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コリン・アレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コリン・アレン
Colin Allen
基本情報
生誕 (1938-05-09) 1938年5月9日(86歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ハンプシャー州 ボーンマス
職業 ロック・ミュージシャン
担当楽器 ドラム、パーカッション
活動期間 1958年 - 2012年
共同作業者 ズート・マネー
ジョン・メイオール
ストーン・ザ・クロウズ
フォーカス

コリン・アレンColin Allen1938年5月9日 - )は、イングランドロックミュージシャン。ドラマー。

来歴

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生い立ちと初期の来歴

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ボーンマス出身。

ドラマーとしての初期には、デキシーランド・ジャズ・トリオやモダン・ジャズ・トリオで演奏していた[1]。地元のホテルにあったジャズ・クラブでギタリストのアンディ・サマーズ[注釈 1]と出会い、彼とザ・ポール・ルーザー・トリオ[注釈 2]、アンディ・サマーズ・カルテットなどを結成して一緒に演奏した。やがて、このジャズ・クラブで2人はズート・マネー(キーボード、ボーカル)に出会った[1]

ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド、ダンタリアンズ・チャリオット

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1965年、マネーが1961年秋に結成したR&Bグループのズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドにサマーズと共に加入して、ロンドンで活動。1967年、バンドは解散して、マネー、サマーズ、アレン、パット・ドナルドソン[注釈 3](ベース)は、サイケデリック・ロック・バンドのダンタリアンズ・チャリオットを結成。彼等はマネーとサマーズが共作した'The Madman Running Through The Fields'をシングルとして発表した[注釈 4][注釈 5][2]

ジョン・メイオール

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ダンタリアンズ・チャリオットは1968年4月に解散し、マネーは活動の拠点をカリフォルニアに移した。一方、アレンはロンドンに残り、1968年、ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズを解散したジョン・メイオールが制作した最初のソロ・アルバム"Blues from Laurel Canyon"に参加して、元ブルースブレイカーズのミック・テイラーと共演した[3]

ストーン・ザ・クロウズ

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1969年、マギー・ベル(ボーカル)、レスリー・ハーヴェイ[注釈 6](ギター)らを擁するスコットランドストーン・ザ・クロウズに加入。1972年5月、ハーヴェイがスウォンジーでのコンサートのステージで感電死すると[注釈 7][4]、ストーン・ザ・クロウズは6月にスコットランド出身のジミー・マカロック[注釈 8]を迎えて活動を続けたが、1973年6月に解散した[3]

フォーカス

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1973年10月、オランダプログレッシブ・ロック・バンドのフォーカスに、3代目ドラマーとして加入した。フォーカスの当時のプロデューサーは、アレンが参加したブルースブレイカーズの"Blues from Laurel Canyon"をプロデュースしたマイク・ヴァーノンだった。ヴァーノンは、脱退したピエール・ファン・デル・リンデンの後任を探していたメンバーにアレンを推薦した。彼はフォーカス初の外国人メンバーになった。

フォーカスは、メンバーのヤン・アッカーマンが1973年の『メロディー・メーカー』誌の人気投票でギタリスト部門の首位に選ばれる[5]など、既に国際的な成功を収めていた。アレンを迎えたフォーカスは、約1か月間のアメリカ・ツアーを行なった後、1974年1月から3月まで、ヴァーノンのプロデュースでアルバム『ハンバーガー・コンチェルト』を制作して5月に発表した。6月から12月までワールド・ツアーが行なわれ、7月には初の日本公演が催された[6][注釈 9]

しかし翌1975年2月、アレンは新作の制作が始まる直前に、突然、解雇を通告された[7][注釈 10]

その後の活動

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1977年、ストーン・ザ・クロウズの同僚だったロニー・リーハイ(キーボード)の誘いで、ドノヴァンのアルバム『旅立ち』の制作に参加し、引き続いてリーハイ、ミラー・アンダーソン(ギター)らとドノヴァンの国内ツアーに参加。さらに終了後に、共にアメリカに渡った。彼等はドノヴァンと別れた後、ストーン・ザ・クロウズの解散後にポール・マッカートニーウイングスで活動していたマカロック[注釈 11]と合流してザ・デュークスを結成するが、やがて離脱した。

