コリア・デル・リオ
サン・フアン通り | |
州 | アンダルシーア州 |
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県 | セビリア県 |
面積 | 61.99 km² [1] |
標高 | 5m |
人口 | 28,654 人 (2010年[1]) |
人口密度 | 462.24 人/km² |
北緯37度17分06秒 西経6度03分06秒 / 北緯37.28500度 西経6.05167度座標: 北緯37度17分06秒 西経6度03分06秒 / 北緯37.28500度 西経6.05167度
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コリア・デル・リオ(Coria del Río)は、スペイン・アンダルシア州セビリア県のムニシピオ(基礎自治体)。セビリアの南方約15kmにあり、グアダルキビール川に面する。
1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られる。コリア・デル・リオには Japón(ハポン、日本)の姓を持つ人が約600人おり、使節団の一員として来訪したまま現地に留まった者の子孫とする説がある[2]。
地理
[編集]コリア・デル・リオはセビリア県の南西部、アルハラフェ地区にほど近いところに位置し、近くにはラス・マリスマス湿地帯が広がっている。
歴史
[編集]慶長遣欧使節とハポン姓
[編集]支倉常長が率いる慶長遣欧使節は、1614年10月5日にグアダルキビール川河口のサンルーカル・デ・バラメダに入港、数日ののち小型帆船に乗り換えてグアダルキビール川を遡上し、コリア・デル・リオに上陸した[2]。支倉は往路で数日間(一説に4日間[3])この町に滞在し、10月23日[4]にセビリアに入った。ヨーロッパに渡った日本人は約30人であった。
慶長遣欧使節の記録は断片的であり、行動、行程やその時々の人数については諸説ある。スペインからローマに向かった日本人は半数であり、残りはコリア・デル・リオに滞在して支倉らの帰りを待っていたともいう[4]。ローマからの復路、支倉はスペイン国王フェリペ3世からの返書を待ちつつ、1617年7月4日にセビリアを出立するまでセビリア近郊に長期滞在しているが、その場所はコリア・デル・リオという(コリア・デル・リオにも近いヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレト修道院に1年間滞在した[4]、コリア・デル・リオに9ヶ月滞在した[3]、あるいは、2年間余にわたってコリア・デル・リオやセビリア近辺に滞在していた[5]などとされる記事がある)。
コリア・デル・リオには、スペイン語で「日本」を意味する ハポン(西: Japón)[注釈 1]の姓を持つ人が約600人いる[2][7][6][注釈 2][注釈 3]。この町の教会の洗礼台帳(なお、1604年から1665年までの洗礼記録は失われており、この間の手掛かりはない[4])に残る最古のハポン姓の人物の記録は1667年のもので[4][6]、フアン・マルティン・ハポンとマグダレナ・デ・カストロの娘カタリナ・ハポン・デ・カストロの洗礼の記録である[4]。1980年代から地元郷土史家によるハポン姓の研究が始まり[2](先駆者としては、ビルヒニオ・カルバハル・ハポン[5]、ビクトル・バレンシア・ハポン[4]らが挙げられる)、1990年前後からは慶長遣欧使節から離脱した人々の子孫とする説が盛んに唱えられるようになった[2]。これ以後[6]、ハポン姓の人々は「自分たちはサムライの子孫である」と考えているという[6][5]。1997年には[5]「スペイン日本支倉常長協会」(Asociación Hispano-Japonesa "Hasekura Tsunenaga") が組織されている[4][5]。
慶長遣欧使節の日本人の数人はヨーロッパにとどまったとみられる[注釈 4]。コリア・デル・リオ周辺で苗床を作る稲作農法があることや[2][6]、ハポン姓の幼児に蒙古斑が見られること[2][6][5]が、ハポン姓が慶長遣欧使節団の日本人とを関連付けるものとして挙げられている。ただし2015年時点において、ハポン姓を日本人の末裔とする説の最大の論拠とされているのは「ハポン姓が使節団の滞在以前の洗礼記録に見られない」ということであり[6]、ハポン姓のルーツには依然として不明な点が多い[2]。1647年の町の徴兵記録にはバルトロメ・ハポンの名があり[5]、コリア・デル・リオにおけるハポン姓の現れはじめと見られるが[4]、同時に彼は36歳とも書かれている[8]。徴兵記録において年齢のかさ上げは常態化していたとされるが、記録に従えば使節団の日本出発以前に生まれていたことになる[8]。ハポン姓と慶長遣欧使節団と関係づけることに慎重な立場もある[5]。2012年度より名古屋大学、東京大学、国立遺伝学研究所などによる共同研究チームがDNA鑑定によってハポン姓の人々と日本人との関係を調べる研究(研究代表者:山本敏充)を行っている[9][10]。だが結果として、日本人に由来する結果が見つからなかった[11]。
1992年、宮城県はコリア・デル・リオに佐藤忠良作の支倉常長像を寄贈した。この像はグアダルキビール川に沿ったカルロス・デ・メサ公園に立てられている。2003年には、ハポン姓の人が集まる「日本週間」が開催された[12]。
2013年6月、徳仁皇太子がコリア・デル・リオを訪問し、植樹式を行なった[13][14]。
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支倉常長像
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支倉像はグアダルキビール川に面して立つ
人口
[編集]コリア・デル・リオの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[15]、1996年 - [16] |
