ジョン・ホリス (初代ニューカッスル公爵)
初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ジョン・ホリス[1](英語: John Holles, 1st Duke of Newcastle-upon-Tyne KG PC、1662年1月9日 – 1711年7月15日)は、イギリスの貴族。1666年から1689年までホートン卿の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]第3代クレア伯爵ギルバート・ホリスとグレース・ピアポント(Grace Pierrepont、ウィリアム・ピアポントの娘)の長男として、1662年1月9日にエドウィンストーで生まれ、16日に洗礼を受けた[2]。
姉エリザベスが1676年に初代バーナード男爵クリストファー・ヴェインと結婚すると、ジョン・ホリスは一時2人を嫌ったという[3]。
1689年イングランド総選挙において、1689年1月14日にノッティンガムシャー選挙区で当選したが[4]、父が1689年1月16日に死去したため、クレア伯爵の爵位を継承することとなり[2]、庶民院に登院することはなかった。同1689年より寝室侍従、ミドルセックス統監、ミドルセックス首席治安判事(1689年7月9日任命[5])を務めた[2]。その後、1691年に妻の父である第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュが死去するとその遺産を継承したが、公爵への叙爵を拒否されたためほとんどの役職から辞任した[4]。
1694年に第3代ホリス男爵デンジル・ホリスの遺産を継承すると、年収入が4万ポンドに上り[4]、1694年5月14日、クレア侯爵およびニューカッスル公爵に叙されることとなった[2]。政治での野心はないものの、影響力は大きく、1705年時点の庶民院では10議席を掌握していた[4]。また、叙爵以降は官職への就任を再開、1694年8月16日から1711年7月15日までノッティンガムシャー統監とノッティンガムシャー首席治安判事を[5]、1699年から1711年までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事とキングストン=アポン=ハル総督を、1705年から1711年までノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監と王璽尚書を、1711年に北トレント巡回裁判官を務め、1698年5月30日にガーター勲章を授与され、1705年3月29日にイングランド枢密院の枢密顧問官に任命された[4]。1706年にスコットランドとの合同交渉が行われたとき、イングランド代表の1人を務めた[4]。
1710年、ケンブリッジシャーのウィンポール・パーク(Wimpole Park)とメリルボーン館(Manor of Marylebone)を購入した。メリルボーンの領地は娘婿の第2代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーに渡り、ハーレーはメリルボーンでホリス・ストリートという通りを命名してニューカッスル公爵を記念した[6]。
1711年、ウェルベックでの狩猟中に落馬事故を起こし、そのときの怪我がもとで死去した[7]。遺言状でキャヴェンディッシュの領地を娘婿に渡し、残りは甥のトマス・ペラム(後の初代ニューカッスル公爵、イギリス首相)が継承した[4]。
家族
[編集]1690年3月1日[4]、マーガレット・キャヴェンディッシュ(1661年 – 1716年、第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュの娘)と結婚[2]、1女を儲けた[4]。
- ヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ(1694年 – 1755年) - 1713年、第2代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーと結婚、子供あり
脚注
[編集]- ^ 「ニューカスル公」『世界大百科事典 第2版』 。コトバンクより21 December 2020閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 24.
- ^ Mounsey, Chris. Christopher Smart: Clown of God. London: Bucknell University Press, 2001. p. 23
- ^ a b c d e f g h i Edwards, E. R. (1983). "HOLLES, John, Lord Houghton (1662-1711), of Haughton, Notts. and Warwick House, Holborn, Mdx.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月22日閲覧。
- ^ a b Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月13日閲覧。
- ^ Bebbington, Gillian. (1972) London Street Names. London: B.T. Batsford. pp. 164, 176. ISBN 0713401400
- ^ Abel Boyer. The history of the reign of Queen Anne (英語). Vol. 10. p. 381.
外部リンク
[編集]- ジョン・ホリス - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョン・ホリスの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- Biography of John Holles, Duke of Newcastle-upon-Tyne, with links to online catalogues, on the website of Manuscripts and Special Collections, The University of Nottingham
イングランド議会 (en) | ||
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先代 サー・ウィリアム・クリフトン準男爵 リーザン・メリッシュ |
庶民院議員(ノッティンガムシャー選挙区選出) 1689年 同職:スクロープ・ハウ |
次代 スクロープ・ハウ ジョン・ホワイト |
軍職 | ||
先代 カーマーゼン侯爵 |
キングストン=アポン=ハル総督 1699年 – 1711年 |
次代 リチャード・サットン |
司法職 | ||
先代 デヴォンシャー公爵 |
巡回裁判官 北トレント 1711年 |
次代 リーズ公爵 |
名誉職 | ||
先代 クレイヴェン伯爵 |
ミドルセックス統監 1689年 – 1692年 |
次代 ベッドフォード伯爵 |
ミドルセックス首席治安判事 1689年 – 1692年 | ||
先代 デヴォンシャー公爵 |
ノッティンガムシャー統監 1694年 – 1711年 |
空位 次代の在位者 クレア伯爵
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空位 最後の在位者 キングストン=アポン=ハル伯爵
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ノッティンガムシャー首席治安判事 1694年 – 1711年 | |
先代 リーズ公爵 |
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監 1699年 – 1711年 |
空位 次代の在位者 カーマーゼン侯爵
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イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事 1699年 – 1711年 |
次代 カーマーゼン侯爵 | |
先代 バッキンガム=ノーマンビー公爵 |
ノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監 1705年 – 1711年 |
次代 バッキンガム=ノーマンビー公爵 |
公職 | ||
先代 バッキンガム=ノーマンビー公爵 |
王璽尚書 1705年 – 1711年 |
次代 ジョン・ロビンソン |
イングランドの爵位 | ||
爵位創設 | ニューカッスル=アポン=タイン公爵 第2期 1694年 – 1711年 |
廃絶 |
先代 ギルバート・ホリス |
クレア伯爵 1689年 – 1711年 |