コンテンツにスキップ

ジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヌーネス
名前
本名 ジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ
João Batista Nunes de Oliveira
ラテン文字 João Batista
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1954-05-20) 1954年5月20日(70歳)
出身地 ポルト・アレグレ
身長 178cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973 ブラジルの旗 フラメンゴ 0 (0)
1974-1975 ブラジルの旗 コンフィアンサ 0 (0)
1975-1978 ブラジルの旗 サンタ・クルス 64 (37)
1978-1979 ブラジルの旗 フルミネンセ 57 (40)
1979-1980 メキシコの旗 モンテレイ 10 (7)
1980-1983 ブラジルの旗 フラメンゴ 152 (79)
1983 ブラジルの旗 ボタフォゴ 28 (21)
1984 ブラジルの旗 フラメンゴ 31 (6)
1985 ブラジルの旗 ナウチコ 24 (12)
1985 ブラジルの旗 サントス 46 (18)
1986 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 25 (10)
1986-1987 ポルトガルの旗 ボアヴィスタ 9 (4)
1987 ブラジルの旗 フラメンゴ 0 (0)
1988 ブラジルの旗 ボルタ・レドンダ 0 (0)
1988-1991 エルサルバドルの旗 アカジュトラ 1 (0)
1990 ブラジルの旗 フラメンゴ (loan) 2 (2)
1991 ブラジルの旗 フラメンゴEC 0 (0)
1991-1992 ブラジルの旗 サンタ・クルス 0 (0)
通算 444 (235)
代表歴
1978-1983 ブラジルの旗 ブラジル [1] 6 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヌーネス(Nunes)ことジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ(João Batista Nunes de Oliveira、1954年5月20日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。スピードを活かし、右足でも強烈なシュートを武器にしていた[2]

国内のクラブを中心に18のクラブを渡り歩いた点取り屋で、通算444試合235得点を記録した。ブラジル代表での出番は少なく、6試合の出場に留まった。

経歴

[編集]

CRフラメンゴのユース出身。1973シーズンから1部に在籍したが、出番を得られず、ADコンフィアンサへ移籍。しかし、そこでも出番がなく、1975年にサンタクルスFCへ移籍すると、そこでブレイクし、3年間で64試合37得点の結果を残した。1978年のヨーロッパ遠征から代表にも招集され[3]、4試合に出場した。

その後、フルミネンセFCCFモンテレイを経て、1981年に古巣のCRフラメンゴへ復帰すると、ジーコに次ぐ得点源として[3]、4年間で152試合64得点の結果を残し、1981年のトヨタカップでは2ゴールを決めてリヴァプールを3-0と破り優勝、MVPはジーコに譲るも、足のいいやつ賞を受賞した[4]。1982年には得点王にも輝くなど、充実したシーズンを送った。その一方で、怪我の影響で1982 FIFAワールドカップへの出場を逃すなど[5]、代表から遠のいた。

1983年後半、ボタフォゴFRへ移籍するも、7試合の出場に留まり、半年でCRフラメンゴに復帰した。復帰後も、以前と変わらぬプレーで、43試合14得点を記録した。

1985年、ナウチコへ移籍するも、半年で17試合の出場に留まった。同年、ブラジルの強豪サントスFCへレンタル移籍するが[2]、1試合も出場できないまま、シーズン終了後アトレチコ・ミネイロへ移籍した。そこで復活し、58試合39得点の活躍を見せる。同年夏、自身初であるヨーロッパのボアヴィスタFCポルトガル)へ移籍するが、9試合しか出番を得られなかった。その後は国内外の中小クラブを転々とし、1992年にブラジルのサンタクルスFCで引退した。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Nunes”. National Football Teams. 2016年5月29日閲覧。
  2. ^ a b キリンカップサッカー 1983年 大会公式パンフレット p.22-23
  3. ^ a b トヨタカップ 1981年 大会公式パンフレット p.18-19
  4. ^ FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年4月21日閲覧。
  5. ^ 【名勝負の後日談】「ジーコの技は誰にも止められない」”. soccerdigestweb.com. 2020年4月26日閲覧。