グスタフ・ジークムント・カールノキ
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グスタフ・ジークムント・カールノキ伯爵(ドイツ語: Gustav Siegmund Graf Kálnoky von Köröspatak / 英語: Count Gustav Siegmund Kálnoky, 1832年12月29日〜1898年2月13日)は、オーストリア(オーストリア=ハンガリー二重帝国)の貴族(伯爵)・政治家。ハンガリー名はカールノキ・グスタヴ・ジグモンド(ハンガリー語: Kőröspataki Kálnoky Gusztáv Zsigmond)。
経歴
[編集]1832年、当時オーストリア支配下にあったモラヴィア地方のレトヴィッツ(Lettowitz / 現チェコのレトヴィツェ)にハンガリー系貴族の家に生まれる。主として外交関係の官職を歴任したが、特に1881年11月20日、オーストリア政府の外相(二重帝国全体の外相を兼任)に任命され、アンドラーシ外相の外交を承けて以後14年間にわたりロシアとの協調関係を重視する外交をすすめた。しかしその一方で首相エドゥアルト・ターフェとの関係は良好でなく、彼を辞任させる企てに参加したこともある。
1895年5月2日外相を辞任し、その3年後の1898年、プレードリッツ(Prödlitz / 現ブロデク・ウ・プロスチェヨヴァ)で死去。
参考文献
[編集]- T・J・P・テイラー 『ハプスブルク帝国 1809〜1918 - オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリーの歴史』〈倉田稔:訳〉 筑摩書房、1987年 ISBN 978-4480853707
- 大津留厚 『ハプスブルク帝国』〈世界史リブレット〉 山川出版社、1996年 ISBN 4634343002
- 南塚信吾(編) 『ドナウ・ヨーロッパ史』〈新版世界各国史〉 山川出版社、1999年 ISBN 4634414902
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