タレーラン=ペリゴール家
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タレーラン=ペリゴール家 House of Talleyrand-Périgord Maison de Talleyrand-Périgord | |
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名の由来 | 所領の地名 |
民族 |
フランス人 |
出身地 | ペリゴール |
根拠地 | ヴァランセ城 |
現居住地 | 断絶 |
家祖 | ラ・マルシュ公ボソ1世 |
著名な人物 | シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール |
タレーラン=ペリゴール家(仏: Maison de Talleyrand-Périgord)は、フランスの貴族の家系である。特に著名な人物にフランス革命期の外交官・政治家シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754年 - 1838年)がいる。2003年にヴィオレット・ド・タレーラン=ペリゴールが亡くなったことで断絶した。
起源
[編集]タレーラン=ペリゴール家はペリゴール領主の分家であり、家名は領地に由来する。ラ・マルシュ伯ボソ1世まで遡ることができる。タレーラン=ペリゴールを最初に名乗ったのは、1100年代のエリー・ド・タレーランである。
タレーラン=ペリゴール家の家訓は "Re que Diou"(「ただ神のみ」)であった。彼らの祖先はフランス王国の貴族であり、ユーグ・カペーをフランス王として推挙した。ユーグがボソに"Mais qui donc t'as fait comte?" (「それにしても、誰があなたに私を推挙させたのか?」)と問うたところ、ボソは "Ceux là même qui t'ont fait Roi." (「あなたを王とした者たちです」)と答えたという逸話がある。それゆえ、ペリゴール家は自らを王と等しいものと考えていた。
著名な人物
[編集]- エリー・ド・タレーラン=ペリゴール (枢機卿)(1301年 – 1364年):オセール司教、枢機卿
- アンリ・ド・タレーラン=ペリゴール(1599年 - 1626年):シャレー伯
- アレクサンドル・アンジェリーク・ド・タレーラン=ペリゴール(1736年 - 1821年):パリ大司教、枢機卿
- シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754年 - 1838年):ベネヴェント公子、のちタレーラン公子
- エリー・ド・タレーラン=ペリゴール (サガン公爵)(1859年 - 1937年):ザーガン公子、のちザーガン公爵
系図
[編集]「我が家系は、3代にわたって母から息子に受け継がれている。我は王の曾孫にして司教の孫、女王の息子にして皇帝の兄弟である。」 - シャルル・ド・モルニー
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール (1754–1838)、司教・外交官・政治家・ベネヴェント公子 x アデライード・ド・フラオ (父はフラオ伯ではなく、ルイ15世であるとも言われる) │ ├──> シャルル・ド・フラオ (1785–1870) 非嫡出子、フラオ伯・政治家 │ x アンナ・ポトツカ (Anna Potocka) │ │ │ ├──> ? (非嫡出子、ポニャトフスキ家も参照) │ │ │ x オルタンス・ド・ボアルネ (1783–1837) │ │ │ └──> シャルル・ド・モルニー (1811–1865) 非嫡出子、政治家 │ x ロドジア・ゼレウスカ (Lodzia Zelewska) │ │ │ ├──> ジョルジュ・フェドー (Georges Feydeau、1862–1921) 非嫡出子(父親に異説あり)、劇作家 │ │ │ x ファニー・モーゼルマン (Fanny Mosselman) │ │ │ └──> ルイーズ・ル・オン (Louise Le Hon) 非嫡出子、ポニャトフスキ家も参照 │ x シャルル・ドラクロワの妻 │ ├──> ウジェーヌ・ドラクロワ (1798–1863) 非嫡出子(父親に異説あり)、画家 │ x ドロテア・フォン・ビロン (1793–1862)、ディーノ公爵夫人、ザーガン公爵夫人 │ └──> ジョセフィーヌ・ポーリーヌ (Joséphine Pauline, 1820–1890) 非嫡出子(父親に異説あり) x (1839) アンリ・ド・カステラーヌ (Henri de Castellane. 1814–1847)
第一分家
[編集]オーギュスタン・マリー・エリ・シャルル (Augustin Marie Elie Charles 1788- )、ペリゴール公爵 x (1807) マリー・ド・ショワズール=プララン (Marie de Choiseul-Praslin, 1789–1866) │ ├──> エリ・ロジェ・ルイ (Elie Roger Louis, 1809)、カレー公子 │ x エロディー・ド・ボーヴィリエ・ド・サン=テニャン (Elodie de Beauvilliers de Saint-Aignan, -1835) │ └──> ポール・アダルベール・ルネ (Paul Adalbert René, 1811生)、ペリゴール伯 x アミシー・ルソー・ド・サン=テニャン (Amicie Rousseau de Saint-Aignan, -1854) │ └──> Cécile Marie (08.01.1854-11.12.1890 à Pau) x 10.05.1873 Gaston marquis de Brassac, prince de Béarn (source dates: page de garde du Formulaire de Prières de la princesse Cécile) │ └──> Blanche (source: idem) Henri prince de Béarn et autres: voir https://web.archive.org/web/20080111075617/http://web.genealogie.free.fr/Les_dynasties/Les_dynasties_celebres/France/Dynastie_de_Galard_de_Bearn.htm
