ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン (初代ヴァーノン男爵)
初代ヴァーノン男爵ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン(英語: George Venables-Vernon, 1st Baron Vernon、出生名ジョージ・ヴァーノン(George Vernon)、1708年2月9日 – 1780年8月21日)は、グレートブリテン王国の政治家、貴族。庶民院議員(在任:1731年 – 1747年、1754年 – 1762年)を務めた[1]。
生涯
[編集]庶民院議員ヘンリー・ヴァーノン(1686年4月 – 1719年2月25日)と1人目の妻アン(Anne、旧姓ピゴット(Pigot)、1692年ごろ – 1714年4月、トマス・ピゴットの娘)の息子として、1708年2月9日に生まれた[2][3]。1715年4月28日に母方の祖母の兄弟にあたるピーター・ヴェナブルズ(Peter Venables) が死去すると、その遺言状に基づきチェシャーでの領地を継承、「ヴェナブルズ」を姓に加えた[2]。1719年に父が死去すると[3]、ダービーシャーでの領地を継承した[2]。
1731年5月、トーリー党候補としてリッチフィールド選挙区の補欠選挙に出馬した[4]。リッチフィールドでは議席を掌握できるほどの勢力を有する人物がおらず、選挙戦が頻繁に生じていたが、この補欠選挙では選管がトーリー党支持だったためヴェナブルズ=ヴァーノンが当選、1734年と1741年の総選挙でも無投票で再選した[4]。議会でははじめ野党の一員として投票したが、1744年にトーリー党の一派である初代ゴア伯爵ジョン・ルーソン=ゴアが与党に転じると、ヴァーノンも与党に転じた[1]。1747年には再び野党に転じたが、1747年イギリス総選挙ではルーソン=ゴア家と初代アンソン男爵ジョージ・アンソンが手を組んだ結果、ヴェナブルズ=ヴァーノンが得票数4位(229票)で落選した[4][1]。
1754年イギリス総選挙で政府の支持者としてダービー選挙区から出馬、第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの支持を受けて当選した後、1761年イギリス総選挙で再選した[5][6]。1760年3月20日に首相の初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスに叙爵を申請して失敗した後、引き続きニューカッスル公爵の支持者として扱われたが、1762年の叙爵は3人目の妻の兄にあたる初代ハーコート伯爵サイモン・ハーコートとトーリー党の首相第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートへの申請が成功した結果とされる[6]。そして、叙爵の内諾を得ると、1762年4月に議員を辞任[6]、同年5月12日にグレートブリテン貴族であるチェシャーにおけるキンダートンのヴァーノン男爵に叙された[2][7]。
1780年8月21日に死去、28日にダービーシャーのサッドベリーで埋葬された[2]。1人目の妻との間の息子ジョージが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1733年6月21日、メアリー・ハワード(Mary Howard、1710年4月26日ごろ – 1740年2月、第6代エフィンガムのハワード男爵トマス・ハワードの娘)と結婚[2]、3男2女をもうけた[1]。
- ジョージ(1735年5月9日 – 1813年6月18日) - 第2代ヴァーノン男爵[2]
- ヘンリー - 早世[2]
- ハワード - 早世[2]
- メアリー - 早世[8]
- メアリー(1739年12月19日 – 1821年12月11日[9]) - 1763年1月5日、ジョージ・アダムズ(1731年7月25日洗礼 – 1789年10月27日)と結婚、子供あり[10]
1741年12月22日、アン・リー(Anne Lee、1742年9月22日没、第3代準男爵サー・トマス・リーの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。
1744年4月10日、マーサ・ハーコート(Martha Harcourt、1715年7月15日 – 1794年4月8日、サイモン・ハーコート閣下の娘)と再婚[2]、4男3女をもうけた。
- エリザベス(1746年1月21日 – 1826年1月25日) - 1765年9月26日、第2代ハーコート伯爵ジョージ・サイモン・ハーコート(1809年4月25日没)と結婚、子供なし[9]
- ヘンリー(1747年4月17日 – 1829年3月20日) - 第3代ヴァーノン男爵[2]
- ウィリアム - 早世[2]
- キャサリン(1749年8月31日 – 1775年6月8日) - 生涯未婚[9]
- マーサ(1751年12月25日 – 1808年6月[9])
- アン(1754年3月2日[11] – ?)
- エドワード(1757年10月10日 – 1847年11月5日) - ヨーク大主教。1784年2月5日、アン・ルーソン=ゴア(Anne Leveson-Gower、1832年11月16日没、初代スタッフォード侯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアの三女)と結婚、子供あり[12]
出典
[編集]- ^ a b c d Cruickshanks, Eveline (1970). "VENABLES VERNON, George (1710-80), of Sudbury, Derbys. and Kinderton, Cheshire.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 27–28.
- ^ a b Cruickshanks, Eveline (1970). "VERNON, Henry (1686-1719), of Sudbury, Derbys.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ a b c Cruickshanks, Eveline (1970). "Lichfield". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ Brooke, John (1964). "Derby". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ a b c Brooke, John (1964). "VENABLES VERNON, George (1709-80), of Sudbury, Derbys. and Kinderton, Cheshire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ "No. 10205". The London Gazette (英語). 1 May 1762. p. 6.
- ^ Hodgson, John (1832). A History of Northumberland (英語). Newcastle: Charles Henry Cook. p. 240.
- ^ a b c d Lodge, Edmund (1859). The Genealogy of the Existing British Peerage and Baronetage (英語). London: Hurst and Blackett. p. 555.
- ^ Brooke, John (1964). "ADAMS, George (1731-89), of Sambrook, Salop, and Shugborough, Staffs.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月2日閲覧。
- ^ Debrett, John. Courthope, William (ed.). Debrett's Peerage of England, Scotland, and Ireland (英語) (21st ed.). London. p. 220.
- ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2381–2382.
外部リンク
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先代 ウォルター・チェットウィンド リチャード・プラマー |
庶民院議員(リッチフィールド選挙区選出) 1731年 – 1747年 同職:リチャード・プラマー 1731年 – 1734年 ローランド・ヒル 1734年 – 1741年 サー・リチャード・ホルト準男爵 1741年 – 1747年 |
次代 リチャード・ルーソン=ゴア閣下 トマス・アンソン |
先代 ダンキャノン子爵 トマス・リヴェット |
庶民院議員(ダービー選挙区選出) 1754年 – 1762年 同職:フレデリック・キャヴェンディッシュ卿 |
次代 フレデリック・キャヴェンディッシュ卿 ウィリアム・フィッツハーバート |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | ヴァーノン男爵 1762年 – 1780年 |
次代 ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン |