ダイアナ・ウィンヤード
ダイアナ・ウィンヤード | |
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Diana Wynyard | |
ウィンヤード(1933年) | |
生誕 |
Dorothy Isobel Cox 1906年1月16日 イングランド ロンドン、ルイシャム |
死没 |
1964年5月13日 (58歳没) イングランド ロンドン、ホルボーン |
活動期間 | 1928年 - 1960年 |
配偶者 |
ダイアナ・ウィンヤード(Diana Wynyard, CBE、1906年1月16日 - 1964年5月13日)は、イギリスの女優である。
生涯
[編集]1906年1月16日、ロンドン南部のルイシャムでドロシー・イゾベル・コックス(Dorothy Isobel Cox)として生まれた[1]。
リバプールのリバプール・レパートリー劇団とロンドンのハミルトン・ディーン・レパートリー劇団で舞台に立った後[2]、渡米してブロードウェイの舞台に立ち、1932年の『怪僧ラスプーチン』でバリモア三兄弟(ライオネル、エセル、ジョン)と共演した。この舞台の映画化作品にも出演した。
1933年、フォックス・フィルムは、大ヒットした舞台劇『カヴァルケード』を映画化するに当たり、ウィンヤードを主役に起用した。この作品で、ウィンヤードはイギリス人女優では初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。その後、『ウィーンの再会』(1933年)でジョン・バリモアの相手役を演じるなど、ハリウッドで数本の映画に出演した後、イギリスに戻った。
帰国後は映画への出演はせず舞台に専念し、クレマンス・デイン作『ワイルド・ディセンバー』(シャーロット・ブロンテ役)、『スウィート・アロエ』、ノエル・カワード作『生活の設計』の初演(ジルダ役)などに出演した。
1939年、ブライアン・デズモンド・ハースト監督の"On the Night of the Fire"でラルフ・リチャードソンの相手役として映画に復帰した。パトリック・ハミルトンの同名の戯曲を初めて映画化した1940年の『ガス燈』でヒロインを演じ、この作品はウィンヤードの代表作となった。1941年には、"Freedom Radio"でクライヴ・ブルックと、"The Prime Minister"でジョン・ギールグッドと、"Kipps"でマイケル・レッドグレイヴと共演した。"Kipps"の監督を務めたキャロル・リードとは1943年に結婚した。
第二次世界大戦後は舞台の世界でより活躍するようになり、ストラトフォードのロイヤル・シェイクスピア・シアター、ロンドンのウェスト・エンド・シアター、およびオーストラリア公演でシェイクスピア劇の主要な役を務めた。1948年から1952年にかけて、『ヴェニスの商人』のポーシャ、『ハムレット』のガートルード、『マクベス』のマクベス夫人、『じゃじゃ馬ならし』のキャタリーナ、『オセロー』のデズデモーナ、『ヘンリー八世』の王妃キャサリン、『冬物語』のハーマイオニ、『空騒ぎ』のベアトリスを演じた。これらは、友人のペギー・アシュクロフトの跡を継いだものである。1948年、『マクベス』を演じているときに躓いて約1.5メートルの高さの舞台から落下したが、演技は続けた。またこの時期には、テネシー・ウィリアムズの『カミノ・レアル』のイギリスでの上演など、現代の作家の作品でも成功を収めた。
一方で映画は、オスカー・ワイルドの戯曲を原作としたアレクサンダー・コルダ監督の作品『理想の夫』(1947年)で主役チルターンの妻ガートルードを演じた他は、脇役での出演のみとなり、『トム・ブラウンの学生時代』(1951年)や『日のあたる島』(1957年)など、その多くは母親役だった。オードリー・ヘプバーン主演のアメリカのテレビ映画『マイヤーリング』(1957年)ではオーストリア皇后エリーザベトを演じた。1958年には、ウェスト・エンド・シアターでN・C・ハンター作の"A Touch of the Sun"に出演した。
1953年、大英帝国勲章コマンダー(CBE)に叙せられた[3]。
1964年5月13日、マイケル・レッドグレイヴやマギー・スミスらとともにロイヤル・ナショナル・シアターでの舞台"The Master Builder"の稽古期間中に、ロンドンのホルボーンで腎臓病により死去した。セリア・ジョンソンがウィンヤードの代役を務めた[4]。1964年3月にテレビドラマ"The Man in the Panama Hat"の収録をしており、同年5月に放送予定だったが、その前にウィンヤードが死去したため、放送が同年9月21日まで延期された。
私生活
[編集]1943年2月3日にイギリスの映画監督キャロル・リードと結婚した[5]が、1947年8月に離婚した。その後、1951年にハンガリー出身の医師Tibor Csatoと結婚した[6]が、1958年に離婚した。
