スーパースプリント
スーパースプリント (英: Super Sprint )は、静岡県・富士スピードウェイで1986年から1988年まで開催されたオートバイ・ロードレースの国際大会。
正式名称は「富士インターナショナルロードレース SUPER SPRINT (開催年の数字)」[1]。広報を担当する実行委員会の名称が「富士スーパースプリント組織委員会」だったことから新聞・雑誌等メディアでは大会を「富士スーパースプリント」と報じる場合が多かった[2]。
概要
[編集]1986年7月7日に記者会見が開かれ、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)関東ブロックと報知新聞社の共同主催により、同年9月20日-21日に富士スピードウェイにて第1回大会が開催されると発表。MFJ創立25周年の記念イベントでもあった。
ロードレース世界選手権(現MotoGP)に参戦する現役グランプリライダーと、全日本ロードレース選手権に参戦する日本のライダーが共に走る大会として企画。1980年代の富士スピードウェイでは全日本ロードレース選手権が開催されていなかったため、主要メーカーであるホンダ・ヤマハ・スズキの拠点がある東海地区で世界トップクラスのマシン・ライダーの走りがみられる数少ない機会ともなった。富士でMFJ公認の国際格式レースが開催されるのは19年ぶりだった[3]。
1986年
[編集]初年度の1986年大会はGP500ccクラスとGP250ccクラスが開催され、ともに決勝レースは2ヒート制で行なわれた。250ccでは第1ヒートで国際A級1年目・同年の全日本250ランキング30位とほぼ無名の存在だった19歳の本間利彦が雨天のレースを市販レーサーTZ250で制する番狂わせが発生。本間の名がレースファンに知られる契機となった[4]。
1987年
[編集]1987年大会よりGP500cc・GP250ccに加え、4ストローク車両のTT-F1クラスも開催された。前年大会からの変更点として3クラスとも20周の1ヒート制での決勝レース開催となった[5]。しかし金曜日のTT F1クラス練習走行中にコース上に出ていたオイルに乗り転倒したカナダのトム・ウォルター (Tom Walther[6])と小永修生が死亡する事故が発生した。決勝日のレーススケジュール進行も濃霧のため支障をきたした。参戦ライダーが視界不良に難色を示し、決勝レースが行なわれたのはTT F1クラスだけだった。そのTT F1もレース9周目を迎えた時点でレッドフラッグが提示され中断、そのまま終了となった。このレースを制したのはヨシムラ・スズキのGSX-R750に乗るケビン・シュワンツだった[7]。これ以外のレースの中止が正式決定後、ランディ・マモラを筆頭に悪天の中スタンドでレース再開を待っていた観衆にグッズを投げ込むなどのファンサービスが行われた。
1988年
[編集]第3回大会にして初めて決勝レースがドライコンディションとなり、5万7000人の観衆を集めた[8]。500ccクラスに参戦するペプシ・スズキチームが翌年のグランプリに向け大きく改良されたRGV-Γ500をこの富士で投入し、これを駆るケビン・シュワンツが高いモチベーションで臨む大会となり、予選ポールポジションを獲得。決勝レースではシュワンツ、ウェイン・レイニー(ラッキーストライク・ヤマハ) 、ワイン・ガードナー(ロスマンズ・ホンダ)の3人によるトップ争いとなった。一度コースアウトを喫し順位を下げたシュワンツが再度追い上げ、先頭を行くガードナーを抜き去り優勝を果たした。
TT-F1クラスではヤマハ・YZF750に乗るマイケル・ドゥーハンが同じくYZFに乗るマイケル・ドーソンとのバトルを制し0.1秒差で優勝した。ドーソンは2年連続でのF1クラス2位となった。
結果的に同年の大会が最後の開催となった。
1989年
[編集]11月3日-5日に第4回大会として予定され、GP500、GP250、TT F1の3クラスがカレンダーに組み込まれていたが[9]、観戦チケット発売を前にした5月になり大会事務局よりイベント中止の発表がされた[10]。
レース結果
[編集]年 | 決勝日 | 路面 | クラス | 優勝ライダー (マシン) |
