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サンジェイ・ダット (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンジェイ・ダット
サンジェイ・ダットの画像
プロフィール
リングネーム サンジェイ・ダット
シュワッグ・ダット
モンスターJ
サモサ・モンスター
本名 リテーシュ・バラ
ニックネーム オリジナルプラヤ・フロム・ザ・ヒマラヤ
ザ・マムー
アメリカンモンキー
ザ・グルー
身長 173cm
体重 84kg
誕生日 (1982-04-07) 1982年4月7日(42歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントンDC
所属 AEW
トレーナー ラリー・シャープ
ジョニー・フェアプレイ英語版
デビュー 2000年
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サンジェイ・ダットSonjay Dutt1982年4月7日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラーワシントンDC出身。AEW所属。

CZWTNAROHなどといったプロレス団体を主戦場として活動している。[1]

来歴

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インド人移民の家庭のもとで[2]米国のワシントンD.C.に生を享け[1]ジョージ・メイソン大学電気通信を専攻した。インドを訪れたのは1991年が最後であった。父親はプロレスの大ファンであったという。[2]

やがてラリー・シャープのもとで訓練を積み、2000年の9月にプロレスラーとしてのデビューを飾り、2003年からCZWのマットに本格的に参入。[1] さっそく4月にCZWのベスト・オブ・ザ・ベストへと出場し、クリス・キャッシュマーク・ブリスコトレント・アシッドと勝ち進み、初出場にして決勝にまで進出するも、その決勝戦でBボーイを相手に敗れ退いた。[3]

この年―2003年にあっては、IWAミッドサウスのマットに参戦することにもなり、この団体の主催する『デスマッチの祭典』―キング・オブ・ザ・デスマッチへと初出場。アレックス・シェリーと当たった1回戦目で敗退するも、もう一戦を敢行し、アダム・フラッシュと組んだうえでアレックス・シェリー∽ジミー・ジェイコブス組とネイト・ウェッブM-Dogg 20組を制圧。[4] それから間もなくJCベイリーを相手に梯子を使ったデスマッチを行い、これを制すと同時にIWAミッドサウスのライトヘビー級王座を獲得。[1] 年も暮れの頃にはCZWの『ケージ・オブ・デス』という大会を舞台にラッカスを下しCZW世界ジュニアヘビー級王座を戴冠。この頃からTNAROHに参戦し始めることにもなった。[5]

2004年にはベスト・オブ・ザ・ベストへの2度目の出場を果たし、ネイト・ウェッブピーティー・ウィリアムズボビー・クアンスと勝ち進んでゆきまたしても決勝へ。その決勝戦にてついにはロドリック・ストロングを下し、この大会の優勝者の座に君臨するに至る。[3] そして7月になると日本の地を踏み、『モンスターJ』というギミックをもってハッスルへと参戦。[1] さっそくジョシュ・ダニエルズと組んだうえで、カズ・ハヤシスパンキー組とのタッグマッチを行った。[6] それからハッスルのマットを舞台に高田モンスター軍に加入したうえで活躍を見せ[7]、やがてはTNAインパクトを通してTNAのマットへの本格的な参戦を開始した。[1]

それから2005年を通して日本のZERO1のマットに登場しつつTNAを主戦場として活動し[1]、2006年にはベスト・オブ・ザ・ベストへの3度目の出場を果たすも、マット・サイダルを相手に1回戦目で敗退。[3] この年にはECWアリーナを舞台にセクシー・エディーを下し2度目のCZW世界ジュニアヘビー級王座を戴冠。[8] この王座は同日にジグソーの手へと渡った。[9]

そんな2006年から2007年〜2008年を通してその大部分をTNAのマットに活動し、2009年にはROHを主戦場として活動。クリス・ヒーロー、ロドリック・ストロング、エル・ジェネリコデイビー・リチャーズネクロ・ブッチャーなどといった面子を相手に活躍を見せた。[1]

以後はTNA・GFWなどのアメリカの各団体で活躍していたが、2019年1月23日、同じくTNAに長年所属していたアビスとともにWWEと契約しプロデューサーとして活動することが発表された[10]

得意技

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450°スプラッシュ
キャメルクラッチ
ヒンドゥーサルト
コークスクリュー式450°スプラッシュ
サンジェイカッター
スタンディング式不知火

タイトル歴

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GFW
  • GFWネクスジェン王座 : 1回
CZW
TNA
MLW
  • MLWジュニアヘビー級王座 : 1 回(初代)
  • J-CUP USA 優勝 : 1回(2003年)
ZERO1

他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。

出典

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外部リンク

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