ダルキース
ダルキース
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ダルキースを東側から俯瞰 | |
ミッドロージアンにおけるダルキースの位置 | |
人口 | 13,400人 [1] |
カウンシル・エリア | |
レフテナンシー・エリア | |
構成国 | スコットランド |
国 | イギリス |
郵便地域 | DALKEITH |
郵便番号 | EH22 |
市外局番 | 0131 |
欧州議会 | スコットランド |
英国議会 | |
スコットランド議会 | |
ダルキース(英語: Dalkeith, [dælˈkiːθ] dal-KEETH、スコットランド・ゲール語: Dail Cheith, [ˈt̪alˈçe])はイギリス、スコットランドのミッドロージアンにある街である。エスク川流域にあり[注 1]、北側には12世紀にダルキース城として築城され、バクルー公爵邸としての過去を持つダルキース・パレスが存在する。2011年時点での人口は12,342人である[2]。
ダルキースは中心部を含むダルキース本体、ヴィクトリア期のものを含む大きな家が多い東側のエスクバンク(英語: Eskbank)、公営住宅を中心とした西側のウッドバーン(英語: Woodburn)、ニューバトル修道院が所在する集落である南側のニューバトル(英語: Newbattle)の4つの地区に分けられる[3][4]。
ダルキースはミッドロージアンの行政の中心地である。また、フランス、シャラント県のコミューンであるジャルナックの姉妹都市となっている。
語源
[編集]Dalkeithはカンブリア語に由来するとされており、ウェールズ語のddôl(草原、高原、谷)とcoed(森)と同根である[5]。
歴史
[編集]ダルキースは14世紀のジャン・フロワサールの年代記に以下のように記されている[6]。
この本の著者である私は、若いころスコットランド中を旅し、エディンバラから5リーグの距離にある、これから触れるジェームズ・ダグラス伯[注 2]の父ウィリアム・ダグラス伯[注 3]の邸宅である、土地ではダルキースと呼ばれている城に15日間滞在した。その時私は若く美しい子供であったジェームズ伯と彼の妹であるブランシュ嬢と出会った。
1650年には第3次イングランド内戦の一環としてオリバー・クロムウェル率いる軍勢がダルキース城を占領し、スコットランド駐留軍の司令官となったジョージ・マンクはダルキース城を拠点としてスコットランドを治めた[7]。
17世紀のダルキースでは、幅の広いハイ・ストリートにおいて、スコットランド有数の規模の市が開かれていた[要出典]。
1831年にはエディンバラとを結ぶエディンバラ・アンド・ダルキース鉄道が開業し、石炭をはじめとする鉱物や農産物が主に輸送された。また、1853年には当時のスコットランドで最大の屋内コーン・エクスチェンジ(穀物市場)が建設された[8]。
ダルキースは1879年、ウィリアム・グラッドストンが再度の首相就任に向けたミッドロージアン・キャンペーンを開始する場所となった[要出典]。
主要な建造物
[編集]セント・ニコラス・バクルー共同教会(旧称: ダルキース教区教会)はハイ・ストリートにあるスコットランド国教会の教会で、ミラのニコラオスを記念している。初代ダルキース卿ジェームズ・ダグラスによって1404年に共同教会となった。身廊と袖廊は1854年に行われた内部の大改修の際のものである。袖廊の奥(東側)の内陣は1590年以降使われておらず、廃墟化している。クワイヤには初代モートン伯爵ジェームズ・ダグラスと妻のジョーアナ(ジェームズ1世の娘)が埋葬されており、石像が置かれている。このほか、ダルキースには同じくスコットランド国教会のセント・ジョンズ・アンド・キングズ・パーク教会、スコットランド聖公会のセント・メアリ―ズ教会[9]、カトリック教会のセント・デイヴィッズ教会がある。なお、セント・デイヴィッズ教会の建物は1854年竣工のA類指定建造物である[10]。また、モルモン教の集会所も存在する。
北端にあるダルキース・パレスは12世紀築城のダルキース城の跡に、16世紀末に建てられた。現在の建物は18世紀初頭に建て替えられたものである。
ハイ・ストリートのトルブースは18世紀前半に役場(トルブース)としての使用が開始され、建物の東半分が裁判所、西半分と地下が牢[注 4]となっていた。トルブースの前にはダルキース最後の公開絞首刑[注 5]が行われた場所が地面に記されている。
このほかの特筆すべき建造物としては墓地にある監視塔(1827年築)[12]や貯水塔、製鉄所(19世紀前半築)が挙げられる。
エスクバンクには継続教育カレッジであるエディンバラ・カレッジのミッドロージアン・キャンパスが所在する[13]。また、ダルキース北東端にはダルキース高校とセント・デイヴィッズ・ローマ・カトリック高校が入居するダルキース・キャンパスがある。
ミッドロージアン・コミュニティ病院はエスクバンクのすぐ西側、隣町のボニーリグの東端に位置している。
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コーン・エクスチェンジ[注 6]
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セント・ニコラス・バクルー教会
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セント・メアリ―ズ教会
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監視塔
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貯水塔
出身人物
[編集]- ロバート・スミス(1722年 - 1777年)- 建築家
- ロバート・エイトケン(1734年 - 1802年)- 出版人 アメリカ初の英語の聖書を出版
- ヘンリー・ダンダス(1742年 - 1811年)- 政治家
- ジョン・ケイ(1742年 - 1826年)- 画家
- デイヴィッド・マシェット(1772年 - 1847年)- 金属技師
