ダイアン・マーチン
ダイアン・マーチン | |
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本名 | ダイアン・川口・マーチン[1][2] |
生年月日 | 1961年12月19日(63歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 |
身長 | 168 cm[1] |
職業 | 女優、モデル |
ジャンル | テレビドラマ |
主な作品 | |
テレビドラマ 『バトルフィーバーJ』 |
ダイアン・マーチン(Diane Martin、1961年12月19日[3][1] - )は、日本で活動していた元女優・モデル。
アメリカ合衆国出身[1]。アメリカンスクール・イン・ジャパン卒業[1]。スカイコーポレーションに所属していた[1]。
来歴・人物
[編集]父はアメリカ人、母は日本人[2]。父の仕事の関係で、12歳の時に父に付いて来日。アメリカンスクールを卒業後、モデルとして活動[2]。
元は、スーパー戦隊シリーズのスポンサーであった後楽園ゆうえんちのキャンペーンガールとして活動していた[4]。
1979年、スーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(テレビ朝日)の制作にあたり、東映の常務渡邊亮徳は当時のアグネス・ラム人気にあやかって、ミスアメリカ役にアメリカ人の美女を起用するよう指示を出した。そうした経緯で、マーチンは本名と同じ「ダイアン・マーチン」の役名で同作に登場することになった[4][注釈 1]。
『バトルフィーバーJ』放送当時は日本語があまり得意でなく、マーチンのセリフは、ミスアメリカの初代スーツアクトレスであった小牧リサが吹き替えをしていた[4][注釈 2]。小牧に代わってミスアメリカのスーツアクトレスを担当した小野寺えい子は、「低めの声で、片言の日本語を話していた記憶がある」と述べている[6]。共演者の倉知成満(当時・倉知雄平)は、日本語が苦手だったために撮影現場ではローマ字による筆談でコミュケーションを取っていたと語っている[7]。同じく共演者の大葉健二は、D.マーチンについて「モデルだけあって、立っているだけで絵になる方。立ち姿はとても参考になった」と語っている[8]。
番組が半年予定が4クールに延長になり、後半のスケジュールを合わせられなくなったため第24話で途中降板している[4]。
スポーツが得意で、特に水泳と陸上競技が得意[2]。姉と弟がいる[2]。
出演
[編集]テレビドラマ
[編集]その他
[編集]- 大正週間漫画 ゲラゲラ45(ANB)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 『日本タレント名鑑'80』VIPタイムズ社、1979年、311頁。
- ^ a b c d e 週刊テレビ番組(東京ポスト)1979年4月13日号 p.22
- ^ “ダイアン・マーチンのプロフィール”. エキサイトニュース. 2020年11月4日閲覧。
- ^ a b c d 東映スーパー戦隊大全 2003, p. 11, 吉川進 スペシャルインタビュー
- ^ 東映スーパー戦隊大全 2003, p. 61.
- ^ 『東映ヒーローMAX』VOLUME 10、辰巳出版、2004年9月10日、80頁、ISBN 4-7778-0061-X。
- ^ 「SPECIAL INTERVIEW'79 倉知成満」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1979 バトルフィーバーJ》講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2019年1月10日、20-21頁。ISBN 978-4-06-513705-5。
- ^ 東映スーパー戦隊大全 2003, p. 78, 大葉健二 スペシャルインタビュー.
参考文献
[編集]- 安藤幹夫(編) 編『東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界』双葉社、2003年。