ダン・アダムズ
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミズーリ州セントルイス |
生年月日 | 1887年6月19日 |
没年月日 | 1964年10月6日(77歳没) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
初出場 | 1914年5月22日 |
最終出場 | 1915年9月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ダン・アダムズ(Daniel Leslie "Doug" Adams, 1887年6月19日 - 1964年10月6日)は、MLBの投手。アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身。右投げ右打ち。愛称は"Rube"。
米国で1913年から1915年まで活動したフェデラル・リーグでのプレイ経験を有する、数少ない野球選手の1人である。
経歴
[編集]プロ入り後
[編集]- 1911年
- セントラル・アソシエーションの二球団で、合計36試合に登板。9勝を挙げるが、20敗を喫した。
- 1912年
- 前年同様セントラル・アソシエーションでプレイし、34試合で16勝を記録。一方、打撃でも11二塁打・8本塁打と長打を量産した。
- 1913年
- この年もセントラル・アソシエーションで13試合に登板。成績は6勝3敗だった。
- 1914年
- 5月22日に、カンザスシティ・パッカーズのメンバーとしてブルックリン・ティップトップス戦で先発登板し、メジャーデビュー。この試合では9回を2失点(1自責点)に抑え、完投勝利を達成。自身初登板で初白星を記録した。シーズンでは先発・リリーフの双方をこなし、36試合・136.0回・防御率3.51と一定の数字を残した。
- 1915年
- パッカーズで主にリリーフとして11試合に登板した。最初の5回の登板で15失点を喫するなど打ち込まれたことが響き、8月後半以降は調子を取り戻すものの、シーズン全体では0勝2敗・防御率4.63と低調な数字に終わった。
- 1916年
- マイナーリーグのイリノイ-インディアナ-アイオワ・リーグで、野手として37試合に出場した。しかし、78打数7安打・打率.090と結果を残せず、この年限りで現役を引退した。
現役引退後
[編集]詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1914 | KCP | 36 | 14 | 6 | 0 | 0 | 4 | 9 | 3 | -- | .308 | 576 | 136.0 | 141 | 3 | 52 | -- | 7 | 38 | 5 | 0 | 67 | 53 | 3.51 | 1.42 |
1915 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 150 | 35.0 | 41 | 2 | 13 | -- | 1 | 16 | 3 | 0 | 20 | 18 | 4.63 | 1.54 | |
MLB:2年 | 47 | 16 | 6 | 0 | 0 | 4 | 11 | 3 | -- | .267 | 726 | 171.0 | 182 | 5 | 65 | -- | 8 | 54 | 8 | 0 | 87 | 71 | 3.74 | 1.44 |
- 「-」は記録なし