ダリル・シモンズ
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ダリル・シモンズ Daryl Simmons | |
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出生名 | Daryl L. Simmons |
生誕 |
1957年4月11日(67歳) アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス |
ジャンル |
R&B ポップ ソウル ニュージャックスウィング ダンス・ポップ ソフトロック |
職業 |
ミュージシャン ソングライター 音楽プロデューサー 音楽コンサルタント バックグラウンド・ボーカリスト |
活動期間 | 1977年 - 現在 |
レーベル |
ラフェイス・レコーズ (LaFace Records) サイレント・パートナー・プロダクションズ (Silent Partner Productions) ワーナー/チャペル・ミュージック (Warner/Chappell Music) |
公式サイト |
www |
ダリル・シモンズ(Daryl Simmons、1957年4月11日[1] - )は、アメリカ合衆国のR&Bミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー[2]。L・A・リード (L.A. Reid) とケネス・"ベイビーフェイス"・エドモンズによるプロデューサー・チーム(LA&ベイビーフェイス)と活動を共にしていた。
ボーイズIIメンの「エンド・オブ・ザ・ロード」(End of the Road)、キャリン・ホワイトの「スーパーウーマン」(Superwoman)、トニ・ブラクストンの「熱い吐息」(Breathe Again)、テヴィン・キャンベルの「アイム・レディ」(I'm Ready)、TLCの「ベイビー・ベイビー・ベイビー」(Baby-Baby-Baby)、ジョニー・ギルの「マイ・マイ・マイ」(My, My, My)、ドゥルー・ヒル (Dru Hill) の「ウィアー・ノット・メイキング・ラヴ・ノー・モア」(We're Not Making Love No More)、ホイットニー・ヒューストンの「クイーン・オブ・ザ・ナイト」(Queen of the Night)といった楽曲に関わっている[3]。
受賞・ノミネート記録
[編集]グラミー賞
年 | 作品 | 部門 | 結果 |
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1989年 (第31回グラミー賞) |
「ドント・ビー・クルエル」 - "Don't Be Cruel" (歌唱・ボビー・ブラウン) |
最優秀R&Bソング | ノミネート |
1990年 (第32回グラミー賞) |
「スーパーウーマン」 - "Superwoman" (歌唱・キャリン・ホワイト) |
最優秀R&Bソング | ノミネート |
1991年(第33回) | 「マイ・マイ・マイ」 - "My, My, My" (歌唱・ジョニー・ギル) |
最優秀R&Bソング | ノミネート |
1993年(第35回) | 「エンド・オブ・ザ・ロード」 - "End of the Road" (歌唱・ボーイズIIメン) |
最優秀R&Bソング | 受賞 |
1994年(第36回) | 「きみに聞いてほしいことがある」 - "Can We Talk" (歌唱・テヴィン・キャンベル) |
最優秀R&Bソング | ノミネート |
1995年(第37回) | 「ユー・ミーン・ザ・ワールド・トゥ・ミー」 - "You Mean the World to Me" (歌唱・トニ・ブラクストン) |
最優秀R&Bソング | ノミネート |
脚注
[編集]- ^ Kaufman, Gil. “Daryl Simmons” (英語). MTV News. 2020年6月23日閲覧。
- ^ Jon Pareles. "Eric Clapton Wins 6 Grammys With His 'Unplugged' Album", The New York Times, February 25, 1993. Retrieved on 2008-07-23.
- ^ “INTERVIEW: Grammy-Winning Songwriter & Producer Daryl Simmons Reflects Upon His Hit-Making Career” (英語). Albumism 2018年11月14日閲覧。