タンクレーディ (バーリ公)
表示
タンクレーディ Tancredi | |
---|---|
バーリ公 ターラント公 | |
在位 | 1132年 - 1138年 |
出生 |
1119年ごろ |
死去 |
1138/40年3月16日 |
家名 | オートヴィル家 |
父親 | シチリア王ルッジェーロ2世 |
母親 | エルビラ・デ・カスティーリャ |
タンクレーディ・ダルタヴィッラ(イタリア語:Tancredi d'Altavilla, 1119年ごろ - 1138/40年3月16日)[1]は、シチリア王ルッジェーロ2世とその最初の妃エルビラ・デ・カスティーリャの次男で、バーリ公およびターラント公(在位:1132年 - 1138年)。
生涯
[編集]タンクレーディは1132年にバーリ公グリモアルドの反乱により、代わってバーリ公とされた。この時タンクレーディは13歳もしくは14歳であった。成人後、タンクーレディは兄プッリャ公ルッジェーロ3世および弟カプア公アルフォンスとともに半島における父王の代官となり、父王はほとんどシチリアにとどまっていた。
タンクレーディは1138年から1140年の間に若くして死去した。弟グリエルモがタンクレーディの領地と称号を引き継いだ。シチリアの詩人Abū l-Ḍawʾ作の哀歌『フランク人ルッジェーロの息子、シチリアの領主』は、登場するこの息子が軍人になったばかりの若い男性であることから、タンクレーディのことである可能性が高く、あるいは弟アルフォンスの可能性もある[2]。
脚注
[編集]- ^ Grierson, Blackburn & Travaini, p. 103.
- ^ Johns 2002, pp. 88–89.
参考文献
[編集]- Grierson, Philip; Blackburn, Mark A. S.; Travaini, Lucia (1998). Medieval European Coinage. Vol. 14: Italy (III) (South Italy, Sicily, Sardinia). Cambridge: Cambridge University Press
- Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West. Cambridge: Cambridge University Press
- Jamison, Evelyn (1913). “The Norman Administration of Apulia and Capua, more especially under Roger II and William I, 1127–66”. Papers of the British School at Rome 6: 211–481. doi:10.1017/s006824620000132x .
- Johns, Jeremy (2002). Arabic Administration in Norman Sicily: The Royal Dīwān. Cambridge University Press
- Matthew, Donald (1992). The Norman Kingdom of Sicily. Cambridge: Cambridge University Press
- Takayama, Hiroshi (1993). The Administration of the Norman Kingdom of Sicily. Leiden: E. J. Brill
|
|
|