グスタフ・シュレーゲル
表示
グスタフ・シュレーゲル(Gustave Schlegel (Gustaaf Schlegel) 、1840年9月30日 - 1903年10月15日)は、オランダの東洋学者、博物学者。ライデン大学中国語中国文学講座の初代教授。オランダ語読みで「スフレーヘル」とも表記されることがある。著書に『星辰考源』『天地会』『地誌学的問題』等。
略歴
[編集]シュレーゲルは1840年にウフストヘーストで生まれた[1]。父は動物学者として知られ、ライデン博物館長をつとめたヘルマン・シュレーゲルである。
シュレーゲルは9歳のときから日本学者としても知られるヨハン・ヨーゼフ・ホフマンに中国語を学び、1857年には父の標本を収集するために中国を訪れ、マカオやアモイに滞在した[2]。1863年にはヒガシシナアジサシに関する最初の記述を行った[2]。
1862年からバタヴィアでオランダ植民政府の通訳として働いた。この時代に天地会に関する著書を出版した。1869年にイェーナ大学の博士の学位を取得した[2]。
オランダに帰国後、1873年からホフマンにかわって中国語通訳の養成を行った[3]。ライデン大学に中国語の講座が設けられると、シュレーゲルは1875年にその初代教授に就任し(1877年から正教授)、1903年に没するまでその職にあった(後任はヤン・ヤーコプ・マリア・デ・ホロート)[2]。
1887年フランス文学院よりスタニスラス・ジュリアン賞を受賞。1890年に、フランスのアンリ・コルディエとともに中国学の雑誌『通報』を創刊した。
主な著書
[編集]- 天地会 Thien Ti Hwui. The Hung-League or Heaven-Earth-League. Batavia. (1866)(天地会の研究)
- Sinico-Aryaca, ou Recherches sur les Rachines primitives. Batavia. (1872)(中国語とインド・ヨーロッパ語族を同系とする説を述べる)
- 星辰考源: Uranographie chinoise. Leiden: Brill. (1875)(中国星座の研究、全2冊)
- 荷華文語類纂: Nederlandsch-Chineesch Woordenboek met de transcriptie der chineesche karakters in het Tsiang-tsiu Dialekt. Brill. (1884-1890)(全5217ページ、4冊から構成される閩南語とオランダ語の巨大な辞典。)
- La loi du parallélisme en style chinois, démontrée par la préface du Si-yü ki. Leiden: Brill. (1896)(対句の研究)
翻訳に、『花箋記』のオランダ語訳や、『今古奇観』のフランス語訳がある。
- 花箋記 Hoa Tsien Ki. of geschiedenis van het gebloemde briefpapier. Chinesche roman. Batavia. (1865)
- 売油郎独占花魁 Le Vendeur d'huile qui seul possède la reine de beauté. Leiden: Brill. (1877)
日本との関係
[編集]脚注
[編集]- ^ Schlegel, Gustaaf (1840-1903), Biografisch Woordenboek van Nederland:1880-2000, Huygens ING
- ^ a b c d E Bruce Brooks, Sinological Profiles: Gustaaf Schlegel, University of Massachusetts Amherst
- ^ ボート(2009) pp.51-52
参考文献
[編集]- Wilt L. Idema, ed (2014). Chinese Studies in the Netherlands: Past, Present and Future. Brill. ISBN 9004225919
- ボート, W. J.「ライデンにおける東アジア研究の由来と発展、1830-1945」『東アジア文化交渉研究』別冊4、2009年、47-60頁。