ジョージ・チャムリー (第3代チャムリー伯爵)

第3代チャムリー伯爵ジョージ・チャムリー(英語: George Cholmondeley, 3rd Earl of Cholmondeley, KB, PC、1703年1月2日 – 1770年6月10日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。ホイッグ党に所属し、1724年から1733年まで庶民院議員を務めた後、爵位を継承した。1725年から1733年までマルパス子爵の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]第2代チャムリー伯爵ジョージ・チャムリーとエリザベス・ファン・ロイテンブルフ(Elizabeth van Ruytenburg)の長男として、1703年1月2日に生まれた[1]。
1724年1月にイースト・ロウ選挙区で当選して庶民院議員になり、1727年イギリス総選挙でウィンザー選挙区に鞍替えした後[2]、1733年5月7日に父が死去するとチャムリー伯爵位を継承した[1]。
義父が首相ロバート・ウォルポールだったこともあり、チャムリー伯爵は多くの官職と名誉職を務めた。彼は1725年から1770年までチェスター総督を、1726年から1727年まで王室衣装係を、1727年から1728年まで下級海軍卿を、1728年から1735年までフレデリック・ルイス王太子の主馬頭を、1735年から1736年まで下級大蔵卿を、1736年から1743年までランカスター公領大臣を、1743年12月から1744年12月まで王璽尚書を、1744年から1757年までアイルランド副大蔵卿を務めた[2]。また、1725年5月27日にバス勲章を授与され、1736年5月21日に枢密顧問官に任命された[2]。ほかにも1733年から1761年まで(デンビーシャーを除く)北ウェールズ知事を、1733年から1770年までチェシャー統監とチェシャー副提督を務め、1745年に大佐の軍階を与えられ、1755年に少将に、1759年に中将に昇進した[2]。
1739年に創設された捨子養育院では初代総裁の1人だった[3]。
1770年6月10日に死去[2]、長男ジョージが早世したため孫ジョージが爵位を継承した[1]。
人物
[編集]ホレス・ウォルポールは第3代チャムリー伯爵を「空っぽな人物で、義父サー・ロバート・ウォルポールに高く祭り上げられ、自身の金遣いの荒さと力不足で軽蔑されて忘れ去られた」と評した[2]。また、1746年までに借金まみれになり、以降数年間に金策として官職を求めたという[2]。
家族
[編集]1723年9月14日、首相ロバート・ウォルポールの娘メアリー(1731年没)と結婚、3男をもうけた[1]。
- ジョージ(1724年10月17日 – 1764年3月15日) - 庶民院議員、軍人。第4代チャムリー伯爵ジョージ・チャムリーの父[1]
- ロバート(1727年11月1日 – 1804年6月5日) - 軍人。1747年のラウフフェルトの戦いの後、軍務から引退して聖職者になる[4]。1746年11月30日、メアリー・ウォッフィントン(Mary Woffington、1811年4月4日没、アーサー・ウォッフィントンの娘)と結婚、子供あり[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage, Clan Chiefs, Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 784. ISBN 978-0-9711966-2-9。
- ^ a b c d e f g Cruickshanks, Eveline (1970). "CHOLMONDELEY, Hon. George (1703-70)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月1日閲覧。
- ^ A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children (英語). p. 4.
- ^ Boswell, James (1950). "Entry for 17 December, note 10". London Journal 1762-1763 (英語) (2010 ed.). Penguin. ISBN 978-0140436501。
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 ジョン・スミス ウィリアム・ラウンズ |
庶民院議員(イースト・ロウ選挙区選出) 1724年 – 1727年 同職:ウィリアム・ラウンズ 1724年 サー・ヘンリー・ホートン 1724年 – 1727年 |
次代 サー・ジョン・トレローニー準男爵 チャールズ・ロングヴィル |
先代 インチクィン伯爵 ヴィアー・ボークラーク卿 |
庶民院議員(ウィンザー選挙区選出) 1727年 – 1733年 同職:ヴィアー・ボークラーク卿 |
次代 ヴィアー・ボークラーク卿 シドニー・ボークラーク卿 |
軍職 | ||
先代 チャムリー伯爵 |
チェスター総督 1725年 – 1770年 同職:チャムリー伯爵 1725年 – 1733年 |
次代 ジェームズ・チャムリー |
宮廷職 | ||
先代 カドガン伯爵 |
王室衣装係 1726年 – 1727年 |
次代 オーガスタス・シューツ |
新設官職 | フレデリック・ルイス王太子の主馬頭 1729年 – 1739年 |
次代 ミドルセックス伯爵 |
公職 | ||
先代 ラトランド公爵 |
ランカスター公領大臣 1736年 – 1743年 |
次代 エッジカム男爵 |
先代 ゴア男爵 |
王璽尚書 1743年 – 1744年 |
次代 ゴア男爵 |
名誉職 | ||
先代 チャムリー伯爵 |
チェシャー統監 チェシャー副提督 1733年 – 1770年 |
次代 チャムリー伯爵 |
アングルシー統監 1733年 – 1760年 |
次代 サー・ニコラス・ベイリー準男爵 | |
カーナーヴォンシャー統監 1733年 – 1760年 |
次代 トマス・ウィン | |
フリントシャー統監 1733年 – 1760年 |
次代 サー・ロジャー・モスティン準男爵 | |
メリオネスシャー統監 1733年 – 1760年 |
空位 次代の在位者 ウィリアム・ヴォーン
| |
モンゴメリーシャー統監 1733年 – 1760年 |
次代 ポウィス伯爵 | |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・チャムリー |
チャムリー伯爵 1733年 – 1770年 |
次代 ジョージ・チャムリー |