязыковые карты Абхазии в 1989. Коряков Ю. Б.
  9. ^ a b Перепись населения Грузии 2002
  10. ^ AII-USSR census 1989 in Abkhazian ASSR(ロシア語)(アブハズ語)
  11. ^ a b Schwirtz, Michael (2006年10月9日). “A Battle for Hearts and Minds Sets Off a Building Boom”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2006/10/09/world/asia/09georgia.html?n=Top%252FNews%252FWorld%252FCountries%2520and%2520Territories%252FGeorgia 2022年2月12日閲覧。 
  12. ^ Abkhazia says it controls most of Kodori Valley”. Trend News Agency (2008年8月12日). 2008年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月12日閲覧。