ジャンカルロ・デ・システィ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Giancarlo De Sisti | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1943年3月13日(81歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1960-1965 | ASローマ | 87 | (13) | |||
1965-1974 | フィオレンティーナ | 256 | (28) | |||
1974-1979 | ASローマ | 135 | (9) | |||
代表歴 | ||||||
1967-1972 | イタリア | 29 | (4) | |||
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ジャンカルロ・デ・システィ(Giancarlo De Sisti、1943年3月13日 - )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
イタリアサッカー史上、最も優れたMFの一人とされている[1]。
経歴
[編集]ASローマでデビューし、1960年から5シーズンプレーした[1]。1965-66シーズンから1973-74シーズンまではACFフィオレンティーナでプレーし、ファンの人気を得た[1]。フィオレンティーナでは、1968-69シーズンにはリーグ優勝を果たした。1974年にローマに複帰し、引退までプレーした。引退後はフィオレンティーナ、ウディネーゼなどの監督を務めた。
フィオレンティーナ時代の1972年10月5日ヴェローナ戦では、出場停止で出場出来ず、代わりにジャンカルロ・アントニョーニが起用されたことで、アントニョーニは、セリエAデビューを果たした[2]。
イタリア代表として、1967年11月1日のキプロス戦でデビュー[3]。1968年のUEFA欧州選手権では優勝、1970年のFIFAワールドカップではイタリアの全試合に出場、ブラジルに1-4で敗れて準優勝、1972年、UEFA欧州選手権出場決定戦となった、ベルギー戦の第2戦に出場して敗れた試合が最後の代表戦となった[3]。
代表歴
[編集]- イタリア代表(29試合4得点)1967-1972
- 1968年 UEFA欧州選手権(優勝、1試合)
- 1970年 FIFAワールドカップ(準優勝、6試合)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ASローマ
- インターシティーズ・フェアーズカップ 1960-61
- コッパ・イタリア : 1963-64
- フィオレンティーナ
代表
[編集]- イタリア代表
- UEFA欧州選手権 : 1968
- FIFAワールドカップ準優勝 : 1970
個人
[編集]- ASローマ殿堂入り : 2016
- ACFフィオレンティーナ殿堂入り : 2013
出典
[編集]- ^ a b c “HAPPY 80TH BIRTHDAY TO ROMA LEGEND GIANCARLO DE SISTI”. ASROMA (2023年3月13日). 2023年8月15日閲覧。
- ^ “ONE ON ONE: GIANCARLO ANTOGNONI”. FIORENTINA (2021年4月1日). 2023年8月15日閲覧。
- ^ a b “Giancarlo De Sisti National team”. Transfermarkt. 2023年8月15日閲覧。