- ロバート・ターンブル・マクファーソン(1814年 - 1872年)- 写真家
- ピーター・テイト(1831年 - 1901年)- 数理物理学者
- ジョン・アンダーソン(1882年 - 1958年)- 政治家 内務大臣、財務大臣
- ジェームズ・スタッグ(1900年 - 1975年)- 気象学者
- ボビー・スミス(1953年 - 2010年)- サッカー選手
- フィッシュ(1958年 - )- ロックシンガー
- ダレン・フレッチャー(1984年 - )- サッカー選手 スコットランド代表
交通
[編集]ダルキースには2008年に付け替えが行われるまで、エディンバラとダーリントンをジェドバラ経由で結ぶA68号線が通っていた。現在のA68号線は東側のバイパスを通過しており、ダルキースを貫く旧道はA6106号線となっている[14]。ダルキースの中を通る主な道路としては他に南西のピーブルス方面と北東のマッセルバラ方面とをつなぐA6094号線と、エスクバンクと西のローンヘッド方面とをつなぐA768号線があり、加えてエスクバンクの西端にはエディンバラとカーライルをつなぐ主要道路であるA7号線が通っている。
エディンバラ・アンド・ダルキース鉄道を起源の一つとするウェイヴァリー・ルートは1969年にビーチング・アックスの一環として廃止されたが、2015年9月6日、同線の一部がボーダーズ・レールウェイとして再開業し、エスクバンク駅が設けられている。
ダルキースのバス路線の多くはロージアン・バスズによって運行されている。このほか、イースト・コースト・バスズやボーダーズ・バスズもダルキースに乗り入れている。
スポーツ
[編集]サッカー
[編集]ダルキース・シッスル F.C.がダルキースを本拠地としている[15]。1892年設立であり、イースト・オブ・スコットランド・フットボールリーグに所属している。
ラグビー
[編集]ダルキースを本拠地とするラグビーチームにはイースト・リージョナル・リーグに所属するダルキースRFCがある。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Mid-2016 Population Estimates for Settlements and Localities in Scotland”. National Records of Scotland (12 March 2018). 30 December 2020閲覧。
- ^ “Dalkeith (Midlothian)”. 3 March 2014閲覧。
- ^ “Dalkeith and Woodburn – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
- ^ “Eskbank and Newbattle – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
- ^ Bethany Fox, 'The P-Celtic Place-Names of North-East England and South-East Scotland', The Heroic Age, 10 (2007), http://www.heroicage.org/issues/10/fox.html (appendix at http://www.heroicage.org/issues/10/fox-appendix.html).
- ^ Froissart, Jean (1978) (英語 (原文はフランス語)). Chronicles of England France, Spain, etc.. Penguin Classics. ISBN 0-14-044200-6. "I, author of this book, in my youth had ridden nigh over all the realm of Scotland, and I was then fifteen days in the house of earl William Douglas, father to the same earl James, of whom I spake of now, in a castle of five leagues from Edinburgh which is called in the country Dalkeith. The same time I saw there this earl James, a fair young child, and a sister of his called the lady Blanche."
- ^ “The History of Dalkeith House and Estate” (PDF). 13 December 2011閲覧。
- ^ “.... Corn Exchange Dalkeith”. 13 December 2011閲覧。
- ^ “St Mary's, Dalkeith – – the church in the park”. 2016年3月4日閲覧。
- ^ St David's Dalkeith from Scotland's Churches Trust retrieved 14 March 2014
- ^ “British Executions - William Thomson - 1827” (英語). British Executions. 2020年8月7日閲覧。
- ^ “Dalkeith, Old Edinburgh Road, New Burial Ground, Watch Tower”. 16 January 2014閲覧。
- ^ Our Campuses: Midlothian, Edinburgh College
- ^ “All – Projects – Transport Scotland”. 11 April 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月25日閲覧。
- ^ Home, Dalkeith Thistle FC