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タラール1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タラール1世
طلال الأول
ヨルダン国王
タラール1世
在位 1951年7月20日 - 1952年8月11日

全名 طلال بن عبد الله
タラール・ビン・アブドゥッラー
出生 (1909-02-16) 1909年2月16日
オスマン帝国メッカ
死去 (1972-07-07) 1972年7月7日(63歳没)
トルコイスタンブール
配偶者 ゼイン・アル=シャラフ・タラール
子女
王朝 ハーシム家
父親 アブドゥッラー1世
母親 ムサバ・ビント・ナーセル
宗教 イスラム教スンナ派
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タラール1世・ビン・アブドゥッラーアラビア語: طلال الأول بن عبد الله‎, ラテン文字転写: Ṭalāl al-Auwal bin ʿAbdullāh1909年2月16日 - 1972年7月7日)はヨルダン国王(在位:1951年7月20日 - 1952年8月11日)。

生涯

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1939年イギリスサンドハースト王立陸軍士官学校卒業。父王アブドゥッラー1世が1951年7月20日にエルサレムで暗殺されたため、第2代ヨルダン国王に即位した。しかし極端なまでのイギリス嫌いであり、また祖父フサイン・イブン・アリーの腹心のグラブ・パシャ(=イギリス人でアラブ軍団司令官のベイゴット・グラブ中将)と衝突するなど問題を起こしていた。

そのため、弟のナーイフ・ビン・アブドゥッラーが摂政になっていたが、精神状態が悪いという理由で議会により退位を余儀なくされた。タラールの長男のフセイン1世が1952年8月11日に即位したが、法定年齢以下であったため、国王になったのは1953年5月2日であった。なお子息は4男2女いたが、成人したのは3男(フセイン1世とハッサン元王太子、ムハンマド王子)1女であった。

ヨルダンで発行されている10ディナール紙幣に肖像が使用されている。

タラール1世

1909年2月16日 - 1972年7月7日

爵位・家督
先代
アブドゥッラー1世
ヨルダンの旗 ヨルダン・ハシミテ王国国王
第2代:1951 - 1952
次代
フセイン1世
先代
(建国)
ヨルダンの旗 ヨルダン・ハシミテ王国国王
王位継承者

1946 - 1951
次代
フセイン1世