ジョー・ストロング
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州フェアフィールド |
生年月日 | 1962年9月9日(62歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1984年 MLBドラフト15巡目(全体376位)でオークランド・アスレチックスから指名 |
初出場 |
MLB / 2000年5月11日 アトランタ・ブレーブス戦 CPBL / 1990年3月17日 三商タイガース戦 KBO / 1998年 |
最終出場 |
MLB / 2001年5月5日 ミルウォーキー・ブルワーズ戦 CPBL / 1996年6月15日 味全ドラゴンズ戦 KBO / 1998年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジョセフ・ベンジャミン・ストロング(Joseph Benjamin Strong , 1962年9月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州フェアフィールド出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。
中華職業棒球聯盟での登録名は史東。
経歴
[編集]カリフォルニア大学リバーサイド校在学時の1984年にはカレッジベースボールに出場[1]。同年のMLBドラフト15巡目(全体376位)でオークランド・アスレチックスに指名され契約。同年は傘下ショートシーズンA-級のメドフォード・アスレチックスで20試合に登板し、5勝6敗・防御率3.88を記録。1985年は傘下A級のモデスト・アスレチックスで42試合登板、7勝7敗・防御率5.06。1986年はA級モデストで36試合登板、2勝2敗・防御率3.42、傘下AA級ハンツビル・スターズで6試合登板、1勝1敗・防御率5.40をそれぞれ記録。1987年1月7日に放出され[2]、同年は登板なしに終わった。
1988年-1989年はA級レノ・シルバーソックスでのプレーを経て、1990年には台湾・中華職棒(CPBL)の第1回外国人選手ドラフトで味全ドラゴンズから1位指名を受け入団。1992年まで在籍した。
1993年2月12日にサンディエゴ・パドレスと契約し[2]、同年は傘下アドバンスドA+級のランチョクカモンガ・クエークスで7試合登板、1勝0敗・防御率2.70、傘下AA級のウィチタ・ラングラーズで4試合登板、1勝0敗・防御率6.75、傘下AAA級のラスベガス・スターズで21試合登板、1勝3敗・防御率5.67をそれぞれ記録するも、9月2日に放出された[2]。
1994年はアドバンスドA+級のサンバーナーディーノ・スピリットで12試合登板、2勝3敗・防御率6.71の成績を残し、1995年1月24日にシカゴ・ホワイトソックスと契約[2]。前年の8月から同年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、同年のスプリングトレーニングにオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入は認められなかった。スト終結日となった4月2日、ホワイトソックスから放出され[2]、同年は独立リーグ・ウエスタン・ベースボール・リーグのサレー・グレイシアスで20試合登板、8勝9敗・防御率2.75を記録。
1996年は再び台湾に渡り、中華職棒の時報イーグルスで1年間プレーした後、34歳で一旦引退し、フォークリフトのオペレーターに転職したが、現役への未練を断ち切れず[3]、1998年に韓国球界(KBO)の第1回外国人選手ドラフトで現代ユニコーンズから1位指名を受け、現役に復帰[4]。
1999年2月23日にタンパベイ・デビルレイズと契約し[2]、同年は傘下AA級のオーランド・レイズで11試合登板、1勝4敗・防御率5.68、傘下AAA級のダーラム・ブルズで6試合登板、0勝1敗・防御率7.98を記録した他、メキシカンリーグのメキシコシティ・タイガースにも在籍。シーズン終了後の10月15日にFAとなり[2]、2000年2月1日にフロリダ・マーリンズと契約[2]。同年の開幕も傘下AAA級のカルガリー・キャノンズで迎えたが、5月11日のアトランタ・ブレーブス戦で、同じくこの日にメジャーデビューした先発のジェイソン・グリーリの後を受けて2番手として登板。プロ入り16年目、37歳にしてメジャーデビューを果たす[5][6]。これは第二次世界大戦以後のメジャーリーグでは1948年にクリーブランド・インディアンスのサチェル・ペイジが42歳、1960年にピッツバーグ・パイレーツのディオメデス・オリーボが41歳でメジャーデビューを果たしたのに次ぐ、史上3番目の年長記録となった[3][5](当時。現在は史上5位[注釈 1])。同年マーリンズでは18試合に登板、1勝1敗・防御率7.32の成績だった。同年10月18日にFAとなった[2]が、11月3日にマーリンズと翌年の契約を結んでいる[2]。
翌2001年にもマーリンズで5試合に登板、0勝0敗・防御率1.35の成績を残している。シーズン終了後の10月9日にFAとなり[2]、この年を最後にメジャーでの登板はなかったが、2002年4月15日にミルウォーキー・ブルワーズと契約し[2]、同年は傘下AAA級のインディアナポリス・インディアンスで15試合登板、0勝0敗・防御率4.19の成績を残す。6月2日に放出された後[2]、独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで30試合に登板、7勝0敗・防御率1.04の成績を記録する。2003年はメキシカンリーグのレイノサ・ブロンコスで46試合に登板、6勝4敗・防御率2.71の成績を残し、2004年にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズで15試合登板、3勝3敗・防御率4.84、ユカタン・ライオンズで14試合登板、1勝3敗・防御率5.40の成績を残した後、アトランティックリーグのカムデン・リバーシャークスで29試合に登板、3勝0敗・防御率2.20の成績を記録したのを最後に現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1990 | 味全 | 33 | 25 | 18 | 5 | 0 | 16 | 7 | 3 | 0 | .696 | 888 | 216.0 | 173 | 9 | 76 | 5 | 11 | 110 | 11 | 1 | 61 | 46 | 1.92 | 1.15 |
