サーマート・パヤクァルン
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2000年 | |
基本情報 | |
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本名 | Samart Tiptarmai |
通称 | Payaknayok |
階級 | スーパーバンタム級 |
国籍 | タイ |
誕生日 | 1962年12月5日(62歳) |
出身地 | バーンパコン郡 |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 12 |
敗け | 2 |
サーマート・パヤクァルン(Samart Payakaroon、1962年12月5日 - )は、タイの元ムエタイ選手、元プロボクサー。元WBC世界スーパーバンタム級王者。ムエタイ、ボクシング合わせて5冠王。現役引退後はタイでムエタイのインストラクターをしている[1]。
サーマートとはタイ語で天賦の才という意味であり、Payakは虎という意味である。「ムエタイの芸術」とも評された。
来歴
[編集]兄の影響で、11歳でムエタイを始めた。
ルンピニー・スタジアムで、1980年のミニマム級(105lb)、ライトフライ級(108lb)、1981年のスーパーフライ級(115lb)、フェザー級(126lb)と4階級の王者となった。
1982年8月24日、プロボクシングデビュー。
1986年1月18日、WBC世界スーパーバンタム級王者ルペ・ピントール(メキシコ)に挑戦し、5回KO勝ちで王座を獲得した。
1986年12月10日、元同級王者ファン・メサ(アメリカ合衆国)と対戦し、12回TKO勝ちで初防衛に成功した。
1987年5月8日、当時のIBF世界バンタム級王者であったジェフ・フェネック(オーストラリア)と対戦し、4回KO負けで王座から陥落した。
1988年2月27日にボクシングの試合を最後にリングを離れた。
1993年4月、日本で新妻聡(日本)とキックボクシングルールで対戦し、2度のダウンを奪って判定勝ち。
1993年8月8日5年5か月ぶりにボクシングに復帰。
1994年9月11日、WBA世界フェザー級王者エロイ・ロハス(ベネズエラ)に挑戦し、8回TKO負けで2階級制覇ならず。
獲得タイトル
[編集]- ムエタイ
- ルンピニー・スタジアムミニマム級(105lb)王座(1980年)
- ルンピニー・スタジアムライトフライ級(108lb)王座(1980年)
- ルンピニー・スタジアムスーパーフライ級(115lb)王座(1981年)
- ルンピニー・スタジアムフェザー級(126lb)王座(1981年)
- プロボクシング
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Pungluang Sor Singyu: "I want to fight Koki Kameda"”. Max.Boxing. 2014年2月28日閲覧。
外部リンク
[編集]前王者 ルペ・ピントール |
WBC世界スーパーバンタム級王者 1986年1月18日 - 1987年5月8日(防衛1度) |
次王者 ジェフ・フェネック |