コーリー・ナカタニ
コーリー・ナカタニ | |
---|---|
2008年 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州コビーナ |
生年月日 | 1970年10月21日(54歳) |
騎手情報 | |
所属厩舎 | {{{厩}}} |
初免許年 | 1988年 |
免許区分 | {{{区}}} |
騎手引退日 | 2019年 |
コーリー・サトシ・ナカタニ(Corey Satoshi Nakatani、1970年10月21日 - )は、アメリカカリフォルニア州コヴィーナ出身の元騎手である。日系3世。香港で騎乗する際の漢字表記では「中谷」と表記される。
来歴
[編集]日系2世の父と競馬を観に行ったのがきっかけで騎手となる。1988年カリフォルニア州の競馬学校を卒業し、メキシコのアグアカリエンテ競馬場でデビューする。デビュー3年目の1990年にはイッツオールグリークトゥーミー(Itsallgreektome)でハリウッドターフカップステークスを制してG1勝ちを収め、以後もアメリカ競馬における騎手リーディング上位の常連として活躍している。
ブリーダーズカップの制覇経験も多く、1996年にはブリーダーズカップ・ディスタフをジュエルプリンセスで、ブリーダーズカップ・スプリントをリットデジャスティスで制している。特にスプリントは1996年から1998年までで3連覇を達成している。
その他の主な勝鞍として、ラヴァマンによる2連覇を含み3度制したサンタアニタハンデキャップ、1991年にライトライトで制したケンタッキーオークスとコーチングクラブアメリカンオークスなどがある。また国外での競走経験もあり、ドバイではドバイゴールデンシャヒーン(2004年)を、カナダではカナディアンインターナショナルステークス(2005年)などを制している。
日本へも来訪しており、初来日は1992年のヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップへの出場時であった。この来日中に、中山3Rの未勝利戦で、1番人気だったニホンピロナーリーに騎乗して勝利し、中央競馬(JRA)初騎乗初勝利を記録している。また第66回中山記念では4番人気だったニホンピロブレイブでJRA重賞初騎乗を果たし2着になるなどの活躍も見せた。1996年には第11回ワールドスーパージョッキーズシリーズに初参戦、結果は6位に終わった。
ジャパンカップへの出走経験も多く、初の機会は1994年の第14回ジャパンカップにサンドピットと共に出走、1番人気に支持されるも5着に敗れている。翌年1995年には再びサンドピットと共に出走するも、3番人気で8着に終わった。その後も2002年(サラファン)・2003年(デノン)にも出走し、2002年には勝ち馬から僅差の2着に入っている。2005年に第6回ジャパンカップダートにラヴァマンと共に出走、6番人気で11着という結果であった。
2018年8月4日のデルマー競馬場でのレースで落馬重傷。その後復帰を目指していたが、2019年11月23日に引退を発表した。
主な騎乗馬
[編集]- Pike Place Dancer/パイクプレイスダンサー(1996年ケンタッキーオークス)
- Lit de Justice/リドジュスティス(1996年ブリーダーズカップ・スプリント)
- Elmhurst/エルムハースト(1997年ブリーダーズカップ・スプリント)
- Reraise/リレイズ(1998年ブリーダーズカップ・スプリント)
- General Challenge/ジェネラルチャレンジ(2000年サンタアニタハンデキャップ)
- Caller One/コーラーワン(2001年ドバイゴールデンシャヒーン)
- Sarafan/サラファン(2002年ジャパンカップ2着)
- Sweet Catomine/スウィートカトマイン(2004年ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ)
- Relaxed Gesture/リラックストジェスチャー(2005年カナディアンインターナショナルステークス)
- Lava Man/ラヴァマン(2006年~2007年サンタアニタハンデキャップ、2006年ハリウッドゴールドカップハンデキャップステークス、パシフィッククラシックステークスなど)
- Thor's Echo/ソーズエコー(2006年ブリーダーズカップ・スプリント)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Corey Nakatani(英語版) (@Corey_Nakatani) - X(旧Twitter)