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ゴライアス (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注
起工 1897年1月4日
進水 1898年3月23日
就役 1900年3月27日
退役
その後 1915年5月12日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 12,950トン
全長 390 ft (118.9 m)
全幅 74 ft (22.6 m)
吃水 25 ft (7.6 m)
機関 垂直三段膨張蒸気機関2基
2軸推進、15,400 ihp
最大速 18.25ノット
乗員 680名 - 750名
兵装 12インチ砲4門
6インチ砲12門

ゴライアス (HMS Goliath) はイギリス海軍戦艦カノーパス級

艦歴

[編集]
1907年

1897年1月4日、チャタム工廠で起工。1898年3月23日進水。1900年3月27日就役。

1914年8月に第一次世界大戦が勃発すると、予備役となっていたゴライアスも就役状態に復帰し、海峡艦隊第8戦艦戦隊に編入された。ゴライアスはロッホ・ユーへ送られ、グランドフリートの泊地警備に当てられた。それから、1914年8月25日にプリマス海兵大隊オーステンデへの上陸を支援した。

1914年9月20日、ゴライアスは東インド艦隊に転属。そこでは1914年10月まで、中東ペルシャ湾ドイツ領東アフリカへ向かう船団の護衛に従事していた巡洋艦の支援に当たった。それから1914年11月までルフィジ川河口に潜むドイツの巡洋艦ケーニヒスベルクの封じ込めに参加した。1914年11月28日と11月30日にはダルエスサラームを砲撃した。

1914年12月から1915年2月まで、ゴライアスは南アフリカサイモンズタウンで修理を行った。その完了後は1915年3月までケーニヒスベルクに対する作戦に従事した。

1915年3月25日、ゴライアスはダーダネルス海峡へ行きそこでの作戦に参加するよう命じられた。1915年4月1日にゴライアスはダーダネルス海峡へ向けて出発した。

1915年4月25日のヘレス岬への上陸の際はゴライアスはXビーチへの上陸支援を行う艦隊に属しており、オスマン帝国軍の要塞からの砲撃で被害を受けた。第1次Krithiaの戦いの際はゴライアスは上陸部隊の支援を行った。また、1915年4月26日の撤退も援護した。1915年5月2日、ゴライアスはトルコ軍の砲撃で再び被害を受けた。

1915年5月12日から13日の夜、ゴライアスは霧の中戦艦コーンウォリスや護衛の駆逐艦5隻と共にヘレス岬沖のモルト湾に停泊していた。5月13日の1時頃、トルコの駆逐艦ムアヴェネティ・ミッリイェが駆逐艦ビーグルブルドッグを避けて戦艦に接近した。ムアヴェネティ・ミッリイェは2本の魚雷を発射し、それはゴライアスに命中した。ゴライアスはすぐに転覆し始めた。傾きが90度になったとき3本目の魚雷が命中した。ゴライアスは完全に転覆し、艦長を含む乗員570人と共に沈没した。

ムアヴェネティ・ミッリイェは攻撃後無傷で脱出した。

参考文献

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  • Burt, R. A. British Battleships 1889-1904. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press, 1988. ISBN 0870210610.
  • Chesneau, Roger, and Eugene M. Kolesnik, eds. Conway's All The World's Fighting Ships, 1860-1905. New York: Mayflower Books, Inc., 1979. ISBN 0831703024.
  • Gibbons, Tony. The Complete Encyclopedia of Battleships and Battlecruisers: A Technical Directory of All the World's Capital Ships From 1860 to the Present Day. London: Salamander Books Ltd., 1983.
  • Gray, Randal, Ed. Conway's All The World's Fighting Ships 1906-1921. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press, 1985. ISBN 0870219073.