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スタネーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スタネーラ
欧字表記 Stanerra
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1978年5月4日
死没 (不明)
Guillaume Tell
Lady Aureola
母の父 Aureole
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Moyglare Stud Farm Ltd.
馬主 F.Dunne
調教師 F.Dunne
競走成績
生涯成績 23戦7勝
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スタネーラ(英字:Stanerra)はアイルランドで生産、調教された競走馬繁殖牝馬である。第2回第3回ジャパンカップに出走し、第3回ジャパンカップの優勝馬となった。アイルランド産馬初の同レース優勝馬でもある。

馬齢は当時の表記(数え年)で統一して記述する。

経歴

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1981年に4歳でデビューし、5歳までは14戦2勝。G2とG3で2着1回、3着3回はあったものの重賞勝ちはなかった。5歳時にジャパンカップへの出走を表明し、追加招待を受けて来日した。9番人気での出走だったが、直線で一時先頭に立つなど見せ場を作り、勝ったハーフアイストから0.3秒差の4着と健闘。1982年イギリス古牝馬チャンピオンに選ばれている。

翌6歳で本格化し、ジョーマクグラスメモリアルステークスでG1制覇を成し遂げ、ハードウィックステークスではグランディのマークしたコースレコードを更新するなど、重賞4勝を挙げる。2年連続でジャパンカップ出走を表明し、今回は正式な招待馬として来日した。しかし、来日後はコズミ(筋肉痛)で強い調教ができず、アイルランドの調教時間に合わせた深夜の曳き運動とギャロップのみで、調教タイムが計測できない状況が不安視された。それでも前年の好走と今季の好成績が買われ、3番人気でレースに臨んだ。

出遅れ気味にスタートするや、すぐさま内ラチ沿いに向けて進路を取り、後方集団の最内を追走。大逃げを打ったハギノカムイオーが4コーナーでつかまると外に持ち出して先行集団に取り付く。直線でコース中央から抜け出しを図るキョウエイプロミスの外に馬体を併せ、200メートル近い叩き合いをアタマ差で制した。この活躍で1983年のアイルランド古馬チャンピオンに輝いている。ジャパンカップの後は、翌年一戦のみで引退、繁殖入りする。

繁殖入り後は6頭の産駒を産み、5頭が出走したものの、勝ち上がったのは1頭のみと期待外れに終わった。6頭中5頭が牝馬に偏っているのが特徴である。子孫のうち産駒のサンドリーンが繁殖牝馬として、孫のアドマイヤノーヴァが外国産馬として日本に輸入されている。2001年に最後の産駒が誕生して以降の消息は不明。

血統表

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スタネーラ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ナスルーラ系
[§ 2]

Guillaume Tell
1972 栗毛
父の父
Nashua
1952 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
父の母
La Dauphine
1957 鹿毛
Princequillo PrinceRose
Cosquilla
Baby League Bubbling Over
La Troienne

Lady Aureola
1964 栗毛
Aureole
1950 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Angelola Donatello
Feola
母の母
Lady Godiva
1948 栗毛
Royal Charger Nearco
Sun Princess
Princess Toi Scarlet Tiger
Primtoi
母系(F-No.) (FN:7-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco 4×4=12.5% Mumutaz Begum 4×5=9.38% Blenheim II 5×5 =6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [1]
  4. ^ [1]
  • 父のGuillaume TellはイギリスのG3勝ち馬。その母の半姉Busherは1945年アメリカ年度代表馬。その他近親に活躍馬が多数いる良血。産駒はスタネーラが唯一の活躍馬である。
  • 祖母Lady Godivaは愛1000ギニー2着馬。

脚注

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  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Stanerra(IRE)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年12月31日閲覧。
  2. ^ スタネーラの血統表”. netkeiba.com. 2017年12月31日閲覧。

外部リンク

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