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ダルキース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダルキース

ダルキースを東側から俯瞰 地図
ダルキースの位置(ミッドロージアン内)
ダルキース
ダルキース
ミッドロージアンにおけるダルキースの位置
人口13,400人 [1]
カウンシル・エリア
レフテナンシー・エリア
構成国スコットランドの旗 スコットランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域DALKEITH
郵便番号EH22
市外局番0131
欧州議会スコットランド
英国議会
スコットランド議会
場所一覧
イギリス
スコットランド
北緯55度53分45秒 西経3度03分30秒 / 北緯55.8958度 西経3.0583度 / 55.8958; -3.0583座標: 北緯55度53分45秒 西経3度03分30秒 / 北緯55.8958度 西経3.0583度 / 55.8958; -3.0583
ダルキース・パレス英語版
ハイ・ストリート

ダルキース英語: Dalkeith, [dælˈkθ] dal-KEETHスコットランド・ゲール語: Dail Cheith, [ˈt̪alˈçe])はイギリススコットランドミッドロージアンにある街である。エスク川英語版流域にあり[注 1]、北側には12世紀にダルキース城として築城され、バクルー公爵邸としての過去を持つダルキース・パレス英語版が存在する。2011年時点での人口は12,342人である[2]

ダルキースは中心部を含むダルキース本体、ヴィクトリア期のものを含む大きな家が多い東側のエスクバンク英語: Eskbank)、公営住宅を中心とした西側のウッドバーン英語: Woodburn)、ニューバトル修道院英語版が所在する集落である南側のニューバトル英語版英語: Newbattle)の4つの地区に分けられる[3][4]

ダルキースはミッドロージアンの行政の中心地である。また、フランスシャラント県コミューンであるジャルナック英語版姉妹都市となっている。

語源

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Dalkeithカンブリア語に由来するとされており、ウェールズ語のddôl(草原、高原、谷)とcoed(森)と同根である[5]

歴史

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ダルキースは14世紀のジャン・フロワサールの年代記に以下のように記されている[6]

この本の著者である私は、若いころスコットランド中を旅し、エディンバラから5リーグの距離にある、これから触れるジェームズ・ダグラス伯英語版[注 2]の父ウィリアム・ダグラス伯英語版[注 3]の邸宅である、土地ではダルキースと呼ばれている城に15日間滞在した。その時私は若く美しい子供であったジェームズ伯と彼の妹であるブランシュ嬢と出会った。

1650年には第3次イングランド内戦の一環としてオリバー・クロムウェル率いる軍勢がダルキース城を占領し、スコットランド駐留軍の司令官となったジョージ・マンクはダルキース城を拠点としてスコットランドを治めた[7]

17世紀のダルキースでは、幅の広いハイ・ストリートにおいて、スコットランド有数の規模のが開かれていた[要出典]

1831年にはエディンバラとを結ぶエディンバラ・アンド・ダルキース鉄道英語版が開業し、石炭をはじめとする鉱物や農産物が主に輸送された。また、1853年には当時のスコットランドで最大の屋内コーン・エクスチェンジ英語版穀物市場)が建設された[8]

ダルキースは1879年、ウィリアム・グラッドストンが再度の首相就任に向けたミッドロージアン・キャンペーンを開始する場所となった[要出典]

主要な建造物

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セント・ニコラス・バクルー共同教会英語版(旧称: ダルキース教区教会)はハイ・ストリートにあるスコットランド国教会の教会で、ミラのニコラオスを記念している。初代ダルキースジェームズ・ダグラス英語版によって1404年に共同教会となった。身廊袖廊は1854年に行われた内部の大改修の際のものである。袖廊の奥(東側)の内陣は1590年以降使われておらず、廃墟化している。クワイヤには初代モートン伯爵ジェームズ・ダグラス英語版と妻のジョーアナ英語版(ジェームズ1世の娘)が埋葬されており、石像が置かれている。このほか、ダルキースには同じくスコットランド国教会のセント・ジョンズ・アンド・キングズ・パーク教会、スコットランド聖公会のセント・メアリ―ズ教会[9]カトリック教会セント・デイヴィッズ教会英語版がある。なお、セント・デイヴィッズ教会の建物は1854年竣工のA類指定建造物である[10]。また、モルモン教の集会所も存在する。

北端にあるダルキース・パレス英語版は12世紀築城のダルキース城の跡に、16世紀末に建てられた。現在の建物は18世紀初頭に建て替えられたものである。

ハイ・ストリートのトルブースは18世紀前半に役場トルブース英語版)としての使用が開始され、建物の東半分が裁判所、西半分と地下が[注 4]となっていた。トルブースの前にはダルキース最後の公開絞首刑[注 5]が行われた場所が地面に記されている。

このほかの特筆すべき建造物としては墓地にある監視塔(1827年築)[12]や貯水塔、製鉄所(19世紀前半築)が挙げられる。

エスクバンクには継続教育カレッジであるエディンバラ・カレッジ英語版のミッドロージアン・キャンパスが所在する[13]。また、ダルキース北東端にはダルキース高校英語版セント・デイヴィッズ・ローマ・カトリック高校英語版が入居するダルキース・キャンパスがある。

ミッドロージアン・コミュニティ病院英語版はエスクバンクのすぐ西側、隣町のボニーリグ英語版の東端に位置している。

出身人物

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交通

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ダルキースには2008年に付け替えが行われるまで、エディンバラとダーリントンジェドバラ経由で結ぶA68号線英語版が通っていた。現在のA68号線は東側のバイパスを通過しており、ダルキースを貫く旧道はA6106号線となっている[14]。ダルキースの中を通る主な道路としては他に南西のピーブルス英語版方面と北東のマッセルバラ英語版方面とをつなぐA6094号線と、エスクバンクと西のローンヘッド英語版方面とをつなぐA768号線があり、加えてエスクバンクの西端にはエディンバラとカーライルをつなぐ主要道路であるA7号線英語版が通っている。

エディンバラ・アンド・ダルキース鉄道を起源の一つとするウェイヴァリー・ルート英語版は1969年にビーチング・アックスの一環として廃止されたが、2015年9月6日、同線の一部がボーダーズ・レールウェイとして再開業し、エスクバンク駅英語版が設けられている。

ダルキースのバス路線の多くはロージアン・バスズ英語版によって運行されている。このほか、イースト・コースト・バスズ英語版ボーダーズ・バスズ英語版もダルキースに乗り入れている。

スポーツ

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サッカー

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ダルキース・シッスル F.C.英語版がダルキースを本拠地としている[15]。1892年設立であり、イースト・オブ・スコットランド・フットボールリーグ英語版に所属している。

ラグビー

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ダルキースを本拠地とするラグビーチームにはイースト・リージョナル・リーグ英語版に所属するダルキースRFC英語版がある。

脚注

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注釈

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  1. ^ 中心部はダルキースの北約1 kmの地点で合流するサウス・エスク川とノース・エスク川の間に位置する。
  2. ^ 第2代ダグラス伯爵英語版
  3. ^ 初代ダグラス伯爵
  4. ^ 地下牢はブラック・ホールと呼ばれる。
  5. ^ 1827年に追剥ぎのウィリアム・トムソンに対して行われた[11]
  6. ^ 1853年築。デイヴィッド・カズン英語版設計。

出典

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  1. ^ Mid-2016 Population Estimates for Settlements and Localities in Scotland”. National Records of Scotland (12 March 2018). 30 December 2020閲覧。
  2. ^ Dalkeith (Midlothian)”. 3 March 2014閲覧。
  3. ^ Dalkeith and Woodburn – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
  4. ^ Eskbank and Newbattle – Neighbourhood Profile”. Government of the United Kingdom. 2020年1月15日閲覧。
  5. ^ Bethany Fox, 'The P-Celtic Place-Names of North-East England and South-East Scotland', The Heroic Age, 10 (2007), http://www.heroicage.org/issues/10/fox.html (appendix at http://www.heroicage.org/issues/10/fox-appendix.html).
  6. ^ Froissart, Jean (1978) (英語 (原文はフランス語)). Chronicles of England France, Spain, etc.. Penguin Classics. ISBN 0-14-044200-6. "I, author of this book, in my youth had ridden nigh over all the realm of Scotland, and I was then fifteen days in the house of earl William Douglas, father to the same earl James, of whom I spake of now, in a castle of five leagues from Edinburgh which is called in the country Dalkeith. The same time I saw there this earl James, a fair young child, and a sister of his called the lady Blanche." 
  7. ^ The History of Dalkeith House and Estate” (PDF). 13 December 2011閲覧。
  8. ^ .... Corn Exchange Dalkeith”. 13 December 2011閲覧。
  9. ^ St Mary's, Dalkeith – – the church in the park”. 2016年3月4日閲覧。
  10. ^ St David's Dalkeith from Scotland's Churches Trust retrieved 14 March 2014
  11. ^ British Executions - William Thomson - 1827” (英語). British Executions. 2020年8月7日閲覧。
  12. ^ Dalkeith, Old Edinburgh Road, New Burial Ground, Watch Tower”. 16 January 2014閲覧。
  13. ^ Our Campuses: Midlothian, Edinburgh College
  14. ^ All – Projects – Transport Scotland”. 11 April 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月25日閲覧。
  15. ^ Home, Dalkeith Thistle FC