コーパス・クリスティ・カレッジ (オックスフォード大学)
コーパス・クリスティ・カレッジ | ||||||
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カレッジ名 | The President and Scholars of the College of Corpus Christi in the University of Oxford | |||||
名の由来 | キリストの身体であるコーパス・クリスティ | |||||
創設 | 1517年 | |||||
姉妹カレッジ | コーパス・クリスティ・カレッジ (ケンブリッジ大学) | |||||
学長 | リチャード・カーワーディン | |||||
学部生 | 248人[1] (2011/2012) | |||||
院生 | 126人 | |||||
所在地 | マートン・ストリート | |||||
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オックスフォード中心部におけるコーパス・クリスティ・カレッジの位置座標: 北緯51度45分03秒 西経1度15分13秒 / 北緯51.750909度 西経1.253702度 | ||||||
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College Homepage | ||||||
College Boat Club | ||||||
紋章解説 | こちらを参照 |
コーパス・クリスティ・カレッジ (英語: Corpus Christi College、正式名称:The President and Scholars of the College of Corpus Christi in the University of Oxford)は、イギリスのオックスフォード大学を構成するカレッジの一つ。1517年に設立され、オックスフォードで12番目に古い大学である。
歴史
[編集]1517年に、ウィンチェスターのキリスト教聖職者であるリチャード・フォックスにより設立された[2]。大学創設と同時に建設された図書館は、当時、ヨーロッパで最大かつ最良であったとされている[2]。1519年に、デジデリウス・エラスムスが、初代学長のジョン・クレモンドに宛てた手紙の中で、図書館を賞賛しているという事実がある[注 1]。1520年代には、スペインの人文学者であるフアン・ルイス・ビベスが、カレッジで教鞭をとっており、その間、のちの女王となるメアリー1世の家庭教師をしていた。
第7代の学長ジョン・レイノルズは、カレッジの学友であったレジナルド・ポールらとともに、1611年に出版された欽定訳聖書の翻訳に携わった。
19世紀に行われたオックスフォード運動指導者である、ジョン・キーブルは、カレッジの学部生であり、オリオル・カレッジのフェローでもあった。のちに、キーブルの名をとり、キーブル・カレッジが設立された。
紋章
[編集]左側には自らの胸の血を流すペリカン、中央には銀色の背景にウィンチェスター主教区の紋章に由来する剣と鍵、右側にはフクロウが配置されている。
校名の「コーパス・クリスティ (corpus christi)」とは、「キリストの身体 (the body of Christ)」を表している。中世ヨーロッパのキリスト教においては、ペリカンは、餌が入手出来なかったときに親自身の胸を傷つけ、自らの血を雛に与えたことから、聖餐で杯をとり「これがわたしの血である」と述べたキリストと同様に、神の使者として崇拝の対象であった。ペリカンはカレッジを表すシンボルであり、校舎にあるペリカン日時計の屋根にはペリカン像が置かれ、校旗や紋付きネクタイにもペリカンが描かれている。
卒業生
[編集]- トマス・ネーゲル
- レジナルド・ポール
- デイヴィッド・ミリバンド
- エド・ミリバンド
- アイザイア・バーリン
- ウィリアム・バックランド
- グレーアム・ウォーラス
- リチャード・フッカー
- ジョン・キーブル
- ヴィクラム・セス
- マーティン・ウルフ
フェロー
[編集]- リチャード・フッカー
- マイケル・ブロック - 歴史家
- スナンダ K. ダッタ・レイ - インドの新聞記者、ジャーナリスト
- ヘンリー・フルノー - 古代ローマの歴史家であるタキトゥスを研究する歴史学者
- アンドリュー・グリン - 経済学者
- ブライアン・ハリソン - 「Dictionary of National Biography」の編集者、歴史家
- トーマス・ホーンズビー - 天文学者、数学者
- エドワード・ポコキー - 東洋の研究者、聖書学者
- J. O. アルムソン - 哲学者、古典学者
ギャラリー
[編集]-
カレッジの入り口
-
エントラスアーチ
-
ホール
注釈
[編集]- ^ 「it was a library 'inter praecipua decora Britanniae' ('among the chief beauties of Britain'), and praised the fact that it was a 'biblioteca trilinguis' (trilingual library) containing」と記されている