BiVi仙台駅東口
BiVi仙台駅東口 | |
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仙台駅東口広場からの外観 (2023年7月) | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒983-0852 宮城県仙台市宮城野区榴岡2丁目1-25 |
座標 | 北緯38度15分40秒 東経140度53分1.5秒 / 北緯38.26111度 東経140.883750度座標: 北緯38度15分40秒 東経140度53分1.5秒 / 北緯38.26111度 東経140.883750度 |
開業日 | 2004年(平成16年)9月 |
正式名称 | BiVi仙台駅東口 |
施設所有者 | ラオックス |
施設管理者 | 大和リース |
店舗数 | 30店 |
営業時間 | 店舗によって異なる |
駐車台数 | 259台 |
前身 | ラオックス仙台店 |
最寄駅 | 仙台駅 |
外部リンク | http://www.e-bivi.com/sendai/ |
B i V i |
BiVi仙台駅東口(ビビせんだいえきひがしぐち)は、宮城県仙台市宮城野区榴岡にある複合商業施設である。東日本旅客鉄道(JR東日本)仙台駅東口広場の北側にある。
概要
[編集]ラオックス仙台店として開業
[編集]家電量販店であるラオックスが国鉄清算事業団の所有する仙台駅東口の土地約4700m2を落札し、地上8階、地下1階の建物を建設。1998年11月26日に「ラオックス仙台店」を開業した。仙台店の開業に際して、ラオックスは史上最大規模の投資を行い、さらに地域のニーズを敏感に汲みあげるため、開業の前年、店舗を運営する東北ラオックスを新たに立ち上げた[1]。
ラオックスは2000年に、経営難となっていた仙台に本社を置く家電量販店の庄子デンキを子会社化し[2]、東北での攻勢を強めたがその後の業績悪化に伴い、2003年4月26日からは仙台店の売り場を1階部分だけに減床。情報家電販売に特化し、残りのフロアを貸し出した。しかし、その戦略も実を結ばず同年9月末で完全に閉店した。
BiVi仙台駅東口に
[編集]2004年1月、大和ハウス工業の子会社である大和工商リース(現:大和リース)がラオックスと土地と建物の一括賃貸契約(転貸LOC)を結び、全面改装の上で同年9月にBiVi仙台駅東口を開業した[3]。
BiVi仙台駅東口は飲食店を主体としたテナント構成となり[3]、地下1階にパチンコ、2階にゲームセンターと映画館、3階はカラオケとネットカフェが入る。5階から8階は24時間営業の駐車場で、この商業施設の利用者だけでなく、一般の利用者も駐車が可能であ、一定額の購入で駐車場のサービス券を発行する店舗もある。地下1階から地下通路を通って、仙台駅に接続している。
2009年8月には同じ仙台駅東口にあり2004年6月に開館した映画館チネ・ラヴィータがビル内に移転[4]、後述するように賃貸借契約満了により2024年3月31日で閉館した[4]。閉館後は、姉妹館のフォーラム仙台(青葉区木町通)に営業を集約する[4]。
沿革
[編集]- 1985年(昭和60年) - 国鉄仙石線の連続立体交差事業である仙台トンネル工事開始。
- 1988年(昭和63年) - 仙台駅東第二土地区画整理事業[5]施工。
- 1996年(平成8年)11月 - ラオックスが国鉄清算事業団の所有する仙台駅東口の土地約4700m2を落札。
- 1997年(平成9年)6月 - 東北ラオックス株式会社設立。
- 1998年(平成10年)11月 - ラオックス仙台店がオープン[6]。
- 2000年(平成12年)3月11日 - JR仙石線が地下化・開業。当ビルが仙台駅と仙台駅東西地下自由通路で繋がる。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2009年(平成21年)8月8日 - 2階に映画館「チネ・ラヴィータ」が移転オープン。
- 2024年(令和6年)3月31日 - 映画館チネ・ラヴィータが閉館[4]。
テナント
[編集]4階
[編集]3階
[編集]2階
[編集]- かつては2階の全フロアに渡って展開していた。
- サイゼリヤ(レストラン)
1階
[編集]- ラオックス仙台店開業時より存在するテナントである、かつてはラオックスからも入店できたがマクドナルドの店舗の縮小によりできなくなった。
地下1階
[編集]チネ・ラヴィータ
[編集]チネ・ラヴィータ Cine La Vita | |
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チネ・ラヴィータの入口(2018年3月撮影) | |
情報 | |
正式名称 | チネ・ラヴィータ[7] |
