ジョージ・ペル
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枢機卿 ジョージ・ペル George Pell AC | |
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バチカン市国財務局長官 | |
教会 | カトリック教会 |
司教区 | サンタ・マリア・ドメニカ・マツァレッロ教会(ローマ)(名義司教) |
他の役職 |
メルボルン大司教(1996年- 2001年) シドニー大司教(2001年-2014年) |
聖職 | |
司祭叙階 | 1966年12月16日 |
司教叙階 | 1987年5月21日 |
枢機卿任命 | 2003年10月21日 |
個人情報 | |
出生 |
1941年6月8日 オーストラリア・ビクトリア州バララット |
死去 |
2023年1月10日(81歳没) イタリア・ローマ,Salvator Mundi International Hospital |
国籍 | オーストラリア |
出身校 |
w:Corpus Christi College, Melbourne w:Pontifical Urban University w:Campion Hall w:Monash University |
座右の銘 |
Nolite Timere 英語訳例:"Be not afraid" 日本語訳例:「恐れるな」 |
紋章 |
ジョージ・ペル(George Pell、1941年6月8日 - 2023年1月10日)は、カトリック教会の枢機卿。
来歴・人物
[編集]オーストラリアのバララット出身。2003年に枢機卿に任命され、2014年にフランシスコ教皇から財務局長官(財務相)に抜てきされ[1]、ローマ法王庁で3番目の地位にあった[2]。母国オーストラリアでは安楽死や同性婚に強硬姿勢を示し、宗教保守派から英雄視されていた[1]。
1996年にメルボルンにあるセント・パトリック大聖堂内の部屋で聖歌隊の少年2人を性的に虐待したとして有罪評決が下されていたことが2019年2月26日に公表された[2]。2020年4月7日、オーストラリアの最高裁判所はこれまでの有罪判決を覆し、満場一致で無罪判決を下した[3][4][5]。
→「カトリック教会の性的虐待事件」も参照
晩年は人工股関節置換手術を受けるためローマの病院に入院中であった[6]。手術は成功したものの、その後心停止状態に陥った後、現地時間10日午後8時50分(日本時間11日午前4時50分)、ローマの病院にて死去した[6][7]。81歳没。訃報は秘書によって当日に明らかにされた[7]。
脚注
[編集]- ^ a b “ローマ法王側近の枢機卿に少年への性的虐待で有罪評決、豪裁判所”. www.afpbb.com (2019年2月26日). 2019年2月26日閲覧。
- ^ a b “ヴァチカン高官、児童への性的暴行で有罪評決 これまでで最高位” (英語). bbc.com. (2019年2月26日) 2019年2月26日閲覧。
- ^ “豪最高裁、ヴァチカン元高官に逆転無罪 児童性的虐待で受刑中”. bbc.com. (2020年4月7日) 2020年4月7日閲覧。
- ^ “ペル枢機卿、無罪に、豪最高裁、全会一致で”. vaticannews.va. (2020年4月7日) 2020年4月8日閲覧。
- ^ “ペル枢機卿:教皇庁、豪最高裁判決を好意的に受け止め”. vaticannews.va. (2020年4月7日) 2020年4月8日閲覧。
- ^ a b “性的虐待裁判で逆転無罪のジョージ・ペル枢機卿死去、バチカン元ナンバー3”. クリスチャントゥデイ. 2023年1月11日閲覧。
- ^ a b “バチカン高位の枢機卿、81歳で死去 少年への性的虐待で有罪評決も後に覆る”. ライブドアニュース. 2023年1月11日閲覧。