ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール
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ブラジル代表でのパウリーニョ (2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール José Paulo Bezerra Maciel Júnior | |||||
ラテン文字 | Paulinho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1988年7月25日(36歳) | |||||
出身地 | サンパウロ | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CMF / AMF / DMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2005 | PAEC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | FCヴィリニュス | 38 | (5) | |||
2007-2008 | ŁKSウッチ | 17 | (0) | |||
2008-2009 | グレミオ・オザスコ・アウダックス | 39 | (7) | |||
2009-2010 | CAブラガンチーノ | 28 | (6) | |||
2010-2013 | SCコリンチャンス・パウリスタ | 86 | (20) | |||
2013-2015 | トッテナム・ホットスパーFC | 45 | (6) | |||
2015-2017 | 広州足球倶楽部 | 63 | (16) | |||
2017-2019 | FCバルセロナ | 34 | (9) | |||
2018 | → 広州足球倶楽部 (loan) | 19 | (13) | |||
2019-2021 | 広州足球倶楽部 | 43 | (29) | |||
2021 | アル・アハリ・ジッダ | 4 | (2) | |||
2022-2024 | SCコリンチャンス・パウリスタ | 35 | (6) | |||
代表歴 | ||||||
2011-2018 | ブラジル | 56 | (13) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パウリーニョ(Paulinho)こと、ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール(José Paulo Bezerra Maciel Júnior、1988年7月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]クラブ
[編集]2004年からグレミオ・オザスコ・アウダックスのユースチームに所属し、2006年にリトアニアのFCヴィリニュスでプロデビューを果たしたが、人種差別に苦しみ退団。[1]。2007年にポーランドのŁKSウッチに移籍した。しかし、ここでは給料不払いに遭い、シーズン終了まで耐え凌ぎプレーしたが、退団[1]。
その後ブラジルに帰国し、家族の元へ戻ったパウリーニョは、サッカーを辞める決断を下した。
「俺は自分の権利のために戦ってきた。約束を守ってきた。でも相手は守らない。それでサッカーが嫌になり、辞めるって決めたのさ」
2週間、自宅に引きこもる生活を続けたが、当時の夫人の以下の言葉が胸に刺さり、引退を撤回する。[1]
『ずっとあなたのために戦ってきた両親に悪いと思わないの? 5歳のときからあなたのためにしてくれたことを忘れるつもり?』
さらに娘が生まれたばかりという事情から帰国直後から声を掛けてくれていたユース時代の古巣PAECに連絡をとり、再びユニホームに袖を通すことを決断した。契約条件は、父親として新たな生活を始めるためのアパートの家賃だった。2008年、4部リーグながら母国でプロデビューしたパウリーニョは、PAECでレギュラーとして2度のタイトル獲得に貢献し、チームを2部まで導いた後2009年にCAブラガンチーノへ移籍。2010年にはSCコリンチャンス・パウリスタに移籍した。
コリンチャンスでは移籍直後からレギュラーに定着。2011年は35試合に出場し8得点を挙げ、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA優勝に貢献。自身もボーラ・ジ・プラッタやプレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロンにおいてベストイレブンに選出された。2012年夏にはイタリア・セリエAのインテルナツィオナーレ・ミラノから巨額のオファーがあったものの[2][3]、コパ・リベルタドーレスを優先して残留し[2][4]、コリンチャンスのコパ・リベルタドーレス初優勝に貢献した。2012年8月25日にはコリンチャンスが新たにパウリーニョの所有権を55%取得し、2015年まで契約を延長すると共に違約金を1500万ユーロに設定した[5]。その4か月後に行われた、クラブワールドカップで、当時アフリカ王者のアル・アハリ、欧州王者のチェルシーをそれぞれ倒し、世界一にも貢献した。
インテルナツィオナーレ・ミラノやレアル・マドリード、ASローマが獲得に動いていたが、2013年7月6日、トッテナム・ホットスパーFCへ1700万ポンドで完全移籍した[6]。2013-14シーズン、リーグ戦ではフィールドプレーヤーではチーム2位となる30試合出場、チーム3位タイの6得点を挙げた。2014-15シーズンはリーグ戦15試合出場で無得点。先発出場は3試合のみと機会を減らした。
2015年6月29日、中国サッカー・スーパーリーグの広州足球倶楽部へ完全移籍した[7][8]。移籍金1400万ユーロ(約19億円)の4年契約を締結し、2015シーズンは超級リーグで背番号48番、AFCチャンピオンズリーグ2015とFIFAクラブワールドカップ2015で8番を着用した。
2015年8月25日に行われたAFCチャンピオンズリーグ2015準々決勝 第1戦の柏レイソル戦で約35メートルの位置からFKを直接叩き込み、ワールドクラスのスーパーゴールを決めた[9]。
2017年8月14日、FCバルセロナへ移籍することが発表された。4年契約で移籍金は4000万ユーロ、契約破棄金は1億2000万ユーロに設定された[10]。9月16日のヘタフェCF戦では途中交代からチームを救う逆転ゴールを決め、初得点を記録した。
2018年7月8日、FCバルセロナはパウリーニョに関して、買い取りオプションと共に、広州足球倶楽部にレンタル移籍して、1シーズンプレーすることで合意に達したと発表した[11]。
2020シーズン終了後に母国に帰国していたが、新型コロナウイルスの影響で中国への再入国が叶わず、2021年6月20日に広州FCを退団することが発表された[12]。
