ゼバット・ポーツラック
基本情報 | |
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本名 | ゼバット・ポーツラック |
階級 | ヘビー級(K-1) |
身長 | 185cm |
体重 | 99kg |
国籍 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
誕生日 | 1977年9月20日(47歳) |
出身地 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
スタイル | キックボクシング |
ゼバット・ポーツラック(Dzevad Poturak、男性、1977年9月20日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のキックボクサー。マスターズジム所属。K-1などの日本のメディアではジャバット・ポトラックと表記されている。
過去にユルゲン・クルト、メルヴィン・マヌーフ、ダニエル・ギタなどにも勝利しているハードパンチャー。
入場時のアラビアンな音楽に合わせて踊るダンスも特徴的。
来歴
[編集]9歳で松濤館流空手を始め、16歳でキックボクシングとボクシングを始めた。また、16歳で警官となり、同時に軍隊にも所属した[1]。
2007年12月15日、K-1チェコ予選で優勝を果たした。決勝で右手の指を骨折した[1]。
2008年11月7日、Local Kombat 31でダニエル・ギタと対戦し、左フックでダウンを奪い判定勝ち。
2010年2月13日、IT'S SHOWTIMEでダニエル・ギタと再戦し、判定負け。
2010年4月3日、日本初登場となったK-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAでアリスター・オーフレイムと対戦し、右膝蹴りでKO負け。しかし、「アリスターは首相撲からの膝蹴りを2発打つという反則を犯した」と試合後もリング上で抗議し、会見でも不満を露にしながら「アリスターには何らかのペナルティを与えてほしい」と語った[2]。
2010年5月29日、IT'S SHOWTIMEでリコ・ヴァーホーベンと対戦し、判定負けを喫した[3]。
2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16のスーパーファイトでハリッド"ディ・ファウスト"と対戦。2Rまでに右ローキックでハリッドの左脚にダメージを与えると、3R開始直後にハリッド陣営からタオルが投入されTKO勝ちとなった[4]。
2022年をもって現役を引退し、2024年2月現在時点でK-1のヨーロッパ南東地区におけるプロモーターに就いている
戦績
[編集]キックボクシング 戦績 | ||||||
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60 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
45 勝 | 30 | 15 | 0 | 1 | 0 | |
14 敗 | 4 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | イオヌット・イフティモアイエ | 3R終了 判定 | SuperKombat: the pilot show | 2011年3月18日 |
○ | ウェンデル・ロチェ | 3R終了 判定 | K-1 Fight Night 2 in Sarajevo | 2010年10月29日 |
○ | ハリッド"ディ・ファウスト" | 3R 0:06 TKO(タオル投入:左膝のダメージ) | K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16 | 2010年10月2日 |
× | リコ・ヴァーホーベン | 3R終了 判定 | IT'S SHOWTIME | 2010年5月29日 |
× | アリスター・オーフレイム | 1R 2:40 KO(右膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA 【スーパーファイト】 |
2010年4月3日 |
× | ダニエル・ギタ | 3R終了 判定0-3 | It's Showtime | 2010年2月13日 |
× | ラウル・カティナス | 3R終了 判定0-3 | K-1 ColliZion Final Elimination | 2009年10月24日 |
○ | ピーター・ボンドラチェック | 3R終了 判定3-0 | K-1 ColliZion 2009 Sarajevo | 2009年7月3日 |
○ | アヤディン・ユクセル | 3R終了 判定3-0 | Local Kombat 33 | 2009年4月12日 |
× | アレクセイ・イグナショフ | 延長R終了 判定 | K-1 in Budapest 2009 | 2009年2月28日 |
× | アーシュイン・バルラック | 3R TKO | K-1 Fighting Network Prague 2008 【1回戦】 |
2008年12月20日 |
○ | ダニエル・ギタ | 3R終了 判定3-0 | Local Kombat 31 | 2008年11月7日 |
○ | ラウル・カティナス | 3R終了 判定3-0 | Noc Bojovnikov 5 | 2008年9月12日 |
○ | エドアルド・マイオリノ | 1R 1:09 KO(右フック) | Planet Battle: Where Champions Collide | 2008年6月26日 |
○ | ヴィトー・ミランダ | 3R終了 判定 | K-1 Fighting Network 2008 in Vienna | 2008年5月17日 |
○ | ロマン・クレイブル | 2R 1:10 KO | K-1 Fighting Network Czech Republic 【決勝】 |
2007年12月15日 |
○ | バスラック・デュスコ | 1R 1:27 KO | K-1 Fighting Network Czech Republic 【準決勝】 |
2007年12月15日 |
○ | ダニエル・イェーリング | 3R終了 判定2-0 | K-1 Fighting Network Czech Republic 【1回戦】 |
2007年12月15日 |
× | ヴィトー・ミランダ | 3R終了 判定0-2 | K-1 Turkey Grand Prix 2007 in Istanbul 【準決勝】 |
2007年11月2日 |
○ | アブドラマリック・ガスニエフ | 1R 2:58 KO(右フック) | K-1 Turkey Grand Prix 2007 in Istanbul 【1回戦】 |
2007年11月2日 |
× | セルゲイ・グール | 3R終了 判定 | NOC BOJOVNIKOV 4 | 2007年9月7日 |
× | マキシム・ネレドバ | 2R KO | K-1 Hungary 2007 | 2007年2月24日 |
○ | ガボール・メイツァー | 3R 1:20 KO(右ハイキック) | K-1 Hungary 2007 | 2007年2月24日 |
○ | ドマジョフ・オスタジック | 延長R終了 判定 | K-1 Hungary 2007 | 2007年2月24日 |
○ | ユルゲン・クルト | 3R終了 判定3-0 | K-1 Czech 2006 Heaven or Hell | 2006年12月16日 |
○ | ジャマル・カスモフ | 3R終了 判定2-1 | K-1 Hungary Grand Prix 2006 in Debrecen | 2006年8月18日 |
× | セルゲイ・グール | 3R終了 判定 | K-1 ITALY GRAND PRIX 2006 【決勝】 |
2006年4月8日 |
○ | ハンベルト・エボラ | 2R KO | K-1 ITALY GRAND PRIX 2006 【準決勝】 |
2006年4月8日 |
○ | リカルド・フォン・デ・ボス | 3R終了 判定3-0 | K-1 ITALY GRAND PRIX 2006 【1回戦】 |
2006年4月8日 |
○ | メルヴィン・マヌーフ | 3R 2:55 KO | Gala Gym Alkmaar | 2006年2月13日 |
○ | ユルゲン・クルト | 3R終了 判定3-0 | Heaven or Hell 5 | 2005年12月18日 |
× | ニコラ・ディムコフスキー | 3R終了 判定 | Internatinoal Profi Tournament | 2005年6月14日 |
獲得タイトル
[編集]- K-1 チェコ予選 優勝(2007年)
脚注
[編集]- ^ a b イグナショフ、バンナ、ポトラックに直撃!! K-1公式サイト 2010年4月1日
- ^ K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA 第4試合 スポーツナビ 2010年4月3日
- ^ 5・29オランダでバダ・ハリに何が起こった!? K-1公式サイト 2010年6月1日
- ^ K-1 WORLD GP 2010 FINAL16 第1試合 スポーツナビ 2010年10月2日