コンテンツにスキップ

ジョシュア・アレン (第5代アレン子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョシュア・レノルズによる肖像画、1762年。

第5代アレン子爵ジョシュア・アレン英語: Joshua Allen, 5th Viscount Allen1728年4月26日1816年2月1日)は、アイルランド貴族グレートブリテン王国の政治家。

生涯

[編集]

リチャード・アレン(Richard Allen初代アレン子爵ジョン・アレンの三男)とドロシー・グリーン(Dorothy Green、サミュエル・グリーンの娘)の息子として、1728年4月26日に生まれた[1]

1742年にエンサイン英語版として第17歩兵連隊英語版に入隊、1745年に中尉に昇進したが、1748年に一時半給になった[2]。1755年に第53歩兵連隊英語版に転じ、1756年に第37歩兵連隊英語版に転じて大尉に昇進した[2]。その後、七年戦争フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク=ウォルフェンビュッテルの部下として戦い、1759年のミンデンの戦いで負傷した[1]。1761年にポルトガルに転じ、1765年に近衛歩兵第1連隊に転じて中佐に昇進、1774年にイギリス陸軍から引退した[2]

1753年11月10日に兄にあたる第4代アレン子爵ジョン・アレンが生涯未婚のまま死去すると、アレン子爵の爵位を継承、同年12月16日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]

1762年12月にアイ選挙区英語版庶民院議員に当選、議会でロッキンガム侯爵チャタム伯爵を支持したが、演説の記録はなかったという[2]。1770年に600ポンドの年金を与えられ[1]、同時期に庶民院議員を辞した[2]

1816年2月1日にダブリンで死去、息子ジョシュアが爵位を継承した[1]

家族

[編集]

1781年5月5日、ダブリンでフランシス・バリー(Frances Barry、1833年8月11日没、ゲイノア・バリー(Gaynor Barry)の娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 111.
  2. ^ a b c d e Drummond, Mary M. (1964). "ALLEN, Joshua, 5th Visct. Allen [I] (1728-1816)". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月7日閲覧
  3. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 400.
グレートブリテン議会英語版
先代
ヘンリー・タウンゼンド英語版
ブローム子爵
庶民院議員(アイ選挙区英語版選出)
1762年 – 1770年
同職:リチャード・バートン英語版 1762年 – 1768年
ウィリアム・コーンウォリス 1768年 – 1770年
次代
ウィリアム・コーンウォリス
リチャード・バートン英語版
アイルランドの爵位
先代
ジョン・アレン
アレン子爵
1753年 – 1816年
次代
ジョシュア・アレン