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ジェームズ・ブレグマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェームズ・ブレグマン
ジェームズ・ブレグマン(1964年)
基本情報
原語表記 James Bregman
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州アーリントン郡
生年月日 (1941-10-17) 1941年10月17日(83歳)
身長 170 cm
選手情報
階級 80 kg
所属 講道館明治大学柔道部
段位 十段[1]
世界ランキング 3位(1965年)
引退 1966年
JudoInside.comの詳細情報
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
柔道
オリンピック
1964 東京 中量級
世界柔道選手権
1965 リオデジャネイロ 中量級
パンアメリカン柔道選手権大会
1965 グアテマラ 中量級
マカビア競技大会
1965 中量級
2023年6月24日現在
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ジェームズ・スティーブン・“ジム“・ブレグマン(James Steven "Jim" Bregman、1941年11月17日 - )は、アメリカ合衆国柔道家である。階級は中量級。身長170cm。体重80kg[2]1964年東京オリンピックの中量級で銅メダルを獲得した。

生涯

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ブレグマンは1941年11月17日にバージニア州アーリントン郡ユダヤ人の家庭に生まれた[3]。父はグリーンバレー(ナウック英語版)で食料品店を営んでおり、一家はその2階に住んでいた[4]

ブレグマンは12歳のときに柔道を初めた[5]。ブレグマンは子供の頃、喘息を患っていた。持久力をつけるために、体操タップダンスバトントワリングなど様々な室内競技を試したが、柔道の場合は水を得た魚のごとく性に合ったという[6]。フェアリントン小学校までバス通学した後、アーリントンのウェイクフィールド高校を卒業した。幼い頃からペンタゴンの職員向け体育クラブ内の柔道クラブやワシントン柔道クラブで練習し、15歳のときに黒帯を獲得した[4]。高校卒業後、日本の上智大学経済学部に進学した。日本では講道館で練習し、さらに明治大学早稲田大学の柔道部でさらに高度なトレーニングを受けた[7]

1964年、アメリカ大学協会(AAU)のシニア全米柔道選手権で優勝した[8]。同年に開催された東京オリンピックでは柔道が初めて公式競技に採用され、ブレグマンはアメリカ代表チームの一人に選出された。このチームは、ユダヤ系アメリカ人(ブレグマン)、日系アメリカ人(ポール・マルヤマとコーチのヨシ・ウチダ)、ネイティブアメリカン(ベン・ナイトホース・キャンベル)で構成されていた[9]。ブレグマンは中量級に出場し、準決勝で東西統一ドイツ代表ヴォルフガング・ホフマン腕挫十字固で敗れたものの、銅メダルを獲得した。この大会の柔道競技でメダルを獲得したアメリカ人はブレグマンだけだった[7][10][11][12]

1965年には、パンナム選手権の176ポンド(80kg)級で優勝[8]、イスラエルで開催されたマカビア競技大会で優勝[7][10]リオデジャネイロで開催された世界選手権では3位となった。

1966年に膝の手術を受けたことで現役を引退した[8]。1967年、ケン・ブッシュとともにワシントンD.C.に「オリンピック柔道クラブ」を開設し、アメリカにおける資格を持った柔道指導者の不足の解消に務めた。ブレグマンは生涯を通じて、アメリカの若者の柔道の練習環境の改善に務めたが、アメリカのシステムには欠陥があると感じていた[8][7][10]。1968年、米国柔道協会英語版の設立に関わり、その会長を3期務めた[8][7][10]

2018年1月、ブレグマンは米国柔道協会から最高段位である十段の位を授与された。また、USA柔道英語版の米国柔道殿堂に殿堂入りしている[13]

脚注

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  1. ^ Congratulations to Jim Bregman”. Instagram. United States Judo Association (February 7, 2018). June 24, 2023閲覧。
  2. ^ James Bregman Biography and Olympic Results Archived 2016年4月25日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Taylor, Paul (2004). Jews and the Olympic Games: The Clash Between Sport and Politics: with a Complete Review of Jewish Olympic Medallists. Sussex Academic Press. ISBN 9781903900871. https://books.google.com/books?id=tGcPDXOjxMoC&dq=%22Jews+and+the+Olympic+Games%22+jim+bregman&pg=PA226 
  4. ^ a b Tomizowa, Roy, The Olympians, "Judoka James Bregman Part 1: The Rainbow Team of the 1964 Olympics," January 13, 2017” (January 12, 2017). May 25, 2023閲覧。
  5. ^ "Jim Bregman". Sports-Reference.com. Sports Reference LLC. 2025年1月11日閲覧
  6. ^ Interview with James Bregman
  7. ^ a b c d e Yamakawa, Grazina (March 1968). “The Bitter Disappointed Judo Champ”. Black Belt (Active Interest Media). https://books.google.com/books?id=Zs4DAAAAMBAJ&dq=jim+bregman+judo&pg=PA31 February 8, 2011閲覧。. 
  8. ^ a b c d e Murray, Jack (October 1976). “One Man's Dream for 'A Better Judo'”. Black Belt (Active Interest Media). https://books.google.com/books?id=rNUDAAAAMBAJ&dq=jim+bregman+judo&pg=PA62 February 8, 2011閲覧。. 
  9. ^ Nishioka, Hayward (2000). Judo Heart and Soul. Black Belt Communications. ISBN 9780897501378. https://books.google.com/books?id=MJ6fveyLZ28C&dq=jim+bregman+judo+jewish&pg=PT132 February 8, 2011閲覧。 
  10. ^ a b c d “1973 Black Belt Hall of Fame”. Black Belt (Active Interest Media). (October 1973). https://books.google.com/books?id=_tYDAAAAMBAJ&dq=jim+bregman+judo&pg=PA26 February 8, 2011閲覧。. 
  11. ^ Friedland, Stan (December 26, 2007). The Judo Twins. AuthorHouse. ISBN 9781463482893. https://books.google.com/books?id=y4GDzL82syMC&dq=jim+bregman+judo&pg=PR11 February 8, 2011閲覧。 
  12. ^ Taylor, Paul (2004). Jews and the Olympic Games: the clash between sport and politics: with a complete review of Jewish Olympic medallists. Sussex Academic Press. ISBN 9781903900871. https://books.google.com/books?id=tGcPDXOjxMoC&dq=jim+bregman+judo+jewish&pg=PA226 February 8, 2011閲覧。 
  13. ^ USA Judo Hall of Fame Athlete Inductees”. October 20, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。May 25, 2023閲覧。

外部リンク

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