出身著名人
[編集]- パストーラ・ソレール - 歌手。2012年のユーロビジョン・ソング・コンテストのスペイン代表に決定[17]。
- ヘスス・サンチェス・ハポン - レアル・バリャドリードに所属していたサッカー選手。
参考文献
[編集]- 太田尚樹『ヨーロッパに消えたサムライたち』角川書店、1999年
- 谷克二、邸景一ほか『旅名人ブックス65 アンダルシア』日経BP企画、2004年
- 逢坂剛『ハポン追跡』講談社文庫、1995年 - 推理小説
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ スペイン語の Japón には「日本」以外の意味はない[4][6]。
- ^ コリア・デル・リオにおいて第一姓(父姓)・第二姓(母姓)およびその双方でハポンを称する人物(なお、スペインの姓については人名#スペイン語圏の名前を参照)は、1989年の市の調査によれば830人いた[4]。2014年11月のデータでは640人となっている[4]。1989年から2014年までのハポン姓の「激減」は、社会全体の出生率の減少と関連するもので、第二姓(母方の姓)がハポンである人物が減少したことが原因である[4]。また、コリア・デル・リオの人口の約4%がハポン姓の家族となんらかの関係を持つとされる[4]。
- ^ 太田尚樹は、2000年の記事で隣接するラ・プエブラ・デル・リオと合わせて604人という数字を示している[7]。エレナ・ガジェゴ論文(2015年)によればセビリアにも180人ほどのハポン姓の人物がいるという[4]。セビリアのハポン姓もコリア・デル・リオからの移住者の子孫である[4]。「スペイン日本支倉常長協会」のフアン・フランシスコ・ハポンによれば、スペイン全土のハポン姓はコリア・デル・リオのほぼ倍(約1200人)で、ほとんどがコリア・デル・ルリオ出身という[5]。
- ^ 6人とも9人ともされる[5]。太田尚樹によれば、ヨーロッパに渡った日本人は26人で、このうち8人が日本に戻らなかったとする[2]。エレナ・ガジェゴ・アンドラダは、30人中多く見積もって6人が留まったという[4]。
出典
[編集]- ^ a b “Población, superficie y densidad por municipios” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2011年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “常長思いハポンの地へ遡る…コリア・デル・リオ(スペイン)”. 読売新聞. (2015年1月15日) 2016年7月6日閲覧。
- ^ a b “慶長遣欧使節/支倉常長”. 世界史の窓. 教材工房. 2016年7月6日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q エレナ・ガジェゴ・アンドラダ「支倉使節団の残した人間的な絆」(pdf)『上智大学外国語学部紀要』第49号、2015年3月5日、2016年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “刻む記憶 スペイン “祖国”思う「サムライの末裔」”. 毎日新聞. (2015年12月16日) 2016年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “河北新報 紙面特集 - 伊達政宗の夢 Vol.11 ハポンさんになった侍たち”. 平成青少年遣欧使節団派遣プロジェクト. 河北新報 (2015年5月27日). 2016年7月6日閲覧。
- ^ a b “イスパニアへ渡ったサムライたち”. 教授対談シリーズ こだわりアカデミー. アットホーム株式会社 (2000年7月). 2016年7月6日閲覧。
- ^ a b “私の先祖は日本のサムライ/支倉常長一行の子孫”. ひーさんの散歩道(個人ブログ). 2016年7月6日閲覧。[信頼性要検証]。太田尚樹『支倉常長遣欧使節 もう一つの遺産』に関連する記述か。
- ^ “伊達政宗の遣欧使節の末裔といわれるスペイン「ハポン」姓の人々のゲノムワイド解析”. 科学研究費助成事業データベース. 国立情報学研究所. 2016年7月6日閲覧。2013/10/25の項目。
- ^ “新聞記事掲載状況(2013年10月)”. 名古屋大学. 2016年7月6日閲覧。2013/10/25の項目。
- ^ 山崎敏充; 斎藤成也、徳永勝士、布施昇男、長崎正朗、河合洋介、カラセドアンジェル. “科学研究費助成事業 研究成果報告書”. 日本学術振興会. 2017年5月22日作成、2023年7月6日閲覧。
- ^ “「スペインのハポンさん集う/ルーツ求め日本へ熱い思い」”. 東奥日報. (2003年12月5日). オリジナルの2004年2月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “皇太子さまのスペイン訪問決定”. 時事ドットコム (時事通信社). (2013年5月21日). オリジナルの2013年6月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “皇太子さま、スペインで桜植樹 支倉常長ゆかりの地”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2013年6月14日). オリジナルの2014年3月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
- ^ “Pastora Soler representará a España en Eurovisión 2012 en Bakú” (スペイン語). RTVE(スペイン国営放送). 2011年12月21日閲覧。
関連項目
[編集]- 日系スペイン人 - ハポン姓に関する言及あり