ロサンゼルスに留まったアレンは、1980年、ロッド・スチュワートのアルバム『パンドラの匣』に客演。1982年には、メイオール、テイラー、フリートウッド・マックのジョン・マクヴィー〈ベース・ギター)に合流して、ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズの再結成に参加して、1983年夏までライブ活動を行なった[注釈 12]

1984年、テイラー[注釈 13]が音楽監督を務めるボブ・ディランのツアー・バンドに加入。テイラー、元フェイセズイアン・マクレガン(キーボード)らと共に、ビル・グラハムがプロモートしてサンタナが第一部を務めるヨーロッパ・ツアーに参加し、ウェンブリー・スタジアムなどのステージに立った。同年、イギリスでの幾つかのコンサートの音源が収録された『リアル・ライブ』が発表された。

その後、パートナーと2人の間に生まれた幼い娘を連れてストックホルムに移り、音楽活動から遠ざかって生活していたが、2003年にマネーから電話を受け、彼が企画した「The British Legends of Rhythm and Blues UK tour」と称する約一か月間のツアー[注釈 14]に参加してドラムを叩いた。2004年には、マネー、ベル、アンダーソン、コリン・ホジキンソン(ベース)らとブリティッシュ・ブルース・クインテットを結成して、2011年までヨーロッパ各地のブルース・クラブ、カフェ、小劇場、フェスティバル等でライブ活動を行なった[注釈 15]

引退

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2014年6月、ロングハムのクラブで、The Egg Roll Bandの一員としてマネーらと慈善事業のためのライブ活動を行ない、それをもって引退した。

2018年、自伝を出版。

ディスコグラフィ

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ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド

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  • It Should've Been Me(1965年)[8]
  • Zoot!(1966年)[9]
  • Were You There? Live 1966(1999年)[10]

ダンタリアンズ・チャリオット

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  • The Madman Running Through The Fields / Sun Came Bursting Through My Cloud(1967年)[11] 7"シングル
  • Chariot Rising(1996年)[12] [注釈 16]

ジョン・メイオール

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ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズ

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ストーン・ザ・クロウズ

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スタジオ・アルバム
  • 『デビュー』 - Stone the Crows(1970年)
  • 『オード・トゥ・ジョン・ロー』 - Ode to John Law(1970年)
  • 『ティーンエイジ・リックス』 - Teenage Licks(1971年)[13]
  • 『オンティニュアス・パフォーマンス』 - Ontinuous Performance(1971年)[14]
ライブ・アルバム
  • The BBC Sessions Volume 1 (1969-1970)(1998年)[15]
  • The BBC Sessions Volume 2: 1971-1972(1998年)[16]
  • 『ラジオ・セッションズ 1969-1972』 - Radio Sessions 1969-72(1998年)[17]
  • Live At The BBC(2021年)[18]

フォーカス

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スタジオ・アルバム
コンピレーション・アルバム
  • Hocus Pocus: The Best of Focus(1975年)
  • Hocus Pocus Box(2017年)
  • Focus 50 Years Anthology 1970-1976(2020年)

ドノヴァン

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ボブ・ディラン

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The British Blues Quintet Featuring: Maggie Bell, Zoot Money, Miller Anderson, Colin Hodgkinson, Colin Allen

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  • Live In Glasgow(2007年)[21]

参加アルバム

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  • Top Topham - Ascension Heights(1970年)[22]
  • Brian Auger & the Trinity - Befour(1970年)[23]
  • Chris Barber - Drat That Fratle Rat!(1972年)[24]
  • Tennent-Morrison - Tennent-Morrison(1972年)[25]
  • Ellis - Why Not?(1973年)[26]
  • Denny Laine - Ahh!…Laine(1973年)[27]
  • Billy Lawrie - Ship Imagination(1973年)[28]
  • Brian Joseph Friel - Brian Joseph Freil(1973年)[29]
  • Sirkel & Co - Sirkel & Co(1977年)[30]
  • Rod Stewart - Foolish Behaviour(1980年)[31]
  • Robbie Patton - Distant Shores(1981年)[32]
  • Totta & Hot N’Tots - Totta & Hot N’Tots featuring Spencer Bohren(1989年)[33]

