コンテンツにスキップ

ジョン・フィッツギボン (第2代クレア伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2代クレア伯爵

第2代クレア伯爵ジョン・フィッツギボン英語: John FitzGibbon, 2nd Earl of Clare KP GCH PC1792年6月10日 ダブリン1851年8月18日 ブライトン)は、イギリスの貴族、政治家。1831年から1835年までボンベイ総督英語版を務めた[1]

生涯

[編集]

初代クレア伯爵ジョン・フィッツギボン英語版と妻アン(Anne、旧姓ウェーリー(Whaley)、1844年1月13日没、リチャード・チャペル・ウェーリーの娘)の息子として、1792年6月10日にダブリンで生まれた[2]。1802年1月28日に父が死去すると、クレア伯爵位を継承した[2]ハーロー校で教育を受け、同校で詩人の第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンと知り合って友人になり、バイロンはChildish Recollections(1806年)でクレア伯爵を登場させた[2]。1810年2月1日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1812年にB.A.の学位を、1819年にM.A.の学位を修得した[3]

1830年8月25日、枢密顧問官に任命された[4]。1831年3月21日から1835年までボンベイ総督英語版を務めた[1]。1835年にロイヤル・ゲルフ勲章英語版ナイト・グランド・クロスを、1845年9月17日に聖パトリック勲章を授与された[2]。1848年9月13日にリメリック統監英語版に任命され、1851年に死去するまで務めた[5][6]。1850年8月31日にはリメリック県首席治安判事英語版も兼任した[2][7]

貴族院では保守党に所属した[2]。1820年にジョージ4世キャロライン・オブ・ブランズウィックへの痛みと罰法案英語版に反対票を投じた[8]穀物法廃止(1846年)をめぐり、首相の第2代準男爵サー・ロバート・ピールに追随して廃止に賛成した[2]

1851年8月18日にブライトンで死去、弟リチャード・ホバートが爵位を継承した[2]

家族

[編集]

1826年4月14日、リッチモンドでエリザベス・ジュリア・ジョージアナ・バレル(Elizabeth Julia Georgiana Burrell、1793年3月25日 – 1879年4月30日、初代グウィディア男爵ピーター・バレル英語版第21代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵プリシラ・バーティーの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。2人は1829年までに別居した[2]

出典

[編集]
  1. ^ a b Great Britain India Office (1905). The India List and India Office List (英語). Vol. I. Harrison. p. 126.
  2. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 255–257.
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 467.
  4. ^ "No. 18721". The London Gazette (英語). 27 August 1830. p. 1825.
  5. ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月20日閲覧
  6. ^ "No. 5787". The Edinburgh Gazette (英語). 19 September 1848. p. 464.
  7. ^ "No. 6001". The Edinburgh Gazette (英語). 6 September 1850. p. 763.
  8. ^ "Preamble". Parliamentary Debates (Hansard) (英語). House of Lords. 10 November 1820. col. 1744.

外部リンク

[編集]
官職
先代
サー・ジョン・マルコム英語版
ジョン・ロマー英語版(暫定)
ボンベイ総督英語版
1831年 – 1835年
次代
サー・ロバート・グラント英語版
名誉職
先代
リチャード・ホバート・フィッツギボン閣下
リメリック統監英語版
1848年 – 1851年
次代
第3代クレア伯爵
アイルランドの爵位
先代
ジョン・フィッツギボン英語版
クレア伯爵
1802年 – 1851年
次代
リチャード・ホバート・フィッツギボン