第二分家
[編集]アレクサンドル・エドモン (Alexandre Edmond, 1787–1872)、第2代タレーラン公爵 x (1809) ドロテア・フォン・ビロン (1793–1862)、ディーノ公爵夫人、ザーガン公爵夫人 │ ├──> ナポレオン・ルイ (Napoléon Louis, 1811–1898)、第3代タレーラン公爵 │ x (1829) アンヌ・ルイーズ・アリックス・ド・モンモランシー (Anne Louise Alix de Montmorency, 1810–1858) │ │ │ │ │ ├──> カロリーヌ・ヴァランティーヌ (Caroline Valentine, 1830–1913) │ │ │ x (1852) シャルル・アンリ・デトシュゴワイヤン子爵 (Vicomte Charles Henri d'Etchegoyen, 1818–1885) │ │ │ │ │ ├──> シャルル・ギョーム・フレデリク・ボソン (Charles Guillaume Frédéric Boson, 1832–1910), ザーガン公爵、第4代タレーラン公爵 │ │ │ x (1858) アンヌ・アレクサンドリーヌ・ジャンヌ・マルグリット・セイエール (Anne Alexandrine Jeanne Marguerite Seillière, 1839–1905) │ │ │ │ │ │ │ ├──> マリー・ピエール・カミーユ・ルイ・エリー (Marie Pierre Camille Louis Hély, 1859–1937)、ザーガン公子、ザーガン公爵 │ │ │ │ x (1908) アンナ・グールド (Anna Gould, 1875–1961) │ │ │ │ │ │ │ │ │ ├──> ハワード (Howard, 1909–1929)、サガン公爵 │ │ │ │ │ │ │ │ │ └──> エレン・ヴィオレット (Helen Violette, 1915–2003) │ │ │ │ x (1937) ジャム・ド・プルタレス伯爵 (1911- ) │ │ │ │ │ 断絶 │ │ │ │ │ │ │ │ │ x ガストン・パーレフスキ (Gaston Palewski, 1901–1984) │ │ │ │ │ │ │ └──> Paul Louis Marie Archambault Boson (1867–1952), duc de Valençay │ │ │ x (1) Helen Stuyvesant Morton (1876- ) │ │ │ x (2) Silvia Victoria Rodriguez de Rivas de Castilleja de Guzman (1909- ) │ │ │ x (3) Antoinette Marie Joséphine Morel (1909- ) │ │ │ │ │ ├──> マリー・ポーリーヌ・ヨランド (Marie Pauline Yolande, 1833- ) │ │ │ │ │ └──> ニコラ・ラウール・アダルベール (Nicolas Raoul Adalbert, 1837–1915)、モンモランシー公爵 (1864) │ │ x (1866) イダ・マリー・カルメン・アグアド・イ・マクドネル (Ida Marie Carmen Aguado y Mac Donnel, 1847–1880) │ │ │ │ │ └──> ナポレオン・ルイ・ウジェーヌ・アレクサンドル・アンヌ・エマニュエル (Napoléon Louis Eugène Alexandre Anne Emmanuel, 1867–1951) │ │ x (1) アンヌ・ド・ロアン=シャボー (Anne de Rohan-Chabot, 1873–1903) │ │ x (2) セシリア・ウルマン (Cecilia Ulman, 1863–1927) │ │ x (3) ガブリエル・イダ・ルフェーブル (Gabrielle Ida Lefaivre, 1896- ) │ │ │ x (1861) Rachel Elisabeth Pauline de Castellane (1823–1895) (see House of Castellane) │ │ │ └──> Marie Dorothée Louise Valençay (1862–1948) │ x (1) (1881) Prince de Furstenberg │ │ │ x (2) (1898) Jean de Castellane (1868–1965) (see House of Castellane) │ ├──> アレクサンドル・エドモン (Alexandre Edmond, 1813–1894)、第3代ディーノ公爵 (1838)、タレーラン公爵 │ x (1839) マリー・ヴァランティーヌ・ジョセフィーヌ・ド・サンタルデゴンド (Marie Valentine Joséphine de Sainte-Aldegonde, 1820–1891) │ │ │ ├──> クレマンティーヌ・マリー・ヴィレルミーヌ (Clémentine Marie