出演歴
[編集]映画
[編集]年 | 作品名 | 役名 | 備考 |
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1932 | 怪僧ラスプーチン Rasputin and the Empress |
Princess Natasha | |
1933 | カヴァルケード Cavalcade |
Jane Marryot | アカデミー主演女優賞ノミネート 邦題は『大帝国行進曲』とも |
男子戦わざる可らず Men Must Fight |
Laura Mattson Seward | 主演 | |
ウィーンの再会 Reunion in Vienna |
Elena Krug | 主演 邦題は『維納の再会』とも | |
1934 | Where Sinners Meet | Anne | 主演 |
Let's Try Again | Alice Overton | 主演 | |
女は求む One More River |
Clare Corven | 主演 | |
1939 | On the Night of the Fire | Kit Kobling | 主演 |
1940 | ガス燈 Gaslight |
Bella Mallen | 主演 |
1941 | Freedom Radio | Irena Roder | 主演 |
The Prime Minister | Mary Disraeli | 主演 | |
Kipps | Helen Walshingham | 主演 | |
1947 | 理想の夫 An Ideal Husband |
Gertrude, Lady Chiltern | |
1951 | トム・ブラウンの学生時代 Tom Brown's Schooldays |
Mrs Thomas Arnold | |
1956 | The Feminine Touch | Matron | |
1957 | 日のあたる島 Island in the Sun |
Mrs. Fleury | |
マイヤーリング Mayerling |
The Empress Elizabeth | テレビ映画 |
舞台
[編集]主な作品
年 | 作品名 | 作者 | 役名 |
---|---|---|---|
1929 | Sorry You've Been Troubled | ウォルター・C・ハケット | |
1931 | Lean Harvest | ロナルド・ジーンズ | |
1937 | ピグマリオン Pygmalion |
ジョージ・バーナード・ショー | |
1942 | ラインの監視 Watch on the Rhine |
リリアン・ヘルマン | |
1945 | The Wind of Heaven | エムリン・ウィリアムズ | |
1957 | カミノ・レアル Camino Real |
テネシー・ウィリアムズ | |
1958 | A Touch of the Sun | N・C・ハンター |
脚注
[編集]- ^ Shaw, Bernard; Pascal, Gabriel (1996) (英語). Bernard Shaw and Gabriel Pascal. University of Toronto Press. p. 16. ISBN 9780802030023 30 April 2017閲覧。
- ^ Endres, Stacey; Cushman, Robert (2009) (英語). Hollywood at Your Feet: The Story of the World-Famous Chinese Theater. Pomegranate Press. ISBN 9780938817642 30 April 2017閲覧。
- ^ Notice of CBE
- ^ “DIANA WYNYARD, ACTRESS, IS DEAD; British Star, 58, Appeared in 'Cavalcade' in '30's”. The New York Times. (1964年5月14日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。 2022年7月6日閲覧。
- ^ “DIANA WYNYARD PLANS MARRIAGE IN LONDON; British Actress to Be the Bride Today of Carol Reed, Director”. The New York Times. (1943年2月3日). オリジナルの2018年3月12日時点におけるアーカイブ。 2022年7月6日閲覧。
- ^ Field, Ellie. “Who is Diana Wynyard?”. National Museums Liverpool. 2022年7月6日閲覧。