シャドウ・DN11
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | シャドウ | ||||||||||
デザイナー | ジョン・ジェントリー | ||||||||||
先代 | シャドウ・DN9 | ||||||||||
後継 | シャドウ・DN12 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
エンジン | コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA | ||||||||||
トランスミッション | ヒューランド 5速 マニュアル | ||||||||||
燃料 | バルボリン | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
ドライバー |
ステファン・ヨハンソン ジェフ・リース デビット・ケネディ | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
通算獲得ポイント | 0 | ||||||||||
初戦 | 1980年アルゼンチングランプリ | ||||||||||
最終戦 | 1980年モナコグランプリ | ||||||||||
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シャドウ・DN11 (Shadow DN11) は、シャドウ・レーシング・カーズが1980年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。DN11は出走6戦の内1回だけ予選を通過したが、ポイントを獲得することはできなかった。
背景
[編集]1971年にドン・ニコルズによって創設されたシャドウは1973年にF1世界選手権に参戦した。参戦初年度、シャドウのマシンは何度か表彰台を獲得した。1977年にオーストリアグランプリでアラン・ジョーンズがチームに初の勝利をもたらした。シーズン終了後、トニー・サウスゲートを含む数名のスタッフとメインスポンサーが離脱し、アロウズを設立した。シャドウのドライバーは1978年シーズンは6回、1979年シーズンは4回予選落ちした。1979年シーズンはエリオ・デ・アンジェリスがアメリカグランプリで4位に入ったのが唯一のポイント獲得であった。
1980年、ドン・ニコルズは新型のDN11で失地回復を試みた。しかしながらマシンはデビュー間もなく戦闘力が不足していることが判明し、改良型を製作しなければならなくなった。だがチームはそれを完了させる前に破産の危機に瀕する。ニコルズは5月にイギリス人実業家のテディ・イップにチームを売却する。イップは自身のレーシングチームを所有し、同時にエンサインのスポンサーを務めていた。イップは6月にシャドウ・チームに加わり、自身のチームと統合、新たなチームはセオドール・レーシングの名でシャドウの器材を用いて1981年にF1に参戦した。
開発
[編集]DN11は、トニー・サウスゲートによって1978年に設計され、79年に改良されたDN9Bの代わりとして投入された。DN11の製作は非常に簡単に行われた[1]。チームは予算が無く、開発も殆ど行うことができなかった[2]。
シャドウ・DN11はジョン・ジェントリーが設計した。ジェントリーはマシンの完成前、1979年末にチームを離脱し、仕上げなどの多くの細かな作業はリチャード・オーウェンとヴィック・モリスが引き継いだ。
リアサスペンションはDN9Bとよく似た構造であったが、フロントサスペンションは新たに設計された。ボディ形状も同様に再設計された。サイドポンツーンは長く、後方に向かって上昇ラインを描いていた。ラジエターはサイドポンツーンの前方に設置された。モノコックは低く直線的であった。マシンはエンジンカバー無しで製作された。DN11の一番の特徴は尖ったノーズコーンであった[3]。エンジンはコスワースDFV、8気筒を搭載した。ギアボックスはヒューランド製5速が採用された。
DN11は3台が製作された。最初の車、DN11/1は一度しか使用されなかった。
レース戦績
[編集]シャドウは1980年シーズン、アイルランド人ドライバーのデビット・ケネディとスウェーデン人ドライバーのステファン・ヨハンソンを起用した。両名ともF1での経験は無く、シャドウでデビューを果たした。第3戦からヨハンソンに代わってジェフ・リースが起用された[4]。
ヨハンソンは開幕戦から2戦連続で予選落ちした。後任のリースは予選を通過し、決勝は13位でフィニッシュした。続くアメリカでは予選落ちし、第5戦ベルギーで彼は新型のDN12を走らせた。
ケネディは開幕から6戦連続で予選落ちした。第7戦フランスから彼も新型のDN12を走らせた。
個々のシャシーは以下のように使用された:
グランプリ | Shadow DN11/1 | Shadow DN11/2 | Shadow DN11/3 |
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アルゼンチン | デヴィッド・ケネディ | ステファン・ヨハンソン | |
ブラジル | デヴィッド・ケネディ | ステファン・ヨハンソン | |
南アフリカ | ジェフ・リース | デヴィッド・ケネディ | |
アメリカ西 | ジェフ・リース | デヴィッド・ケネディ | |
ベルギー | デヴィッド・ケネディ | ||
モナコ | デヴィッド・ケネディ |
F1における全成績
[編集]年 | チーム | ドライバー | No. | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ポイント | 順位 |
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ARG |
BRA |
RSA |
USW |
BEL |
MON |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
USA |
0 | - | ||||
1980年 | シャドウ | ||||||||||||||||||
ステファン・ヨハンソン | 17 | DNQ | DNQ | ||||||||||||||||
ジェフ・リース | 13 | DNQ | |||||||||||||||||
デヴィッド・ケネディ | 18 | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ |
参考文献
[編集]- Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
- David Hodges: A – Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
- David Hodges: Rennwagen von A – Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
- Pierre Ménard u. a.: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports Editeur, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)
参照
[編集]- ^ Hodges: A - Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 210.
- ^ Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2000, S. 502.
- ^ Zum Ganzen: Hodges: Rennwagen von A - Z nach 1945. 1994, S. 233.
- ^ リースは1978年にマリオ・デリオッティ・レーシングからデビューしたが、予選通過できなかった。1979年に彼はジャン=ピエール・ジャリエの代役としてティレルからドイツグランプリに出場、チームメイトのディディエ・ピローニを抑えて7位となった。