2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 予選PP |
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1986年 | 9月21日 | Wet | 500cc | ワイン・ガードナー (ホンダ・NSR500) |
ランディ・マモラ | レイモン・ロッシュ | 水谷勝 | マイク・ボールドウィン | R.マモラ (ヤマハ・YZR500) |
Wet | 250cc | シト・ポンス (ホンダ・NSR250) |
カルロス・ラバード | 清水雅広 | 樋渡治 | 本間利彦 | 喜多祥介 (ホンダ・RS250R) | ||
1987年 | 10月25日 | Wet | 500cc | 濃霧中止 | ー | ー | ー | ー | |
Wet | 250cc | 濃霧中止 | ー | ー | ー | ー | 山本隆義 (ヤマハ・TZ250) | ||
Wet | TT F1 | ケビン・シュワンツ (スズキ・GSX-R750) |
マイケル・ドーソン | ケビン・マギー | 宮崎祥司 | マイケル・ドゥーハン | K.マギー (ヤマハ・YZF750) | ||
1988年 | 10月23日 | Dry | 500cc | ケビン・シュワンツ (スズキ・RGV-Γ500) |
ワイン・ガードナー | ケビン・マギー | ニール・マッケンジー | 平忠彦 | K.シュワンツ (スズキ・RGV-Γ500) |
Dry | 250cc | ドミニク・サロン (ホンダ・NSR250) |
ファン・ガリガ | ジョン・コシンスキー | 本間利彦 | トーマス・スティーブンス | J.コシンスキー (ヤマハ・YZR250) | ||
Dry | TT F1 | マイケル・ドゥーハン (ヤマハ・YZF750) |
マイケル・ドーソン | ダグ・ポーレン | ババ・ショバート | マルコム・キャンベル | M.ドーソン (ヤマハ・YZF750) |
大会運営組織
[編集]- 主催:報知新聞社、日本モーターサイクルスポーツ協会関東ブロック協議会
- 後援:日本テレビ放送網、読売新聞社、富士スピードウェイ
- 公認:FIM(国際モーターサイクリズム連盟)、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)
テレビ放映
[編集]- 1986年:日本テレビ系列にて、開催の翌週9月28日(日曜)に放映された。
脚注
[編集]- ^ SUPER SPRINT '86 FISCOで開催 『ライディング No.197』 日本モーターサイクルスポーツ協会1986年8月1日、1頁。
- ^ 富士スーパースプリント組織委員会『ライディング No.214』日本モーターサイクルスポーツ協会、1987年12月1日、4-5頁。
- ^ 「SUPER SPRINT '86開催決定」『グランプリ・イラストレイテッド No.12』ヴェガ・インターナショナル、1986年9月1日、97頁。
- ^ 「Fuji Super Sprint '86 250cc」『サイクルワールド11月号増刊 1986 GRAND PRIX SCENE』CBS・ソニー出版、1985年11月20日、170-173頁。
- ^ 「SUPER SPRINT '87が開催」『グランプリ・イラストレイテッド No.25』ヴェガ・インターナショナル、1987年10月1日、106頁。
- ^ Tom Walther Motorsport Memolial
- ^ 「Fuji Super Sprint '87 16分27秒で終わったスーパースプリント 唯一開催されたTT F1を制したシュワンツ」『サイクルワールド12月号増刊 1987 GRAND PRIX SCENE』CBS・ソニー出版、1987年12月29日、106-107頁。
- ^ スーパースプリント'88『ライディング』日本モーターサイクルスポーツ協会、1988年12月1日、52-53頁
- ^ 1989ロードレース日程『ライディング No.228』日本モーターサイクルスポーツ協会、1989年1月1日、89頁。
- ^ 「スーパースプリント'89 開催中止」『ライディング NO.234』日本モーターサイクルスポーツ協会、1989年7月1日、66頁。