開館 | 2009年8月8日 |
閉館 | 2024年3月31日 |
最終公演 | 『RRR』 |
収容人員 | (3スクリーン)211人 |
設備 | ドルビーデジタル5.1ch、DLP |
用途 | 映画上映 |
運営 | フォーラムシネマネットワーク |
所在地 | BiVi仙台駅東口2階 |
チネ・ラヴィータ(Cine La Vita)は、BiVi仙台駅東口2階でフォーラムシネマネットワークが運営していたミニシアター(映画館)。館名はイタリア語で「映画のある生活」を意味している[8]。
1985年(昭和60年)7月6日、仙台市内で「仙台東宝劇場」「日乃出会館」を手掛けていた三和興行株式会社によって、同市東八番町73-2[注 1]にあった「宮城林産ビル」内に『仙台シネアート』(せんだいシネアート)として開業したのが始まりである[9]。ビルの2階にスクリーン1、4階にスクリーン2を有しており、座席数はSC1・2共に93席だった。
2000年(平成12年)12月にMOVIX仙台、2002年(平成14年)7月に仙台コロナシネマワールドがオープンし、仙台市内はシネマコンプレックスの時代に突入。競合の結果、三和興行は2004年(平成16年)5月28日をもってシネアートを閉館した[9]。
それから1週間後の2004年6月5日より、フォーラムシネマネットワークに経営譲渡され、館名を「チネ・ラヴィータ」に改める[10]。改称2か月後の同年8月には是枝裕和監督作『誰も知らない』が大ヒット[8]。先にオープンしたフォーラム仙台[注 2]と同様、ミニシアター系の作品を中心に上映するようになる。
2009年(平成21年)7月31日をもって、シネアート時代から使用していたビル内での営業を終了[7]。同年8月8日よりBiVi仙台駅東口2階に移転し、3スクリーン体制となって再スタートした[7]。以後、東日本大震災(2011年)や令和改元(2019年)、コロナ禍(2020年 - )を乗り越えて営業を続けたが、建物の賃貸借契約更新を理由に2024年(令和6年)3月31日をもって閉館。最終上映作は『RRR』(S・S・ラージャマウリ監督)[11]で、シネアート時代から通算して38年8か月の歴史にピリオドを打った。
宮城野区内には先述のコロナシネマワールドも存在していたが、先述の震災の影響で事実上営業が打ち切られており[12]、チネ・ラヴィータの閉館で宮城野区から映画館が全てなくなった。
スクリーン | 座席数 | 音響 | |
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初代(1985 - 2009) | 2代目(2009 - 2024)[7] | ||
1 | 93 | 64 | 5.1chデジタル |
2 | 93 | 64 | |
3 | 83 |
周辺
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『ラオックス70年史 : 1930-2000』p.130
- ^ 『ラオックス70年史 : 1930-2000』p.138
- ^ a b 「大和工商リース 駅前で地主 テナントを仲介」『日経産業新聞』 2004年12月30日
- ^ a b c d “映画館「チネ・ラヴィータ」3月末で閉館へ 仙台”. 河北新報 (2024年1月22日). 2024年1月22日閲覧。
- ^ 仙台駅東第二土地区画整理事業(仙台市)
- ^ a b c 仙台店を全面改装。異業種との複合店舗ビルに変身。(ラオックス 2003年2月28日)
- ^ a b c d “チネ・ラヴィータ”. 港町キネマ通り (2017年9月). 2017年10月20日閲覧。
- ^ a b c “【仙台】映画館『チネ・ラヴィータ』が3月末で閉館。そうだ、今こそミニシアターへ行こう!”. Ole!(オーレ). 第一エージェンシー (2024年2月22日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ a b 「仙台駅東口シネアート閉館 来年5月末 中心部またも“消灯”」『河北新報』2003年11月12日
- ^ 「仙台駅東口に新映画館 『チネ・ラヴィータ』あすオープン シネアート引継ぎ フォーラムが運営」『河北新報』2004年6月4日
- ^ “仙台駅東口の映画館「チネ・ラヴィータ」閉館 「残念でたまらない」ファン集う”. 河北新報 (河北新報社). (2024年3月31日) 2024年4月1日閲覧。
- ^ “仙台・複合娯楽施設「コロナ」大震災口実 解雇許さない バイト107人 労組結成”. しんぶん赤旗 (日本共産党中央委員会). (2011年6月20日) 2024年4月1日閲覧。
参考文献
[編集]- ラオックス株式会社編 『ラオックス70年史 : 1930-2000』 ラオックス、2000年。