著書

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  • Allen, Colin (2018). From Bournemouth to Beverly Hills: "Tales of a Tub-Thumper". Independently published. ISBN 978-1731511355 

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時はAndy Somers。Andy Summersとして、ソフト・マシーンエリック・バートン・アンド・ジ・アニマルズザ・ポリスを経て、1980年代から2024年現在に至るまで、ギタリスト、写真家として活動。
  2. ^ The Poll Losers Trio。バーニー・ケッセルが結成したThe Poll Winners Trioをもじった。
  3. ^ 後にサンディ・デニーらとフォザリンゲイを結成した。
  4. ^ 1995年、10曲を収録したアルバム『Chariot Rising』が発表された。
  5. ^ 「The Madman Running Through The Fields」は、後に、マネーとサマーズが加入したエリック・バートン・アンド・ジ・アニマルズによってカバーされて、アルバム『Love Is』(1968年)に収録された。
  6. ^ 1972年にスコットランドで結成されイギリスで人気を集めたセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドを率いたアレックス・ハーヴェイの実弟。
  7. ^ ハーヴェイは接地が不十分だったステージの上で、マイクロフォンとギターの金属弦を同時に触ってしまった。彼等は5月27日にリンカンシャーでザ・グレート・ウェスタン・フェスティバルに出演する予定であったので、元フリートウッド・マックピーター・グリーンを代役に迎えたが、グリーンは出演の2日前に離脱。しかし、イエススティーブ・ハウが自発的に援助を申し出て代役をこなした。
  8. ^ のち、ポール・マッカートニーウイングスで活動。
  9. ^ 2020年に発表されたCD・ボックス・セットの『50 Years: Anthology 1970-1976』には、1974年7月2日に大阪フェスティバルホールでライブ録音された'Birth'が収録された。
  10. ^ アレンは新曲1曲の録音に参加した後、解雇された。その理由は不明。一説によると、アッカーマンが10代の時から一緒に演奏してきたファン・デル・リンデンのドラミングを好んで、アレンの演奏に不満を抱いていて解雇を主導した。ファン・デル・リンデンはジャズの影響を強く受け、彼のドラミングはジャズそのものと呼んで差し支えないほどだった。因みにアレンが参加した新曲は、アルバム『マザー・フォーカス』(1975年)に収録された。
  11. ^ アレンは、マカロックがウイングスに提供した「メディシン・ジャー」と「ワイノ・ジュンコ」の作詞を担当した。前者は『ヴィーナス・アンド・マース』(1975年)、後者は『スピード・オブ・サウンド』(1976年)に収録。両曲とも、マカロックがリード・ボーカルを担当した。
  12. ^ 1994年、1982年6月17日のワシントンDCでのコンサートを収録したThe 1982 Reunion Concertが発表された。
  13. ^ テイラーは、ディランが1983年に発表したアルバム『インフィデル』に客演していた。
  14. ^ ロング・ジョン・ボルドリー、アレンがズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドに在籍していた時のボーカリストであったポール・ウィリアムスマンゴ・ジェリーレイ・ドーセットらが参加。
  15. ^ 2004年にグラスゴーで収録されたライブ音源が2008年に発表された。
  16. ^ 1967年に制作された音源が、約30年後に発表された。

出典

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  1. ^ a b Johnson (2015), p. 108.
  2. ^ Johnson (2015), pp. 108–109.
  3. ^ a b Johnson (2015), p. 109.
  4. ^ Howe, Steve (2020). All My Yesterdays. London: Omnibus Press. p. 89. ISBN 978-1-785581-79-3 
  5. ^ Johnson (2015), p. 114.
  6. ^ Johnson (2015), pp. 133–134.
  7. ^ Johnson (2015), pp. 144–146.
  8. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  11. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  12. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  14. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  15. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  16. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  17. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  18. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  19. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  20. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  21. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。
  22. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  23. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  24. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  25. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  26. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  27. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  28. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  29. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  30. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  31. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  32. ^ Discogs”. 2022年11月7日閲覧。
  33. ^ Discogs”. 2022年11月6日閲覧。

引用文献

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  • Johnson, Peet (2015). Hocus Pocus: The Strife and Times of Rock's Dutch Masters. Tweed Press. ISBN 978-0-646-59727-0