サンチャ・デ・カスティーリャ (ナバラ王妃)
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サンチャ・デ・カスティーリャ Sancha de Castilla | |
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ナバラ王妃 | |
在位 | 1157年 - 1179年 |
出生 |
1139年ごろ |
死去 |
1179年8月 |
埋葬 | ナバラ王国、パンプローナ大聖堂 |
結婚 | 1153年7月20日 カリオン・デ・ロス・コンデス |
配偶者 | サンチョ6世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ボルゴーニャ家 |
父親 | カスティーリャ王アルフォンソ7世 |
母親 | ベレンゲラ・デ・バルセロナ |
サンチャ・デ・カスティーリャ(スペイン語:Sancha de Castilla, 1139年ごろ - 1179年8月)は、カスティーリャ王アルフォンソ7世とその最初の妃ベレンゲラ・デ・バルセロナの娘[1]。両親の間に生まれた7子のうちの第5子であった。
1153年7月20日にサンチャはナバラ王サンチョ6世と結婚した。サンチョ6世は自身の王国をヨーロッパの政治的勢力圏に加える必要があった。「ナバラ王妃、皇帝の娘」(la reyna de Navarra, filla del emperador)サンチャが1179年8月に死去したことが、『トレド年代記(Annales Toledanos)』に記されている[2][3]。サンチャはパンプローナ大聖堂に埋葬された。
子女
[編集]- サンチョ7世(1154年 - 1234年) - ナバラ王
- フェルナンド
- ラミロ(1228年没) - パンプローナ司教
- ベレンガリア(1165年/1170年 - 1230年) - イングランド王リチャード1世と結婚
- コンスタンサ
- ブランカ(1177年 - 1229年) - シャンパーニュ伯ティボー3世妃、ナバラ王テオバルド1世の母。
- テレサ
脚注
[編集]- ^ Louda & Maclagan 1981, p. 96.
- ^ Crónicas Navarras 7.6, p. 72.
- ^ Huici 1913, p. 349.
参考文献
[編集]- Louda, Jiří; Maclagan, Michael (1981). Lines of Succession. Little, Brown & Company
- Ubieto Arteta, Antonio, ed (1989). Crónicas Navarras. Zaragoza: Anubar
- “Infanta doña SANCHA Infanta de Castilla”. Foundation for Medieval Genealogy. 2022年11月27日閲覧。
- Huici, A. (1913). Las Crónicas Latinas de la Reconquista. vol. 1. Valencia: Estab. Tip. Hijos de F. Vives Mora