1991 | 34 | 23 | 16 | 2 | 2 | 15 | 10 | 5 | 0 | .600 | 879 | 211.1 | 198 | 8 | 64 | 4 | 4 | 116 | 8 | 0 | 74 | 63 | 2.68 | 1.24 | |
1992 | 32 | 26 | 16 | 1 | 1 | 12 | 12 | 2 | 0 | .500 | 922 | 217.1 | 193 | 24 | 91 | 3 | 9 | 131 | 12 | 1 | 89 | 76 | 3.15 | 1.31 | |
1996 | 時報 | 11 | 11 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | .500 | 263 | 63.0 | 57 | 8 | 26 | 1 | 1 | 28 | 2 | 1 | 29 | 28 | 4.00 | 1.32 |
1998 | 現代 | 53 | 0 | 0 | 0 | -- | 6 | 5 | 27 | 0 | .545 | 262 | 58.0 | 64 | 4 | 29 | 2 | 54 | 20 | 19 | 2.95 | 1.60 | |||
2000 | FLA | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 | .500 | 95 | 19.2 | 26 | 3 | 12 | 2 | 2 | 18 | 2 | 0 | 16 | 16 | 7.32 | 1.93 |
2001 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 25 | 6.2 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.35 | 0.90 | |
MLB:2年 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 | .500 | 120 | 26.1 | 29 | 4 | 15 | 2 | 2 | 22 | 2 | 0 | 17 | 17 | 5.81 | 1.67 | |
CPBL:4年 | 110 | 85 | 52 | 8 | 3 | 47 | 33 | 10 | 0 | .588 | 3164 | 707.2 | 621 | 49 | 257 | 13 | 25 | 385 | 33 | 3 | 253 | 213 | 2.71 | 1.24 | |
KBO:1年 | 53 | 0 | 0 | 0 | -- | 6 | 5 | 27 | 0 | .545 | 262 | 58.0 | 64 | 4 | 29 | 2 | 54 | 20 | 19 | 2.95 | 1.60 |
獲得タイトル・記録
[編集]- CPBL
- 最多勝利:1回 (1991年)
- 最優秀防御率:1回 (1990年)
- 最多奪三振:1回 (1992年)
背番号
[編集]- 27 (1990年 - 1992年、1998年)
- 47 (1996年)
- 50 (2000年 - 2001年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “University of California, Riverside Baseball Players Who Made it to the Major Leagues” (英語). Baseball-Almanac.com. 2016年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Joe Strong Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2016年2月3日閲覧。
- ^ a b 「各球団マンスリー・リポート フロリダ・マーリンズ/全米の話題呼んだ37歳の新人投手 ストロングが16年目の"晴れ舞台"」『月刊メジャー・リーグ』2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、36頁。
- ^ “Leagues of Their Own” (英語). 2016年2月3日閲覧。
- ^ a b Curry, Jack (May 13, 2000). “BASEBALL; Never Too Late To Make Debut In the Majors” (英語). The New York Times. 2016年2月3日閲覧。
- ^ “May 11, 2000 Atlanta Braves at Florida Marlins Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2016年2月3日閲覧。
- ^ Fitzpatrick, Mike (2007年6月10日). “MLB - Pittsburgh Pirates New York Yankees Recap June 10, 2007”. Yahoo!. オリジナルの2011年5月23日時点におけるアーカイブ。 03 February 2016閲覧。
- ^ “The Mets’ 40-Year-Old Rookie” (英語). The New York Times (May 05, 2009). 2016年2月3日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 CPBL
- 台灣棒球維基館