2021年7月22日、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・アハリ・サウジFCに加入[13]。8月19日、第2節アル・ハズムFC戦でデビュー。その後も、3試合つづけて先発出場していたが、9月17日の第5節ファティフFC戦終了後にクラブ首脳陣に対して退団の申し出をし、双方合意のもとで契約解除に至ったと発表した[14]。
2021年12月15日、古巣のコリンチャンスに2023年12月までの契約で加入したことが発表された[15]。
2024年9月8日、現役引退を表明した。
代表
[編集]2011年9月14日のスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス、アルゼンチン戦でブラジル代表デビュー[16]。2012年9月19日に行われたスーペルクラシコでは代表初得点を挙げた。同年10月16日の日本との親善試合ではミドルシュートで先制点を挙げた[17]。
2017年3月23日のワールドカップ予選ウルグアイ戦でハットトリックを達成した[18]。
2018FIFAワールドカップでは、グループリーグの最終戦セルビア戦で先制点を決めた。
プレースタイル
[編集]主に守備的ミッドフィルダーとしてプレーし、フィジカルと決定力を兼ね備えている[19]。決定的なスルーパスの出し手としても、パスを受けてのゴールゲッターとしての能力も高い。多くのポジションをこなす事が出来るオールラウンダーで、トッテナムの元指揮官アンドレ・ビラス・ボアスはパウリーニョに、同じプレミアリーグのチェルシーで活躍したフランク・ランパードを感じると評価しており[20]、本人もランパードを目標にしていると語っている[21]。
個人成績
[編集]所属クラブ | シーズン | リーグ | 州リーグ | カップ戦 | その他 | 合計 | |||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
CAブラガンチーノ | 2009 | 27 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27 | 6 |
コリンチャンス | 2010 | 27 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 45 | 4 |
2011 | 35 | 8 | 23 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 58 | 8 | |
2012 | 23 | 7 | 15 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | 10 | |
2013 | 1 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 3 | |
所属クラブ | シーズン | リーグ | オープン杯 | リーグ杯 | 欧州CL | 合計 | |||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
トッテナム・ホットスパー | 2013-14 | 30 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 8 |
2014-15 | 15 | 0 | 3 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 22 | 1 | |
所属クラブ | シーズン | リーグ | オープン杯 | ACL | その他 | 合計 | |||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
広州恒大 | 2015 | 13 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 3 | 2 | 22 | 5 |
2016 | 30 | 8 | 8 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 44 | 11 | |
2017 | 20 | 6 | 0 | 0 | 8 | 5 | 1 | 0 | 29 | 11 | |
所属クラブ | シーズン | リーグ | オープン杯 | 欧州CL | その他 | 合計 | |||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
FCバルセロナ | 2017-18 | 34 | 9 | 6 | 0 | 9 | 0 | 0 | 0 | 49 | 9 |
代表歴
[編集]出場大会
[編集]- ブラジル代表
- 2013年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2013(優勝)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(4位)
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(ベスト8)
試合数
[編集]国際Aマッチ 56試合 13得点(2011年 - 2018年)
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2011 | 1 | 0 |
2012 | 7 | 2 |
2013 | 16 | 3 |
2014 | 8 | 0 |
2016 | 5 | 1 |
2017 | 9 | 5 |
2018 | 10 | 2 |
通算 | 56 | 13 |
ゴール
[編集]# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1. | 2012年9月19日 | ゴイアニア | アルゼンチン | 1-1 | 2-1 | スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス |
2. | 2012年10月16日 | ヴロツワフ | 日本 | 1-0 | 4-0 | 親善試合 |
3. | 2013年6月2日 | リオデジャネイロ | イングランド | 2-2 | 2-2 | |
4. | 2013年6月15日 | ブラジリア | 日本 | 2-0 | 3-0 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 |
5. | 2013年6月26日 | ベロオリゾンテ | ウルグアイ | 2-1 | 2-1 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013準決勝 |
6. | 2016年11月10日 | アルゼンチン | 3-0 | 3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・南米予選 | |
