ゾラン・ガイッチ
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基本情報 | ||||
国籍 | セルビア | |||
生年月日 | 1958年12月28日(65歳) | |||
出身地 | パンチェヴォ | |||
ラテン文字 | Zoran Gajić | |||
セルビア語表記 | Зоран Гајић |
ゾラン・ガイッチ(セルビア語: Зоран Гајић[1]、1958年12月28日 - )は、ユーゴスラビアの男子バレーボール選手、指導者、政治家[2]。パンチェヴォ出身。2000年シドニーオリンピックでユーゴスラビアに金メダルをもたらした名将として知られる。
来歴
[編集]1980年、ユーゴスラビアリーグのムラドスト・オモリツァで、選手兼コーチとしてバレーボールの指導を始める。1989年から1993年まで、名門クラブのヴォイヴォディナ・ノヴィサドの監督に就任。国内リーグで二度の優勝へと導き、指導者として大きな手腕を発揮した。
1993年、ギリシャリーグへ移り、アリス・テッサロニキ(1993-1995年)、オレスティアダ(1995-1997年)、オリンピアコス(1998-2000年)とクラブを渡り歩いて、監督としてのキャリアを積み上げて行った。2002年にはトルコリーグのアルチェリッキの指導に当たった。2007年からロシアスーパーリーグのイスクラ・オジンツォボの監督を務め、2009年にウラル・ウファの監督に就任した。
1995年、ユーゴスラビア男子ナショナルチームの監督に就任。1996年アトランタオリンピックの銅メダル、2000年シドニーオリンピックの金メダル、2001年欧州選手権の優勝など、主要国際大会で数々のメダルをチームにもたらした。また、2001年にはユーゴスラビアをFIVBランキング1位へと導いた。
アテネオリンピック後の2004年、低迷していた全日本男子の監督に、代理人を通じて自薦という形で立候補を表明した。しかし、全日本監督は植田辰哉に決定し、監督就任には至らなかった。
2005年、ロシア男子ナショナルチームの監督に就任。成績不振で辞任。
2007年、イラン男子ナショナルチームの監督に就任。2008年の2008年北京オリンピックのバレーボール競技・世界最終予選・東京ラウンドで、アジア枠からの出場権獲得を目指したが獲得はならず、監督を辞任した。
2016年からセルビアバレーボール連盟会長、2022年からはセルビア共和国スポーツ大臣を務めている[2][3]。
指導歴
[編集]- バレーボールユーゴスラビア男子代表(1995-2002年)
- バレーボールロシア男子代表(2005-2007年)
- バレーボールイラン男子代表(2007-2008年)
- イスクラ・オジンツォボ(2007-2009年)
- ウラル・ウファ(2009-2011年)
- ラビタ・バクー(2011-2012年)
- テレコム・バクー(2014-2017年)
脚注
[編集]- ^ セルビア語ラテン翻字: Zoran Gajić
- ^ a b srbija.gov.rs. “Zoran Gajic” (英語). www.srbija.gov.rs. 2024年2月11日閲覧。
- ^ Beta, N1 Beograd, Sanja Sovrlić (2022年10月23日). “Predloženi ministri: Martinović, Gašić, Vesić, Negre, Grujičić...” (セルビア語). N1. 2024年2月11日閲覧。