タラール1世
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タラール1世 طلال الأول | |
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ヨルダン国王 | |
タラール1世 | |
在位 | 1951年7月20日 - 1952年8月11日 |
全名 |
طلال بن عبد الله タラール・ビン・アブドゥッラー |
出生 |
1909年2月16日 オスマン帝国、メッカ |
死去 |
1972年7月7日(63歳没) トルコ、イスタンブール |
配偶者 | ゼイン・アル=シャラフ・タラール |
子女 | |
王朝 | ハーシム家 |
父親 | アブドゥッラー1世 |
母親 | ムサバ・ビント・ナーセル |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
タラール1世・ビン・アブドゥッラー(アラビア語: طلال الأول بن عبد الله, ラテン文字転写: Ṭalāl al-Auwal bin ʿAbdullāh、1909年2月16日 - 1972年7月7日)はヨルダン国王(在位:1951年7月20日 - 1952年8月11日)。
生涯
[編集]1939年にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校卒業。父王アブドゥッラー1世が1951年7月20日にエルサレムで暗殺されたため、第2代ヨルダン国王に即位した。しかし極端なまでのイギリス嫌いであり、また祖父フサイン・イブン・アリーの腹心のグラブ・パシャ(=イギリス人でアラブ軍団司令官のベイゴット・グラブ中将)と衝突するなど問題を起こしていた。
そのため、弟のナーイフ・ビン・アブドゥッラーが摂政になっていたが、精神状態が悪いという理由で議会により退位を余儀なくされた。タラールの長男のフセイン1世が1952年8月11日に即位したが、法定年齢以下であったため、国王になったのは1953年5月2日であった。なお子息は4男2女いたが、成人したのは3男(フセイン1世とハッサン元王太子、ムハンマド王子)1女であった。
ヨルダンで発行されている10ディナール紙幣に肖像が使用されている。
タラール1世
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爵位・家督 | ||
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先代 アブドゥッラー1世 |
ヨルダン・ハシミテ王国国王 第2代:1951 - 1952 |
次代 フセイン1世 |
先代 (建国) |
ヨルダン・ハシミテ王国国王 王位継承者 1946 - 1951 |
次代 フセイン1世 |