グアテマラ地震 (1976年)
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グアテマラ地震 (1976年) | |
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地震で倒壊した家屋 | |
震源の位置(USGS) | |
本震 | |
発生日 | 1976年2月4日 |
発生時刻 |
9時1分43秒 (UTC) 3時1分43秒 (CST) 18時1分43秒 (JST) |
震央 |
グアテマラ 首都グアテマラシティの北東160km 北緯15度19分26.4秒 西経89度6分3.6秒 (北緯15度19分26秒 西経89度06分04秒 / 北緯15.324度 西経89.101度)[1] |
震源の深さ | 5 km |
規模 | モーメントマグニチュード (Mw)7.5 |
最大震度 | 改正メルカリ震度IX:グアテマラシティなど |
津波 | 24cm:プエルト・コルテス(ホンジュラス)[2] |
地震の種類 | 横ずれ断層型(左横ずれ) |
被害 | |
死傷者数 |
死者:22,870人 負傷者76,000人以上[3] |
被害地域 | グアテマラ |
出典:特に注記がない場合はUSGSによる。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1976年のグアテマラ地震(グアテマラじしん)は、同年2月4日にグアテマラで発生した地震。震源地は、首都グアテマラシティ北東160kmのモタグア断層で震源の深さは5km[4]、モーメントマグニチュード (Mw)7.5[3]。1917年以降にグアテマラで発生した地震の中で最も大きな被害を出した地震である。多くの余震が発生し、被害が拡大した。
概要
[編集]被害
[編集]グアテマラ全土が被災し、中でもグアテマラシティ郊外にあったアドベ建築は壊滅的な被害をうけた。ほとんどの住人がまだ眠っていた頃、現地時間の午前3時1分に地震が襲った。犠牲者数は22,870人にのぼる。負傷者数は76,504人、何千もの家々が失われた。一部の地域では幾日にもわたり、電力とコミュニケーション手段が断たれた。
グアテマラの先住民(マヤ系諸民族)は更なる貧困に追いやられることになり、政府による援助も期待できなかったため、協力して困難を乗り越えようとした。1970年代以降、先住民労働者による支配者層(ラディーノ)への抵抗運動が次第に勢いを増していくが、この地震は先住民が団結し政治的な表舞台へ進出する転機となった[5]。
ギャラリー
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地震によって歪曲した鉄道のレール
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被災したグアテマラシティのホテル
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グアテマラシティで発生した地滑り
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被災したグアテマラシティのアドベ建築
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ NOAA Significant Earthquake Database Search
- ^ NOAA Significant Earthquake Database Search - Tsunami Event
- ^ a b USGS - Historic Earthquakes Guatemala 1976 February 04 09:01 UTC
- ^ USGS - NEIC: Earthquake Search Results
- ^ 近藤敦子『グアテマラ現代史』彩流社、1996年、p.106-107
参考文献
[編集]- 国立天文台 編『理科年表 平成20年』丸善、2007年。ISBN 978-4-621-07902-7 。[要ページ番号]