ジャンボ秀克
じゃんぼ ひでかつ ジャンボ 秀克 | |
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プロフィール | |
本名 | 佐々木 秀克 |
愛称 | ジャンボ |
出身地 | 日本 北海道虻田郡豊浦町 |
生年月日 | 1951年6月12日 |
没年月日 | 2014年4月8日(62歳没) |
最終学歴 | 北海学園大学 |
所属事務所 | フロムサウンズ |
活動期間 | 1973年 - 2014年 |
ジャンル |
ディスクジョッキー タレント 司会者 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
のりゆきのトークDE北海道(北海道文化放送) ジャンボの夜をまるかじり(HBCラジオ) |
ジャンボ 秀克(ジャンボ ひでかつ、1951年〈昭和26年〉6月12日[1] - 2014年〈平成26年〉4月8日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・フリーアナウンサーである。A型。本名は佐々木 秀克(ささき ひでかつ)。個人事務所であるジャンボプロダクションを経て、フロムサウンズに所属した[2]。
経歴
[編集]北海道虻田郡豊浦町出身。中学生の頃、テレビの歌謡番組で司会を務めていた玉置宏や高橋圭三に憧れ、高校・大学(北海学園大学)ではいずれも放送部に所属[1]。
卒業後、HBCのアナウンサー試験を受験したが、最終選考で不合格(当時の合格者は桜井宏、田中徳志郎[注 1])。また、STVの試験も受けていたがこちらは1次選考で不合格となった[1]。その後、改めてHBCラジオのパーソナリティ・オーディションを受けたところ合格。大学在学中の1973年にケロコ伊藤(現:マダムケロコ)との番組「ジャンボミュージックナイター・ジャンボ&ケロコのHBCベスト100マラソンランキング」(ナイターオフ期 月~金曜18:45 - 20:00など)でパーソナリティデビュー。マイクネームは当時体重100kg超の巨体だったことから[3]HBCの鈴木ディレクターが命名した[4]。毎回番組終盤にノンストップで100位から1位までランキングを読み上げるのが番組名物にもなった。10年間担当したこの番組がきっかけで、この当時アルフィーやチェッカーズとも親交があったという。また「パック2」(HBCテレビ)など、北海道ローカルの情報番組ではレポーターとしても活躍した。
HBCとの契約満了後も北海道内を中心としてテレビ・ラジオに数多く出演し、札幌市東区の「さっぽろ村ラジオ」や小樽市の「FMおたる」等、コミュニティFMでも番組を担当していた。また司会者としても歌謡ショーやコンサート、各種イベントで活躍したほか、母校である北海学園大学での卒業式の司会を毎年務めていた。北海道のフリーアナウンサーの草分けといえる存在で、ジャンボプロダクション出身の石井雅子をはじめ、地元の多くのローカルタレントの世話をしていた。 2011年4月から2014年3月まで札幌学院大学社会情報学部非常勤講師・同社会連携センター講師(メディアコミュニケーション論)。
2014年4月8日午前11時半ごろ、北海道札幌市南区常盤の路上で仰向けで倒れているのが見つかり、ドクターヘリで緊急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された[5][6]。62歳没。札幌南警察署は、死因を急性心臓死と断定した[5]。
死去翌日の2014年4月9日に放送されたHBCラジオのワイド番組「山ちゃん美香の朝ドキッ!」[7]「カーナビラジオ午後一番!」で、追悼特集が組まれた[8]。2014年12月30日の15時からHBCラジオで追悼特番「ラジオに恋したパーソナリティ〜ジャンボ秀克さんを偲んで」が放送された。
出演番組
[編集]テレビ
[編集]ラジオ
[編集]- ジャンボミュージックナイター・ジャンボ&ケロコのHBCベスト100マラソンランキング(HBCラジオ)[1]
- SONYスタジオメイツ(HBCラジオ)本名で出演
- ジャンボの夜をまるかじり(HBCラジオ)
- ジャンボのノン・ストップJ盤アワー(HBCラジオ)
- ジャンボがお相手 いきいきいい朝(HBCラジオ)[1]
- サンデープラザ・イトーヨーカドーからこんにちは(HBCラジオ)[1]
- サウンドストライク(HBCラジオ)
- ジャンボ秀克軍団のa・ヨイショ!(HBCラジオ)
- ジャンボのお昼の歌謡曲(HBCラジオ)
- 松永俊之の土曜花盛り(HBCラジオ)
- ドンジャン今夜も勇み足(HBCラジオ)
- DONと赤城のおぢさんツインカム!(HBCラジオ)
- 一平・ジャンボのRadio JIJI!(HBCラジオ)
- ジャンボの歌謡曲だよ!人生は!!(FMおたる他)
CM
[編集]参考文献
[編集]- 北海学園大学物語編集委員会企画編集『北海学園物語-北の大地に輝く青春群像』(須田製販、2005年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1981年ミスターデーブマンの後任として「ベストテンほっかいどう」を担当。その他音楽番組を担当した人気アナウンサーだった。「ベストテンほっかいどう」を1985年まで担当したが、体調不良により降板。その後復帰が叶わぬまま1992年3月に死去。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、89頁。
- ^ “ジャンボ秀克プロフィール”. フロムサウンズ. 2013年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月9日閲覧。
- ^ 北海道放送三十年(北海道放送社史編纂委員会 編、1982年9月発行)370〜371頁
- ^ 『ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、18頁。
- ^ a b “フリーアナ、ジャンボ秀克さん死去、62歳…路上で突然倒れる”. Sponichi Annex. (2014年4月8日). オリジナルの2014年4月8日時点におけるアーカイブ。 2014年4月8日閲覧。
- ^ “ジャンボ秀克さん急死=路上で倒れ心停止-札幌”. YAHOO! JAPANニュース(時事通信社提供). (2014年4月8日). オリジナルの2014年4月8日時点におけるアーカイブ。 2014年4月8日閲覧。
- ^ “[山ちゃん美香の朝ドキッ!”. 2014年5月11日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「ジャンボさんと私」”. 山根あゆみのラジオ業務日誌(HBC) (2014年4月9日). 2014年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- “ジャンボ秀克プロフィール”. フロムサウンズ. 2014年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月7日閲覧。 - 所属事務所では一定期間の掲載継続を決定した。