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スーパースプリント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スーパースプリント: Super Sprint )は、静岡県富士スピードウェイ1986年から1988年まで開催されたオートバイロードレースの国際大会。

正式名称は「富士インターナショナルロードレース SUPER SPRINT (開催年の数字)」[1]。広報を担当する実行委員会の名称が「富士スーパースプリント組織委員会」だったことから新聞・雑誌等メディアでは大会を「富士スーパースプリント」と報じる場合が多かった[2]

概要

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1986年7月7日に記者会見が開かれ、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)関東ブロックと報知新聞社の共同主催により、同年9月20日-21日に富士スピードウェイにて第1回大会が開催されると発表。MFJ創立25周年の記念イベントでもあった。

ロードレース世界選手権(現MotoGP)に参戦する現役グランプリライダーと、全日本ロードレース選手権に参戦する日本のライダーが共に走る大会として企画。1980年代の富士スピードウェイでは全日本ロードレース選手権が開催されていなかったため、主要メーカーであるホンダヤマハスズキの拠点がある東海地区で世界トップクラスのマシン・ライダーの走りがみられる数少ない機会ともなった。富士でMFJ公認の国際格式レースが開催されるのは19年ぶりだった[3]

1986年

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初年度の1986年大会はGP500ccクラスとGP250ccクラスが開催され、ともに決勝レースは2ヒート制で行なわれた。250ccでは第1ヒートで国際A級1年目・同年の全日本250ランキング30位とほぼ無名の存在だった19歳の本間利彦が雨天のレースを市販レーサーTZ250で制する番狂わせが発生。本間の名がレースファンに知られる契機となった[4]

1987年

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1987年大会よりGP500cc・GP250ccに加え、4ストローク車両のTT-F1クラスも開催された。前年大会からの変更点として3クラスとも20周の1ヒート制での決勝レース開催となった[5]。しかし金曜日のTT F1クラス練習走行中にコース上に出ていたオイルに乗り転倒したカナダのトム・ウォルター (Tom Walther[6])と小永修生が死亡する事故が発生した。決勝日のレーススケジュール進行も濃霧のため支障をきたした。参戦ライダーが視界不良に難色を示し、決勝レースが行なわれたのはTT F1クラスだけだった。そのTT F1もレース9周目を迎えた時点でレッドフラッグが提示され中断、そのまま終了となった。このレースを制したのはヨシムラ・スズキのGSX-R750に乗るケビン・シュワンツだった[7]。これ以外のレースの中止が正式決定後、ランディ・マモラを筆頭に悪天の中スタンドでレース再開を待っていた観衆にグッズを投げ込むなどのファンサービスが行われた。

1988年

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第3回大会にして初めて決勝レースがドライコンディションとなり、5万7000人の観衆を集めた[8]。500ccクラスに参戦するペプシ・スズキチームが翌年のグランプリに向け大きく改良されたRGV-Γ500をこの富士で投入し、これを駆るケビン・シュワンツが高いモチベーションで臨む大会となり、予選ポールポジションを獲得。決勝レースではシュワンツ、ウェイン・レイニー(ラッキーストライク・ヤマハ) 、ワイン・ガードナー(ロスマンズ・ホンダ)の3人によるトップ争いとなった。一度コースアウトを喫し順位を下げたシュワンツが再度追い上げ、先頭を行くガードナーを抜き去り優勝を果たした。

TT-F1クラスではヤマハ・YZF750に乗るマイケル・ドゥーハンが同じくYZFに乗るマイケル・ドーソンとのバトルを制し0.1秒差で優勝した。ドーソンは2年連続でのF1クラス2位となった。

結果的に同年の大会が最後の開催となった。

1989年

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11月3日-5日に第4回大会として予定され、GP500、GP250、TT F1の3クラスがカレンダーに組み込まれていたが[9]、観戦チケット発売を前にした5月になり大会事務局よりイベント中止の発表がされた[10]

レース結果

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決勝日 路面 クラス 優勝ライダー
(マシン)
2位 3位 4位 5位 予選PP
1986年 9月21日 Wet 500cc オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー
(ホンダ・NSR500)
ランディ・マモラ レイモン・ロッシュ 水谷勝 マイク・ボールドウィン R.マモラ
(ヤマハ・YZR500)
Wet 250cc スペインの旗 シト・ポンス
(ホンダ・NSR250)
カルロス・ラバード 清水雅広 樋渡治 本間利彦 喜多祥介
(ホンダ・RS250R)
1987年 10月25日 Wet 500cc 濃霧中止
Wet 250cc 濃霧中止 山本隆義
(ヤマハ・TZ250)
Wet TT F1 アメリカ合衆国の旗 ケビン・シュワンツ
(スズキ・GSX-R750)
マイケル・ドーソン ケビン・マギー 宮崎祥司 マイケル・ドゥーハン K.マギー
(ヤマハ・YZF750)
1988年 10月23日 Dry 500cc アメリカ合衆国の旗 ケビン・シュワンツ
(スズキ・RGV-Γ500)
ワイン・ガードナー ケビン・マギー ニール・マッケンジー 平忠彦 K.シュワンツ
(スズキ・RGV-Γ500)
Dry 250cc フランスの旗 ドミニク・サロン
(ホンダ・NSR250)
ファン・ガリガ ジョン・コシンスキー 本間利彦 トーマス・スティーブンス J.コシンスキー
(ヤマハ・YZR250)
Dry TT F1 オーストラリアの旗 マイケル・ドゥーハン
(ヤマハ・YZF750)
マイケル・ドーソン ダグ・ポーレン ババ・ショバート マルコム・キャンベル M.ドーソン
(ヤマハ・YZF750)

大会運営組織

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テレビ放映

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  • 1986年:日本テレビ系列にて、開催の翌週9月28日(日曜)に放映された。

脚注

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  1. ^ SUPER SPRINT '86 FISCOで開催 『ライディング No.197』 日本モーターサイクルスポーツ協会1986年8月1日、1頁。
  2. ^ 富士スーパースプリント組織委員会『ライディング No.214』日本モーターサイクルスポーツ協会、1987年12月1日、4-5頁。
  3. ^ 「SUPER SPRINT '86開催決定」『グランプリ・イラストレイテッド No.12』ヴェガ・インターナショナル、1986年9月1日、97頁。
  4. ^ 「Fuji Super Sprint '86 250cc」『サイクルワールド11月号増刊 1986 GRAND PRIX SCENE』CBS・ソニー出版、1985年11月20日、170-173頁。
  5. ^ 「SUPER SPRINT '87が開催」『グランプリ・イラストレイテッド No.25』ヴェガ・インターナショナル、1987年10月1日、106頁。
  6. ^ Tom Walther Motorsport Memolial
  7. ^ 「Fuji Super Sprint '87 16分27秒で終わったスーパースプリント 唯一開催されたTT F1を制したシュワンツ」『サイクルワールド12月号増刊 1987 GRAND PRIX SCENE』CBS・ソニー出版、1987年12月29日、106-107頁。
  8. ^ スーパースプリント'88『ライディング』日本モーターサイクルスポーツ協会、1988年12月1日、52-53頁
  9. ^ 1989ロードレース日程『ライディング No.228』日本モーターサイクルスポーツ協会、1989年1月1日、89頁。
  10. ^ 「スーパースプリント'89 開催中止」『ライディング NO.234』日本モーターサイクルスポーツ協会、1989年7月1日、66頁。