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サンプソン級駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンプソン級駆逐艦
基本情報
艦種 駆逐艦 (DD)
命名基準 海軍功労者 (1番艦ウィリアム・サンプソン提督に因む)
就役期間 1914年 - 1936年
準同型艦 タッカー級
次級 コールドウェル級
要目
常備排水量 1,100トン[1]
満載排水量 1,225トン[2]
全長 96.10 m
9.10 m
吃水 2.90 m
ボイラー 水管ボイラー×4缶
主機 蒸気タービン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 17,500馬力
速力 29.5ノット
燃料 重油290トン
乗員 99名
兵装50口径4インチ単装砲×4基
37mm単装機銃×2基
・21インチ3連装魚雷発射管×4基
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サンプソン級駆逐艦英語: Sampson-class destroyers)は、アメリカ海軍駆逐艦の艦級[2]

設計

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本級は、カッシン級以来の1,000トン型駆逐艦の最終発達型にあたる。1914年度計画で建造されたタッカー級をもとに兵装を強化したものであり、世界の艦船ではタッカー級の一部として扱われている[1]。主機関も、同級と同じカーチス直結タービンである[2]

魚雷発射管は、オブライエン級およびタッカー級では21インチ魚雷発射管を連装4基として搭載していたのに対し、本級では3連装4基として、4門増加している。また艦砲は、50口径4インチ単装砲4基はオブライエン級およびタッカー級と同様だが、本級では、アメリカ駆逐艦初の高角砲として、37mm単装機銃(QF 1ポンド砲)2基が追加された[2][1]

同型艦

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1915年度計画に基いて6隻が建造され、1916年から1917年にかけて竣工した。第一次世界大戦に従軍したのち、一部の艦は沿岸警備隊に転籍しラム・パトロールに従事した。大部分の艦は1930年代に除籍されたが、「アレン」のみ1940年代まで生き残り、第二次世界大戦に参加した[1]

由来の人物は、米西戦争時に総司令官を務めたが、不在時にスペイン艦隊との決着がつき殊勲を逸したウィリアム・T・サンプソン少将。
フォアリバー造船所にて1915年4月15日起工、1916年3月4日進水、1916年6月27日就役。1921年6月15日退役後、1936年解体。
  • ローワン (USS Rowan, DD-64) ※水雷艇(TB-8)以来二代目
由来の人物は、南北戦争時にニューアイアンサイズ号艦長を務め、チャールストン封鎖を完遂したスティーブン・C・ローワン中将。
フォアリバー造船所にて1915年5月10日起工、1916年3月23日進水、1916年8月22日就役。1922年6月19日退役後、1939年解体。
由来の人物は、海軍生活を通じて天文・潮流・海底地形の測量と研究に従事し、航路開発を続けたチャールズ・H・デイヴィス少将。
バス鉄工所にて1915年5月7日起工、1916年8月15日進水、1916年10月5日就役。1922年6月20日退役後、沿岸警備隊に1926-33年従事し1934年解体。
由来の人物は、米英戦争時にアーガス号乗組士官で、英軍ペリカン号との交戦で戦死したウィリアム・H・アレン大尉。
バス鉄工所にて1915年5月10日起工、1916年12月5日進水、1917年1月24日就役。1945年10月15日退役後、1946年解体。
由来の人物は、世界一周の調査遠征を行い、南北戦争初期にトレント号事件を起こしたチャールズ・ウィルクス代将。
ウィリアム・クランプ・アンド・サンズにて1915年3月11日起工、1916年5月18日進水、1916年11月10日就役。 1922年6月5日退役後、沿岸警備隊に1926-34年従事し1934年解体。
由来の人物は、擬似戦争第一次バーバリ戦争米英戦争で複数の海軍艦艇の艦長を歴任したジョン・ショー。
メア・アイランド海軍造船所にて1916年2月7日起工、1916年12月9日進水、1917年4月9日就役。1922年6月21日退役後、沿岸警備隊に1926-33年従事し1934年解体。

参考文献

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  1. ^ a b c d 中川務「アメリカ駆逐艦史」『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、32-33頁、NCID AN00026307 
  2. ^ a b c d Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. p. 123. ISBN 978-0870219078 

外部リンク

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