7. | 2017年3月24日 | モンテビデオ | ウルグアイ | 1-1 | 1-4 | |
8. | 1-2 | |||||
9. | 1-4 | |||||
10. | 2017年8月31日 | ポルト・アレグレ | エクアドル | 1-0 | 2-0 | |
11. | 2017年10月10日 | サンパウロ | チリ | 1-0 | 3-0 | |
12. | 2018年3月23日 | モスクワ | ロシア | 0-3 | 0-3 | 親善試合 |
13. | 2018年6月28日 | セルビア | 0-1 | 0-2 | 2018 FIFAワールドカップ |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- カンピオナート・パウリスタ・セグンダ・ディヴィジョン:1回 (2008)
- カンピオナート・パウリスタ・セリエA3:1回 (2009)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2012)
- コパ・リベルタドーレス:1回 (2012)
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回 (2011)
- カンピオナート・パウリスタ:1回 (2013)
- 中国サッカー・超級リーグ:3回 (2015, 2016, 2019)
- 中国FAカップ:1回 (2016)
- 中国サッカー・スーパーカップ:2回 (2016, 2017)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回 (2015)
- コパ・デル・レイ:1回 (2017-18)
- プリメーラ・ディビシオン:1回 (2017-18)
代表
[編集]- スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス:2回 (2011, 2012)
- FIFAコンフェデレーションズカップ:1回 (2013)
個人
[編集]- ボーラ・ジ・プラッタ:2回 (2011, 2012)
- プレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロン:2回 (2011, 2012)
- FIFAコンフェデレーションズカップ ブロンズボール:1回 (2013)
- 中国サッカー・超級リーグ ベストイレブン:1回 (2016)
脚注
[編集]- ^ a b c 史上最悪扱いからバルサの名脇役。パウリーニョは異彩を放つ肉体派。 Sports Graphic Number
- ^ a b SOCCER KING (2012年10月14日). “ブラジル代表MFパウリーニョ、今冬のインテル移籍を希望”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ Goal.com (2012年10月30日). “パウリーニョ、夏にインテルへ行かなかったことを後悔せず”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ Goal.com (2012年7月14日). “パウリーニョはコリンチャンス残留へ”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ TUTTO mercato WEB.com (2012年8月25日). “Paulinho, il Corinthians si prende il 50%. Clausola a 15 milioni, l'Inter...”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ トッテナムがパウリーニョ獲得を正式発表 Goal.com 2013年7月7日
- ^ 保利尼奥正式加盟广州队 広州恒大淘宝足球倶楽部公式サイト 2015年6月29日
- ^ 相次ぐ中国移籍…広州恒大がブラジル代表MFパウリーニョを19億円で獲得 soccerking 2015年6月29日
- ^ ACL柏戦で圧巻の30メートル超えFK弾…パウリーニョ「生涯最高のゴール」 soccerking 2015年8月25日
- ^ パウリーニョ・ベセーラ、FCバルセロナの新獲得選手 FC Barcelona 2017年8月14日
- ^ パウリーニョのレンタル移籍で合意 FCバルセロナ公式ウェブサイト 2018年7月9日
- ^ “パウリーニョが広州FCと契約を解除…コロナの影響で中国に再入国できず”. 超ワールドサッカー (2021年6月21日). 2021年7月24日閲覧。
- ^ “広州退団のパウリーニョ、新天地はサウジアラビアに!”. 超ワールドサッカー (2021年7月23日). 2021年7月24日閲覧。
- ^ “元バルサMFが中東クラブ電撃退団!わずか2カ月の在籍期間”. Football Trilbe (2021年9月19日). 2021年9月19日閲覧。
- ^ “パウリーニョが8年半ぶりに古巣コリンチャンスへ復帰!”. 超ワールドサッカー (2021年12月16日). 2021年12月16日閲覧。
- ^ Esporte.uol.com (2011年9月28日). “Brasil vence Superclássico contra a Argentina com brilho de estreantes Lucas e Cortês”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ SOCCER KING (2012年10月17日). “日本代表、挑戦による大敗に悲観視は不要…将来への収穫を評価/ブラジル戦”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ SOCCER KING (2017年3月24日). “ブラジル、パウリーニョのハットなどで2位ウルグアイを撃破…7連勝で首位快走”. 2017年3月24日閲覧。
- ^ Sky.it (2012年7月10日). “Inter, ecco chi è Paulinho: uno bravo a fare tutto”. 2012年11月6日閲覧。
- ^ パウリーニョにランパードを感じるビラスボアス Goal.com 2013年8月
- ^ パウリーニョ:「ランパードの後に続きたい」 Goal.com 2013年8月
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Paulinho at tottenhamhotspur.com
- Paulinho - National-Football-Teams.com
- Paulinho – FIFA主催大会成績
- Paulinho - UEFA主催大会成績
- ESPN FC profile
- Paulinho (@paulinhop8) - X(旧Twitter)
- プロフィール(2015年) - 広州恒大