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ジュゼッペ・ディ・ボルボーネ=パルマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュゼッペ・ディ・ボルボーネ=パルマ
Giuseppe di Borbone-Parma
ボルボーネ=パルマ家家長
在位 1939年 - 1950年

全名
出生 (1875-06-30) 1875年6月30日
フランスの旗 フランス共和国ビアリッツ
死去 (1950-01-07) 1950年1月7日(74歳没)
イタリアの旗 イタリアトスカーナ州ルッカ
埋葬 イタリアの旗 イタリアヴィアレッジョ、テヌータ・レアーレ教会
家名 ブルボン=パルマ家
父親 パルマ公ロベルト1世
母親 マリーア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
宗教 キリスト教カトリック
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ジュゼッペ・ディ・ボルボーネ=パルマイタリア語: Giuseppe di Borbone-Parma, 1875年6月30日 - 1950年1月7日)は、ボルボーネ=パルマ家の家長および名目上のパルマ公1939年 - 1950年)。

生涯

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最後のパルマ公で既にパルマを追われていたロベルト1世と、最初の妻の両シチリア王女マリーア・ピアの間に三男(第6子、ただし長兄フェルディナンドは誕生後間もなく夭逝しており、実質的には次男)としてビアリッツに生まれる。

1939年、兄エンリコの死によりボルボーネ=パルマ家の家長、および名目上のパルマ公ジュゼッペ1世イタリア語: Giuseppe I)となった。しかし、兄と同様にジュゼッペも知的障害であったため、弟エリアが引き続き摂政として事実上の家長の役割を果たした。兄と同様に独身で子がなかったため、1950年にジュゼッペが死去した後はエリアが跡を継いだ。

先代
エンリコ
ボルボーネ=パルマ家家長
1939年 - 1950年
次代
エリア