セメント町 (津久見市)
セメント町 | |
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津久見市セメント町の地名表示 | |
北緯33度4分40.9秒 東経131度51分18.6秒 / 北緯33.078028度 東経131.855167度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大分県 |
市町村 | 津久見市 |
人口 | |
• 合計 | 336人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 | |
市外局番 | 0972(臼杵MA)[2] |
ナンバープレート | 大分 |
セメント町(セメントまち)は、大分県津久見市の地名。人口は336人、世帯数は167世帯(2010年10月1日現在)[3]。郵便番号は879-2443[1]。
地理
[編集]セメント町は、北を青江川、南をJR九州日豊本線で区切られ、東で津久見市港町に接する概ね三角形の区域で、中心を東西に国道217号が貫通し、北に向けて大分県道217号臼杵津久見線(旧国道217号)が分岐する。
町域は、太平洋セメント大分工場の正門付近に位置し、商店街や同工場の社宅、寮等があって、門前町をなしている。工場自体は、この地区の北側の徳浦から合ノ元町にかけて海岸沿いに位置しており、町域には含まれない[4]。
なお、小野田セメントの創業の地である山口県山陽小野田市にも、同様にセメント産業を由来とするセメント町が存在する[5]。
歴史
[編集]津久見市では、胡麻柄山をはじめとする山地の豊富な石灰石資源と、深度が深い天然の良港である津久見港を活かして古くからセメント産業が盛んであり、1917年(大正6年)10月に桜セメント九州工場が開設されたのを皮切りに、1919年(大正8年)11月に大分セメント、1934年(昭和9年)に太平セメントが相次いでセメント生産を開始し、セメント産業が市が中心産業となった。これら各社は大分セメントを中心に相次いで合併し、最終的には1938年(昭和13年)7月に小野田セメント(後の秩父小野田セメント、太平洋セメント大分工場津久見プラント、現太平洋セメント大分工場)に統合された[6]。
現在のセメント町は、かつては大字下青江のうち松崎及び警固屋(けごや)の一部であったが、1967年(昭和42年)4月1日に住居表示が実施された際に、セメント工場にちなんでセメント町という町名になった[7][8]。
施設
[編集]郵便局
[編集]- 津久見青江郵便局
寺社
[編集]- 蓮照寺
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りである[9]。
町名 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
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セメント町 | 全域 | 津久見市立青江小学校 | 津久見市立第二中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年2月22日閲覧。
- ^ 2.男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等(CSVファイル)( 平成22年国勢調査 小地域集計 44 大分県) - 総務省統計局 2012年7月30日閲覧。
- ^ “セメントのまち・津久見で大人の社会科見学!”. edit Oita エディット大分. 大分県 (2022年1月25日). 2023年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月29日閲覧。
- ^ “産業がそのまま地名に!?【地名がわからん!】”. 毎日小学生新聞. (2021年10月3日). オリジナルの2021年10月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「ニッポン・セメント工場探訪 5 太平洋セメント(株) 大分工場」『セメント・コンクリート』第810号、一般社団法人セメント協会、2014年8月、 オリジナルの2022年7月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会「セメント町」『角川日本地名大辞典 44 大分県』角川書店、1980年11月18日、959頁。
- ^ “アイ:「セメント町」の地名も 津久見を支える石灰石採掘/大分”. 毎日新聞. (2010年1月10日)
- ^ “津久見市立学校通学区域設定規則”. 津久見市. 2022年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
関連項目
[編集]- セメント町 (曖昧さ回避)
- 企業城下町
- 青江町 - 現在のセメント町にあたる地区は、合併して津久見市になる前は青江町に属していた。