セリクボルスィン・アブディリディン
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セリクボルスィン・アブディリディン Серікболсын Әбділдаұлы Әбділдин | |
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Abdildin S. A. | |
生年月日 | 1937年11月25日 |
没年月日 | 2020年1月1日(82歳没) |
所属政党 | カザフスタン共産党 |
在任期間 | 1991年 - 1994年 |
セリクボルスィン・アブディリディン(Serikbolsyn Abdildin, Серікболсын Әбділдаұлы Әбділдин, 1937年11月25日 - 2020年1月1日)は、カザフスタン共和国の政治家。カザフスタン独立後最初の最高会議議長、元カザフスタン共産党党首(第一書記)。
経歴
[編集]セミパラチンスク州アクスアツキー地区クィズィルケセク村出身。カザフ人。1960年、カザフ農業大学を卒業。1960年~1963年、セミパラチンスク州のソフホーズで農業技師として働く。
ソ連時代
[編集]- 1963年~1966年 - 大学院生
- 1966年~1967年 - カザフ経済・農業組織科学研究所の上級科学職員
- 1967年~1976年 - カザフ・ソビエト社会主義共和国ゴスプランの班長、副課長
- 1974年~1976年 - ゴスプラン副議長
- 1981年~1991年 - カザフ・ソビエト社会主義共和国共産党中央委員会委員
- 1982年~1985年 - 農業第一次官、共和国農業統制高等学校学長
- 1985年~1987年 - ゴスアグロプロム第一副議長
- 1987年~1991年 - 駐ソ連閣僚会議カザフスタン常任代表
- 1990年~1991年 - カザフ・ソビエト社会主義共和国最高会議副議長
- 1991年~1994年 - カザフスタン共和国最高会議議長
カザフスタン共和国時代
[編集]1994年3月、社会団体「レスプーブリカ」調整会議を創設し、その議長となった。同会議には、22の政党と運動が参加し、野党勢力として1998年まで活動した。その後、カザフスタン民主勢力フォーラムに再編され、アブディリディンが議長に就任した。1999年~2004年、第2期議会代議員。
1996年~2010年4月、カザフスタン共産党第一書記。1999年、大統領選挙に立候補し、12.1%を得票して第2位を占めた。2004年から共産党同盟副議長。
2010年4月、引退。
2020年1月1日、死去した[1]。82歳没。
パーソナル
[編集]妻のラウラは、経済科学博士、教授。娘のガウハルは、医師で、医学科学準博士、哲学博士。息子のスルィムは、技師で、経済科学博士。3人の孫がいる。
労働赤旗勲章、「名誉記章」勲章、「バルィス」勲章、「協力」国際勲章、「党勲」勲章、ソ連のメダル6個、カザフスタンのメダル3個を受章。
著書
[編集]- 「カザフスタンの農業」(1977年)
- 「カザフスタンの農業生産力」(1982年)
- 「牧草地の複合的開拓」(1986年)
- 「現実と神話」(2009年)
脚注
[編集]- ^ "Скончался государственный деятель Серикболсын Абдильдин" (HTML). SPUTNIK (ロシア語). Rossiya Segodnya. 1 January 2020. 2020年1月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- カザフスタン共産党公式HP(ロシア語、カザフ語)
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