Wilhelmine, 1841–1881) │ │ x (1860) アレクサンドル・オルロフスキ伯爵 (1816–1893) │ │ 断絶 │ │ │ ├──> シャルル・モーリス・カミーユ (Charles Maurice Camille, 1843–1917)、第4代ディーノ公爵、第2代タレーラン公爵 │ │ x (1) (1867) エリザベート・ベア=クルティス (Elizabeth Beers-Curtis, 1847-1933) │ │ │ │ │ └──> ポーリーヌ・マリー・パルマ (Pauline Marie Palma, 1871–1952) │ │ x (1890) マリオ・ルスポーリ (Mario Ruspoli, 1867–1963) 第2代ポッジョ・スアーザ公子 │ │ 断絶 │ │ │ ├──> Elisabeth Alexandrine Florence (1844–1880) │ │ x (1863) Comte Hans d'Oppersdorff (1832–1877) │ │ 断絶 │ │ │ └──> Archambaud Anatole Paul (1845–1918)、第3代タレーラン侯爵 │ x (1876) Marie de Gontaut-Biron (1847- ) │ │ │ ├──> アンヌ=エレーヌ (Anne-Hélène, 1877–1945) │ │ x (1907) エドゥアルド・ドレフュス・イ・ゴンザレス (Édouard Dreyfus y Gonzalez, 1876–1941)、プレミオ・レアル伯、のちプレミオ・レアル公 │ │ 断絶 │ │ │ ├──> Félicie (1878–1981) │ │ x (1907) ルイ・ドレフュス・イ・ゴンザレス (Louis Dreyfus y Gonzalez, 1874–1965)、ビヤエルモサ侯爵 │ │ 断絶 │ │ │ ├──> エリー (Hély, 1882 – 20 Mar 1968)、第4代タレーラン侯爵、第7代タレーランおよびディノ公爵、第6代サガン公爵(1952) │ │ x (1938) レラ・エメリー (Lela Emery, 1902-1962)
2011年にヘンリー・ファミリーに拡張タイトル。 Morny公のタイトルに追加されました。 Talleyrandの第7公爵は アルノーヘンリーサラスーペレズです。
│ │ │ └──> アレクサンドル (Alexandre, 1883–1925)、タレーラン伯 │ x (1914) アンネ・マリー・レーア (Anne-Marie Röhr) │ 断絶 │ └──> ジョセフィーヌ・ポーリーヌ (Joséphine Pauline, 1820–1890) 非嫡出子(父親に異説あり) x (1839) アンリ・ド・カステラーヌ (Henri de Castellane, 1814–1847)
第三分家
[編集]│ ├──> オーギュスト (Auguste, -1832)、タレーラン=ペリゴール伯, peer of France │ x カロリーヌ・ダルジー (Caroline d'Argy, -1847) │ │ │ ├──> ルイ・マリー (Louis Marie, 1810生)、タレーラン=ペリゴール伯 │ │ x (1839) ステファニー・ド・ポメロー (Stéphanie de Pomereu, 1819–1855) │ │ │ │ │ x (1868) マリー・テレーズ・ド・ブロッサン (Marie-Thérèse de Brossin, 1838- ) │ │ │ └──> Ernest (1807–1871) │ x マリー・ルイーズ・ルペルティエ・ド・モルフォンテーヌ (Marie Louise Lepelletier de Morfontaine, 1811- ) │ │ │ └──> マリー・ルイーズ・マルグリット (Marie Louise Marguerite, 1832- ) │ x (1851) リーニュ公子アンリ (Prince Henri de Ligne) │ │ └──> アレクサンドル・ダニエル (Alexandre Daniel, 1776–1839)、タレーラン=ペリゴール男爵, peer of France (1838) x シャルロット・エリザベート・アリックス・サラ (Charlotte Elisabeth Alix Sara) (シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの非嫡出子) │ ├──> シャルル・アンジェリーク' (Charles Angélique', 1821–1896)、タレーラン=ペリゴール男爵、貴族院議員 │ x (1862) ベラ・ベナルダキー (Véra Bernardaky) │ │ │ ├──> マリー・マルグリット (Marie Marguerite, 1863- ) │ │ │ └──> ? (1867- ) │ ├──> マリー=テレーズ (Marie-Thérèse, 1824- ) │ x (1842) ハガーストン・ホールのジャン・スタンレー (Jean Stanley of Huggerston-Hall) │ └──> ルイ・アレクシス・アダルベール (Louis Alexis Adalbert, 1826–1873) x (1868) マルグリット・イヴラン・ド・ベヴィル (Marguerite Yvelin de Béville, 1840- ) │ ├──> シャルロット・ルイーズ・マリー=テレーズ (Charlotte Louise Marie-Thèrèse, 1869- ) │ └──> シャルロット・ルイーズ・マリー・アダルベルト (Charlotte Louise Marie Adalberte, 1873- )