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ジェシー・オーエンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェシー・オーエンス Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム James Cleveland Owens
愛称 ジェシー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
種目 短距離走
大学 オハイオ州立大学
生年月日 (1913-09-12) 1913年9月12日
生誕地 アラバマ州ローレンス郡
没年月日 (1980-03-11) 1980年3月11日(66歳没)
死没地 アリゾナ州ツーソン
自己ベスト 100 m: 10.2
200 m: 20.7
走幅跳: 8m13
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
1936 男子100m
1936 男子200m
1936 男子4×100mリレー
1936 男子走幅跳
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ジェシー・オーエンス(James Cleveland "Jesse" Owens、1913年9月12日 - 1980年3月31日)は、アメリカの男子陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック男子短距離走走幅跳の種目でそれぞれ優勝し、4冠を達成したことで知られている。

生涯

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黒人奴隷をルーツとするアフリカ系アメリカ人の貧困家庭に生まれ、子供のころから働きながら練習をしていた。中学で陸上競技のコーチをしていた教師チャールズ・ライリーに見いだされ、全米トップクラスの選手として活躍するようになる[1][2]

世界記録連続樹立

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オーエンスは、腕を深く折り畳む独特のフォームで当時としては驚異的な速さで走ることができた[3]

1935年5月25日に、わずか45分の間に5つの世界記録と1つの世界タイ記録を樹立し、陸上競技の歴史にその名を轟かせた。このうち、走幅跳で記録した8m13の記録は1960年にラルフ・ボストンに破られるまで25年間世界記録として輝き続けた[2]

ベルリンオリンピック

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ベルリンオリンピックにおいてオーエンスは、まず100mの予選でオリンピック新記録を樹立する。決勝では、号砲とともに飛び出しリードし追いすがってくる同じアメリカのラルフ・メトカーフを約1m抑え、1つめの金メダルを獲得した。

走幅跳は最初の2つの跳躍がファールになり苦戦するも、ドイツルッツ・ロングにアドバイスを受け、予選を何とか突破する。一転して決勝では、誰もオーエンスの上位3つの記録に寄せ付けないという圧倒的な力を見せつけ、2つめの金メダルを獲得する(ちなみに銀メダルはアドバイスをしたロング、銅メダルは日本田島直人だった)。

翌日、オーエンスは200mで2位に4mほどの大差をつけ、難なく3日間で3つめの金メダルを獲得する。さらに4日後には、オーエンスは4×100mリレーの第1走者として出場し、アメリカは世界新記録で金メダルを獲得、オーエンスは4冠を達成した。

この大会は当時のドイツの指導者であるアドルフ・ヒトラーナチス党が、持論である白人種(ゲルマン民族)の優越性を証明することを望んだ大会である。しかし、男子走幅跳の決勝で戦ったドイツ人であるルッツ・ロングはオーエンスが当時の世界最高記録である8m13の記録をたたき出し、走幅跳で金メダルとなった際、金メダルを獲得したオーエンスをまず祝福し、その際に、ルッツ・ロングは次の言葉を残した[4]。「僕は自分を抑えきれず、彼のもとに走った。彼を一番に祝福し、抱きしめた。肌を巡る戦いは終わったんだ。黒人は紛れもなくベストだったんだ。[5][4]」。その後、彼らは腕を組んで控室に入った。このように、ベルリンの人々は、オーエンスを「オリンピックのヒーロー」として迎えた[6]

後半生

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オリンピック後、オーエンスはアメリカのみならず世界における陸上界の英雄的な人物となったものの、その後の待遇は彼の功績に似つかわしくないものであった。アメリカ本国では黒人差別の下に馬と競走させられたり(自伝でこれは屈辱であると批判)、賞金稼ぎの競技に参加したことからアマチュアの地位を取り消された上に、その後破産するなど波乱の人生を送ることとなった[2][7]。また、1968年メキシコシティーオリンピックトミー・スミスジョン・カーロスが行ったブラックパワー・サリュートを批判して、白人に迎合しているとの批判を浴びたこともあった[2]

しかしその後、慈善活動を行うなどしてその名声と地位を取り戻した。これらの功績により、1976年大統領自由勲章を受章した[7]

関連書籍

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関連作品

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映画

脚注

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  1. ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、51ページ、ISBN 4-591-08135-4
  2. ^ a b c d 佐藤次郎. “ジェシー・オーエンス 「政治」を超えて輝いた | オリンピックのレガシー| スポーツ 歴史の検証”. www.ssf.or.jp. 笹川スポーツ財団. 2020年5月21日閲覧。
  3. ^ ジェシー・オーエンス(米国):時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2020年5月21日閲覧。
  4. ^ a b 日本放送協会. “「平和の祭典」、大いなる矛盾 - 映像の世紀バタフライエフェクト”. 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK. 2024年7月25日閲覧。
  5. ^ Neue Liepziger Zeitung 1936 6/11
  6. ^ Owens pierced a myth”. ESPN. 2010年12月23日閲覧。
  7. ^ a b Life of Jesse Owens” (英語). 2010年8月26日閲覧。

外部リンク

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先代
日本の旗 南部忠平
男子走幅跳世界記録保持者
1935/5/25-1960/8/12
次代
アメリカ合衆国の旗 ラルフ・ボストン